ぷりずん。
若阿夢
未唯(前)
叔母の未唯は、母の家系、坂上家にしては、次女であったのもあり、破天荒な人生を歩んだものだ。未唯の20代には、行方を眩ました数年間が存在する。坂上家の連中はその時のことを知らないが、いつだったか、私は未唯から直接聞いた。アンダーグラウンドっぽく、新聞社か雑誌社の文章の校正をしていたらしい。婚約者の手から逃れるためだったそうだ。
しかし、BaBaAこと伸子をはじめとした坂上家の者達には理解されず、未唯は見つかって、連れ戻されて結婚することになった。未唯はその後、幼い子供連れで離婚し、私立大学で教鞭を取り、大学教授まで上り詰めた。
「をを!」
と、私は思った。なぜなら、私の叔母の時代は、男尊女卑もいいところの、昭和ど真ん中なのだ。子連れ離婚で皿洗いのパートではなく、女で、大学教授になるには、どれだけの摩擦をぶっ飛ばしたのだろう。私は坂上家は大嫌いであるが、この「らしくない」叔母の未唯は結構好きだった。
…
過去形である。80になった未唯は収容されている。
…
一年前だったろうか。母、若阿琉が、
「未唯ちゃんに電話したい。」
というので、私は母の携帯を取り、矛能尾ケアセンター尻和里を選択して発信し、スピーカーホンにして渡した。
「もしもし、私、坂上未唯の姉の琉と申しますが、未唯をお願いできますでしょうか。」
母は、目こそ全盲だが、耳の難聴は補聴器でクリア、口は達者である。
「お待ちください。」
抑揚のない声で、スタッフが答え、未唯が電話口に出た。
「未唯ちゃん、元気。どうしてる。」
「今、本読んでるのよ。これが良くてね。」
張りのある声で、未唯が朗読する。私は聞く気はなかったが、結構いい内容でつい聞き入った。できることなら、作者が誰の何か教えてほしいくらいだった。うろ覚えでの記載が残念だが、
もし、私がおむつをするようになっても、許してほしい。私はあなたのおむつをいつも替えていたのだから。
もし、私が歩けなくなったとしても、付き添って公園に一緒に行ってほしい。私は小さいあなたとよく公園に一緒に行ったのだから。
のように、自分の子育てと老化を対比して合わせた詩だった。
未唯も、朗読の途中で感極まったのか、涙声になってきた。と、その時、突然、電話が切れた。母も私も意味が解らない。私は、再度、矛能尾ケアセンター尻和里に発信した。
「もしもし、先ほど、坂上未唯と電話をしていたのですが。」
「坂上未唯さんですか。ダメです。現在情緒不安定と判断しまして、電話を切り、部屋に戻させていただきました。」
いや、今の会話の文脈的に、そこで泣くのは問題ない。というか、電話をしているこちらに対し、何も言うことなしに電話を切るのは失礼ではないのか。こちらは、さらに輪をかけて、目が見えない為、状況の把握に困難がある母がいるのだが。
母も納得がいかないようだったため、従弟の坂上一に電話をすることにした。
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