第8話 庭園での茶会

 ラガラの花には様々な色があるが、東の庭園で栽培しているのは、黄色と青色が主だ。他の色はこの国の気候では栽培が難しく、僅かしか花を咲かせていない。

 それでも魔術院が開発した肥料のおかげで、ほぼ確実に花開くようになった。


 ヴィンセントは老庭師のそんな説明を興味深そうに聞いている。

 時々彼のほうからもなにか訊ねてもいるようだから、リファナ妃の話なども聞いているのかもしれない。


 そんな姿を眺めながら、庭のすぐ傍のテラスに設けられた席で、マデリーンは用意された新茶を楽しんでいた。


「いかがでしょう、ヴィアン産の新茶ですが」

「ええ、とっても良くてよ」


 添えられた焼き菓子も、おそらく厨房のオスカーが腕を振るったのだろう。サクサクと香ばしい木の実が入っていて美味しい。

 本来ならヴィンセントを待つべきなのだが、彼があまりに長く庭師と話を続けているので、放っておいて先に新茶を頂くことにした。

 促されたから応じたまでだし、王を差し置いてなどと今更言われても気にしない。

 こういう時は、我儘に作り上げたマデリーンという存在を有効に使う。


「それにしても……」


 いい香りの茶に口を付けながら、マデリーンはちらりと傍に控えているローレンスを見た。宰相自ら給仕を買って出るなんてどういうつもりか。


「ふふふ、そうでも有りません、ただ貴女をもてなしたいというヴィンス陛下の気持ちです」

「陛下ねえ」


 ふと考えながらちらりと見ただけだったのに、まるで見透かしたかのように答えるあたりは、やはり気が抜けない男だ。


 宰相が直々に淹れた茶、というなんとも高くつきそうな新茶を味わっていると、ようやく話が終わったらしいヴィンセントがやって来た。


「すっかり話に夢中になっていた、貴女にも感謝したい、マデリーン」

「お役に立てたのならなによりよ」


 こちらも新茶と菓子には満足しているので、機嫌良く答えておく。いくら傲慢なマデリーンといえど、美味しいものは美味しい。

 ヴィンセントが用意された席に着くと、すかさずローレンスが茶を用意する。


 しかしヴィンセントは温かく美味しそうな茶をすぐに脇に押し退け、肘をテーブルにつけんばかりの勢いでマデリーンに鋭い視線を向けた。

 一体どうしたのか、マデリーンは僅かに背を反らして距離を取る。


「……彼女に、マドカになにか吹き込んだろう」

「さあ、知らなくてよ、どうかして?」


「彼女にずっと避けられている」


「あーん、陛下おーかわいそーうー」


 おかしな節をつけたのはもちろんわざとだ。なにしろマドカ本人なのだ、それくらいしていなければ出そうな叫び声を堪えていられない。反らした背を戻しながら、必死に思考を巡らせる。


 確かにマデリーンとしても、マドカとしてもヴィンセントのことは避けていた。あの最奥の中庭にも行っていない。それどころか、王宮で鉢合わせそうになって慌てて逃げることさえあった。ひょっとしたら逃げる後ろ姿くらいは見られたのだろう。


「協力してくれとはもう言わない、しかし頼むから邪魔はしないで欲しい」

「別に、協力するつもりも邪魔するつもりもありませんわ」


 澄ました表情で茶を飲むが、ヴィンセントはなおも恨めしげに睨んでいる。

 そんな目で睨まれたって、わたしがそのマドカなんです、などと言えるわけない。

 大体、快く思っていないはずのマデリーンに侍女への恋心を話すなど、迂闊すぎるのだ。


「俺の話は?」

「していないわ」

「そうか……」


 素っ気ない振りをして答えると、ヴィンセントが露骨に落ち込んだのが見えた。


「……どこがいいのかしら、あんな芋みたいな娘」


 自虐の趣味はないはずなのに、ついそんな言葉が口から溢れる。


 どんなに好意を向けられたって、ヴィンセントだけは好きになるわけにはいかない。頑なにそう考えることで、彼に惹かれそうになる心を支える。

 扇の影からそっと窺うと、ヴィンセントの表情がふわりと和らいだ。


「光に照らされた表情はとても神秘的で、それはもうとても愛おしく感じられた」

「そ、そう……」

「あんなに温かな気持ちを抱いたのは、初めてだ」


 照れてはいけないと分かっているのに。ヴィンセントがあまりに優しそうに語るから、マデリーンは赤くなりそうな頬を、扇で隠さなければならなかった。


「に、庭師から少しは有意義な話を聞けたかしら」


 このままではいけないと思ったので、やや強引にでも話題を変える。

 ヴィンセントも話しすぎたと思ったのだろう。押し退けていた茶器を引き寄せると、ひと口飲んでから庭園を眺めた。


「魔術院に流れていた支援金は、この庭園の管理のためでもあったのか」

「……元々は、ヴィクトル陛下が水の浄化を研究させていたわ。異国出身のリファナ様はこの国の水があまり合わなかったから」


 ラガラの花が咲くくらい綺麗な水、というのがまずヴィクトルの出した指示だった。そのため魔術院は、この庭に沢山のラガラの花を植えた。初めはなかなか咲かなかったが、水を浄化し肥料を整えた今では季節になると満開に咲き誇る。


「リファナ様のお部屋の前にある廊下からは、ちょうどこの庭園が見えるわ」

「そうらしいな」


 おそらくそんな話も庭師に聞いたろう。ヴィンセントは大きく頷き、目を細めてラガラの花を眺めていた。

 マデリーンは眉間を僅かに寄せ、注意深く言葉を選び紡ぐ。


「愚かな女よ、全てを奪われていることを知りながら、どうか陛下をお願いします、なんて言うのだから」


 ヴィンセントの視線が、ゆっくりとマデリーンのほうを向く。どうか少しでも伝わりますようにと願いを込め、さらに残った言葉を続ける。


「お人好しのヴィクトル陛下にはお似合いのかただったわ」

「マデリーン、君は……」


 ヴィンセントはなにかを言いかけたが口に出さなかった。

 この辺りでやめておこうと思っているのに、マデリーンから溢れた言葉は止められない。ティーポッドを持って黙って控えているローレンスを見てから、背を正してヴィンセントを見据えた。


「ヴィンセント王、人払いをしていただける?」

「そのために宰相に給仕を任せているが、それでもか」


「でもわたくし、この男を信用していないわ、そちらの騎士も」


 食えない相手だと判断したからこそ、マデリーンは真っ直ぐに言い放った。

 睨み合いになるかと思ったが、ヴィンセントはあっさり頷く。


「わかった、ローレンス、アラン、呼ぶまで下がっていろ、彼女の話を聞いた上で俺の判断で伝える」

「我々のほうも、同じくらいにはこのかたを信用しておりません」


 仕返しとばかりにローレンスがちくりと刺すように言う。


「問題ない、俺のほうがお前より腕は立つ」


 だが、ヴィンセントは追い払うように手を振った。

 そこまでされて、ようやくローレンスも聞き入れた。


「……わかりました、離れた場所で控えさせて頂きます」


 ローレンスとアランが遠ざかるのを見届けると、ヴィンセントはマデリーンへと向き直った。


「それで、わざわざ俺の腹心を遠ざけてまでの話があると」


「陛下は先代から、鍵の力を引き継いでいて?」


 まずは確かめる必要がある。

 唐突にマデリーンは話を切り出した。

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