第31話 悪役元王妃は追放される
その茶会の後、ヴィンセントがフロルド公爵になんと言ったとか、お妃候補がどうなったという話は、マドカには届いていない。
ただそれからしばらく経ち届いた知らせは、ヴィアン湖畔にある離宮の準備が整ったとう知らせだった。
マデリーンが王宮を退去する日取りは、それからすぐに正式決定した。
「お嬢様、部屋の整理が済みましたら早急にトレサも参ります、それまで不自由だとは思いますがどうか」
「わかっているわトレサ、向こうの使用人とも仲良くするし大丈夫」
心配そうに何度も繰り返すトレサに対し、マドカは明るい口調で言ってみせた。
馬車がひっそりと王宮の端に付けられているが、見送る者はトレサ以外にいない。あとは護衛の騎士が数名と御者がいるだけだ。
前国王の妃であった者の見送りとしてはあまりに簡素だが、マデリーンの扱いならば、マドカとしてはこれくらいでいいと思っている。
「せめて王は来てくださると思っていましたのに、引き止めにもいらっしゃらない」
「わたしなら気にしていないわトレサ」
「ですが、お嬢様」
納得がいかないらしく文句を言うトレサをやんわりと嗜める。
ヴィンセントは忙しいのか姿を見せない。
きっと引き止めてくれる。心のどこかでマドカも思っていたその思いは、馬車を待っている間になんとか心の奥底に押し込めた。
今日のマドカは、動きやすいドレスに濃い色のベールで顔を隠している。マデリーンの化粧をすることも出来たのだが、もうあと馬車に乗ってしまえば気にする者はいない。
あと少しだけだからと敢えて気楽な装いを選んだのだ。
「じゃあ行くわね、見送りありがとうトレサ」
そう言ってふわりと手を振ると、マドカは馬車へと向かう。
なんだかんだ長く過ごした王宮ともこれで別れることになる。もう余程のことがない限り来ることはないだろう。
護衛の騎士が手を貸すべきか迷っている姿が見えたので、不要だと身振りで答えたときだった。
なにか王宮のほうがざわざわと騒がしい気がする。
さすがにこの状況でマデリーンに関することではないだろう。そう思ったが気になって顔を上げて見回した時だった。
回廊の向こうから、すごい勢いでヴィンセントが駆けてくるのが見えた。
「え? 陛下」
えっ、えっ? と繰り返しながらマドカは目を丸く見開いてその姿を眺めた。
ヴィンセントは、アランたち護衛の騎士をも振り切る速度で駆けてくる。マドカは思わず馬車に乗るのを一旦やめて、その場に立つ。
あっという間に駆けて来たヴィンセントは、マドカの前で立ち止まると大きく息を吐いた。
「良かった、間に合った」
膝に手を当てて大きく呼吸を繰り返している。
咳き込むようにして息を吸っているヴィンセントに、思わず背中をさするべきかとマドカは手を伸す。だがそこで先にヴィンセントが顔を上げてしまったので、差し伸べかけた手はそのまま宙を掴んだ。
「見送りに来てくださったのですか、ありがとうございます」
「ローレンスとフロルド公がギリギリまで嫌味を言った上で、そういえば今頃ですねなどと、あいつら……」
どうやら見送りに来てくれなかったわけではなく、具体的な時刻を知らされていなかったらしい。
知って慌てて駆けてきてくれた。それだけでマドカは満足だし嬉しい。
「まあいい、間に合って良かった」
「はい、えっ、えっ」
ヴィンセントはマドカが身に付けていたベールを、あっという間に剥ぎ取った。戸惑う暇もなくそのベールだけを馬車の中に放り投げ、御者に命ずる。
「マデリーンは乗った、馬車を出せ」
指示を聞くと御者は戸惑った様子も見せず馬車を出した。ゆっくりと馬車と護衛の騎士が出ていき、その場が静かになる。
え、わたし置いて行かれましたけど。
マドカはそう思いながら、呆然と出ていった馬車を見送るしかない。
「さて、マデリーンは行った、これでよし」
「よくありませんよ、わたしまだ乗ってないです!」
抗議の声を上げるが追いかける術はない。
馬車はあっという間に見えなくなり、すぐに眺めることさえ出来なくなった。
一体どうしたらいいのか、マドカが馬車が消えた方向を眺めていると、ヴィンセントの手が肩に乗せられ、引き寄せるように身体の向きを変えられる。
やや強引にマドカと視線を合わせてから、ヴィンセントは告げた。
「もうマデリーンこっごは終わりだ」
「ごっこじゃないです、マデリーンは」
ずっとマドカを支え守ってくれた大事な存在だ。
そう訴えたかったのに、言葉は出なかった。
ヴィンセントが手を伸ばし、マドカを抱き寄せたからだ。
「これからはずっと共に俺がいる、俺がマドカを支え守るから、マデリーンは必要ないだろう」
「陛下……」
「なんだ、名を呼んでくれるのではないのか」
ヴィンセントが楽しそうに笑ったのがわかった。耳元でくすくすと笑われ、銀の髪がマドカの首元をくすぐる。
とても心地良い、そう感じるのにまだマドカの中の不安は抗う。
「でもわたし、きちんとした教育だって受けていないし、ええと」
「不安なことは学べばいい、これから二人で話し合って準備をしよう」
「本当は王様の妃なんてよく知らないし」
「安心しろ、それでも務まるということは証明されている」
ヴィンセントはそれさえも楽しそうだと笑ってくれる。
そして抱き込む腕が僅かに緩み、隙間ができると目の前に真剣な色をした蒼い瞳が見えた。真っ直ぐでとても綺麗なヴィンセントの瞳は、いつもマドカを強く惹きつける。
「誰よりもお前が愛しい、これからもずっと俺のそばにいてくれ」
「ヴィンス……」
マドカはきゅっと唇を噛み俯いた。
もう認めていいだろうか、マドカはヴィンセントが好きだと。
きっと彼が思ってくれるのと同じくらい、それ以上に彼が好きだし離れたくない。
その蒼い瞳と優しく温かい存在に、ずっとマドカは心惹かれていた。
マドカは小さく息を吸い、ゆっくりと顔を上げると、告げた。
「ヴィンスのことが好きです、一緒にいてください」
本当に小さな声だったけれど、ヴィンセントにはしっかりと聞こえたらしい。
少し不安そうに揺らいでいた瞳は喜びに変わり、笑みが浮かんだ。
「ああもちろんだ、離すつもりはない、俺とずっと共にいようマドカ」
マドカも同じようにふわりと笑うと、ヴィンセントはマドカを抱き上げてくるりとその場を回る。
そしてヴィンセントは優しい仕草で、マドカの頬へと口付けをした。続けて額にも口付けが降ってくる。
甘く温かい眼差しはもちろん嬉しい。でも気恥ずかしさもあり、マドカは顔が赤くなるのを感じながら、ヴィンセントの服を掴む。
「ちょっと、へい……ヴィンスッ」
「ようこそ我がもとへ、俺の妃」
ヴィンセントはそう告げて笑った。
きっとこれからも楽しく賑やかに過ごしていける。
ありがとうマデリーン、ようやくわたしだけの幸せを見つけるわ。
もうひとりの自分に心の中でそう伝えながら、マドカはヴィンセントに向かって笑い返した。
終
追放間近の悪役元王妃ですが、兼業である侍女への恋を相談されました、それ私本人です 芳原シホ @yoshishiho
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