第9話 王の謎は侍女の謎

 ヴィンセントが知っているのなら、マデリーンが出しゃばる必要はない。

 しかし彼は軽く首を傾げて考えるような仕草をしたが、すぐに首をゆっくり横に振った。


「鍵の力、……すまない初耳だ、俺にもあるものか?」


 心当たりがあり惚けるなら、もっと違う表情になるが、怪訝な表現は作り物ではない。本当に知らないのだろう。

 マデリーンはひと口茶を飲んでから、話を始めた。


「ラクトセアム王家の人間は、代々特殊な魔力を引き継いでいるわ、そういう血統よ」

「特殊な魔力?」


 魔力と言われても心当たりはないのだろう。この国では魔術を扱えて騎士になる、という道はあまり存在しない。


「ただこの鍵の力は、絶対に使ってはならない力なの」


 絶対に、というのは少し大袈裟だが、少なくともマデリーンはそう考えている。


「ヴィクトルおじ……陛下は、三十年前にこの禁を破ったわ」

「確か、魔獣被害が酷くなって国が荒れていた頃か、確かにそれを修めたのは父上だ、その鍵の力というものを使ったと?」


 魔獣と呼ばれている存在は、頻繁に出没しているものでもなく、数百年に一度、災害のように被害が増える。前回ですら二人が生まれる前のことだが、王国史でも習うので一般的な知識だ。


「そうよ、ただそのせいで鍵の話が、王家の外に漏れている」

「なるほど、貴女が知っているくらい、ということか」


 そこまで話すと、ヴィンセントは大きく息を吐いた。


「父上のことが多少でも聞ければと思ったが、なんというか突拍子もない話が出てきたな」

「信じる必要はないわ」


 そう、信じなくてもいいことだ。


 ただ、力を使えばどうなるかを、マデリーンはよく知っている。


 だからこそ、伝えておきたかった。

 ヴィンセントは手を口元へ寄せて考えるような仕草をしている。


「使ってはならない鍵の力、さしずめ禁忌の扉といったとこ……」


 マデリーンのほうを見て、そこまで言い掛けた時だった。


 ガシャーン!


 なにかが割れるような音が庭園に響き、そして悲鳴のような声が響いた。


「……やく誰か来てーっ!」

「え?」

「なにごとだ!」


 咄嗟にヴィンセントもマデリーンも顔を上げて周囲を窺う。

 穏やかだった庭園も、一気にざわつくように感じられた。


「あの声は、トレサだわ!」

「知っているのか?」

「うちの侍女よ」


 それを聞くなり、ヴィンセントは素早く立ち上がり、声のしたほうへ向かった。


 マデリーンも慌ててその後を追う。テラスから王宮のなかに入り、さらに少し行ったところで、トレサが座り込んでいるのが見えた。

 すぐ近くの窓がすぐ近くの窓が割れ、その下には騎士服を着た誰かが倒れている。


「トレサ!」


 顔色は真っ青だが、トレサは無事なようだ。

 倒れている騎士のほうはどうなっているのかわからない。


「医師を呼んで来い! 非常時だ、ここからなら魔術院のほうが近い!」


 同じように悲鳴を聞いたのだろう、駆けてきたアランがヴィンセントからの命令を聞いてすぐに踵を返そうとする。


「待つんだアラン、俺が行く! お前は陛下の警護を」

「はっ」


 アランを制したローレンスが、駆けて行く。


 トレサは必死に声を絞り出そうと、呼吸を繰り返していた。


「無理しないでトレサ、すぐに医師が来るわ」

「ま、マデリーン様、黒い服で顔を隠した誰かです、若い侍女が……」


 がたがたと震えながら、トレサは伝えようとした。


「つ、連れてかれっ、あのこ、助けてくださっ!」

「侍女がひとり拐われたのね」


 マデリーンが確かめると、トレサはこくこくと首を上下に動かして肯定した。

 聞こえたのだろう、アランがすぐに集まってきた周囲の騎士に捜索の指示を出し始める。

 そんななか、呆然とヴィンセントが呟いた。


「まさか、マドカ?」

「え?」

「どちらへ逃げたかわかるか?」


 怒鳴るように言われ、トレサが震える指で廊下の向こうを指差す。


 マドカのはずはない!


 ヴィンセントに対し、マデリーンが振り返って否定するよりも先に、表情を変えたヴィンセントはもう走り出していた。


「ちょっ、待っ!」


 叫ぼうとしたところで飲み込んだ。ここにマデリーンがいる以上、マドカではない。

 しかし侍女が連れ去られていることには変わりないのだ。

 さすが元騎士だけある。今でも鍛錬を怠っていないのがよくわかる脚力だ。ヴィンセントは長い廊下をあっという間に駆けて行く。


 さらに集まる応援の騎士が、来るなりすぐにヴィンセントを追う。


 それから廊下の向こうで、ヴィンセントがアランに押し留められているのが見えた。


 ローレンスが医師を連れて戻ってくると、倒れた騎士も生きていることがすぐに分かった。


 悔しそうに、表情を歪ませているヴィンセントが引き返して来たのは、さらに少し経ってからだ。


「どう、でしたか?」

「無事だ、息はあったから休ませるよう手配した」


 走って逃げるのに邪魔だから置き去りにしたのか、倒れている侍女だけはすぐにすぐに見つかったらしい。

 マデリーンも思わずほっと息を吐く。


「彼女では、なかった」

「そう……」


 マドカでないなら良かった、などと言えるわけがない。

 だがその可能性をなにより考えたヴィンセントは、安堵したのだろう。顔を手で覆いながら大きく息を吐いた。


 マデリーンは、トレサにもしばらくの休息を許したが、彼女は無理に笑っただけだ。

 そんな表情をマデリーンに向けるのは、初めてのことだった。


 逃げた人物の捜索は続けられている。報告を待つヴィンセントの足は、先程のテラスへと向かった。そこで別れて部屋に戻るという選択肢もあったが、気になるのでマデリーンもそれに黙ってついていく。


 この状況ではやることも色々とあるはずなのに、ローレンスはまだ給仕を務めるつもりらしく、新しい茶葉で茶を淹れ始めた。

 それをひとくち飲んだところで、騎士の報告が届く。報告したのは、アランとは別の騎士だが、マデリーンには覚えがある男だった。


「申し訳ありません、追跡の範囲を広げていますが、まだ捕らえられておりません」

「わかった、任せるから続けてくれ、グラント」

「はっ」


 騎士団に所属するグラントは、少し前に父親から侯爵位を継いでいたはずだ。てっきりその時に騎士を引退したと思っていたが、どうやら違うようだ。


「グラント侯は、まだ騎士をしているの?」

「辞めるには惜しい人材だからな、俺の後任を含め色々と尽力してもらっている」

「相変わらずマデリーン様は厳しくおっしゃいますな」


 グラントは、マデリーンのふてぶてしい態度にも動じず、むしろ笑顔を浮かべている。

 そういう男だったと思い出し、マデリーンはそれ以上干渉するのをやめた。


 報告を終えると、グラントは先ほどより少し声を落としてヴィンセントに告げる。


「このようなこともありましたので、妹の件も後日あらためさせて頂きます」

「その件は、そうだな、安全が保証できない以上受けられない」

「はい、ではこれにて失礼いたします」

「ああ」


 指先までぴんと揃えて騎士の礼をしたグラントが、その場から離れていった。

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