第32話 無事でよかった
「どう……落ち着いた?」
「う、うん……心配かけてごめんなさい」
「ううん、大丈夫だよ。クロちゃんに何もなくて……」
右手を胸に当て、大きく息をするファイ。
随分と心労をかけたようで、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。
「そう言えばクロちゃん、様子が何か変わった? 口調も前は男の子ぽっかたような気がしたけど……」
「そうかな……? 自分じゃ自覚がないんだけど……変かな?」
「そんなことないよ! むしろ今のホウが女の子らしくて、私は好きかな」
本当に実感がない。自分の口調というものは、自分では分からない。
もしかしたら、これがクロ言う合体の影響だろうか。
肉体に引っ張られて、精神までとうとう少女のものに変化したのかもしれない。
しかしそれでもいいと考える自分がいる。
クロが傍に居てくれるような感覚を覚えるだけではなく、ファイがこちらの方が良いと言ってくれているのだ。
そう思えば、この変化も悪いものではない。
「えへへ……」
途端に嬉しくなり、頬がだらしなく緩んでしまう。ファイの方も自分に釣られるように、顔に笑みが浮かべいく。
そしてお互いの顔に視線がいくと、小さいながらも室内は自分達の笑い声に包まれた。声を抑えようと、口に手を当てるが、効果は見込めそうになかったのだが。
どのくらい笑っていただろうか。周囲への注意が散漫になり、新たな来訪者の存在に気づくことができなかった。
その人物は、二人の少女であった。
一人はファイと同年代の少女に、もう一人は小学生程度の年代の少女だ。
その二人ともどこか見覚えがあるように感じられた。
いったい誰であったか。思考を巡らせど、答えは出てこない。
「貴女達、ここは病院よ? 静かにしなさいよ。廊下まで笑い声が聞こえてきたわよ」
「う……ごめんなさい……」
「面目ないです……」
「分かればいいわ」
ついついはしゃぎ過ぎたようだ。謝罪の言葉を素直に述べると、ファイと同い年の少女の方は許しの言葉の後に、話題を切り替えていく。
「体調の方はその感じだと大丈夫そうね。……改めてよろしく、篠崎鈴音――魔法少女名はスノーよ」
「スノー……」
その少女――篠崎鈴音は魔法少女スノーの変身前の姿のようだ。通りで見覚えがある訳だ。
篠崎はどこかの学校指定の制服を着用しており、帰宅途中で見舞いに寄ってくれたのだろうか。
そう考えていると、篠崎の後ろにいた少女がこちらを伺うように視線を向けてくる。
「今日は貴女に見舞いのついでに色々と用事があったのだけど、どうしても会いたいというから連れてきたわ」
「ど、どうも……」
「君は……」
こちらの少女も見覚えがある。篠崎に同行してきたということは、この少女も魔法少女なのだろう。
最近出会った人物だろうか。
「わ、私……本名は佐々木杏里……。魔法少女名はアンです……。この間は助けてくださってありがとうございます!」
「アンなの……!? 嘘……『私』の目の前で確か――」
記憶に蘇るのは、濃厚な死を感じさせる光景。
鼻腔を侵してくる鉄臭い香り。怪人が振るう金棒にべっとりと付いた血。
一瞬今自分が置かれている状況が現実ではないのか。
そんな錯覚に陥ってしまう。呼吸が荒くなり、動悸が早くなる。
「――クロちゃん! 大丈夫だよ! 私も杏里ちゃんもちゃんとここにいるよ! 生きてから、安心して」
「お、お姉さん……ありがとう……」
そんな時自分の華奢な体が抱きしめられた。ファイの仕業であった。
彼女の体温が伝わってくる。温かい。次第に感情の揺らぎが落ち着いてきた。
これなら問題なさそうだ。ファイにそのことを伝えて離れてもらい、杏里の方に向き直る。
「アン……いや杏里だったかな……。無事で良かったよ……」
「ううん、私の方こそ迷惑かけてごめんなさい……!」
杏里は涙ぐみながら、謝罪を口にする。
自分は――『クロ』は二人を助けることができたんだ。
胸の支えが完全に取れた。
――ありがとう、『クロ』。
右手を胸に当て目を瞑り、心の中で感謝の言葉を呟く。
数分後篠崎は杏里を連れて、病室を退出していった。
そして篠崎と入れ替わるように、一人の女性が部屋へと入ってくる。
スーツを一切の乱れなく着用し眼鏡をかけたその女性は、仕事のできる女性、イメージを体現したような人物であった。
その女性は入室に気づいたファイは、驚いたのか声を上げる。
「――米山さん! もうお仕事の方は大丈夫なんですか?」
「ああ、何とか一段落してね……。そっちの子にも聞きたいことがいっぱいあるからね……」
小さく消え入るようなテンションで話す女性――米山。よく見れば化粧できる誤魔化しているが、目元に隈がうっすらと確認できる。
よっぽど激務な仕事なのか。
魔法少女であるファイと面識があるということは、米山の職業として思い至るのは――。
「――初めまして、自己紹介を。魔法庁に務める米山です」
――今まで意図的に避けていた魔法庁との接触をすることになった。
これからの自分の処遇を考えて、話し合いに臨もうと気を引き締めた。
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