恋人は私の秘密を知らない。

肥前ロンズ

第1話 小学校のバレンタイン 前編

 バレンタイン。

 世の中では、とても盛り上がるイベント。……の、はずなんだけど。


 我が家の前に見えるのは、アーケードの下に敷かれた赤いカーペット。そして、『ひな祭り』のノボリと張り紙。

 ここ一帯は城下町なので、藩主に嫁いだお姫様の雛人形がお披露目される。そのため二月から四月まで、どのお店も、バレンタインよりひな祭りのイベントに精力的だ。


 それでも、小学校高学年の女の子たちにとっては、自身の成長を祝うひな祭りより、バレンタインの方が重要なわけで。

 商店街から離れたスーパーやショッピングモールだと、ピンクとブラウンのハートやリボンで飾り付けられている。


「うーん~。どうしようかな」


 そんな中、私は、商店街の製菓店で睨めっこしていた。ここでは、ケーキなどの既製品だけじゃなく、お菓子作りに必要な道具や材料も売っているのだ。


 小学校六年の二月。

 卒業したら、タイヨウくんがこの街から去る。

 色々あって、タイヨウくんは一時期私の家で暮らしていた。今はおば様の家で暮らしているけど、最後のバレンタインはうちに泊まることが決定しているんだ。だから、何か想い出を残したかった。


「タイヨウくん、毎年チョコ貰っているしなあ……私までチョコは重いかなあ?」


 なんなら、タイヨウくんがもらったチョコだって、こっそり私たちも食べている。

 タイヨウくんへの気持ちを込めたチョコレートを私が食べるのはどうかと思ったけど、そんなにチョコレートって食べられないから、皆で消費するしかないんだ。捨てるのも、胸が痛むし。

 どうしようかな、と考えていると、


「ここで何をしてるの? ツキシロさん」


 と、軽やかで涼やかな声がした。

 苗字を呼ばれたので振り向くと、サイオンジさんが立っていた。

 ストロベリーアイスのようなマフラーとホワイトチョコみたいなコート、チョコみたいなロングブーツを履いて、雪のようにふわふわのファーがついた耳あてと手袋をつけている。

 スタイリッシュな格好をするサイオンジさんは、たまに読モをやっていると聞いたことがあった。


「サイオンジさんこそ、どうして!?」

「散歩よ。駅に用があって、時間があったから……というか、質問に答えてもらってないんだけど」


 語尾は強いけれど、声は柔らかい西園寺さんは、その綺麗に整えられた眉を下げる。


「バレンタインのチョコを考えてるの」

「バレンタイン?」


『ショッピングモールやスーパーじゃなくて、わざわざ商店街で?』と言いたげなサイオンジさんに、私は苦笑いした。


「私の家、この商店街の奥にあるから」

「ああ、そうだったわね」


 確かご両親が喫茶店を経営されてるんだっけ、とサイオンジさんが納得する。


「にしても、商店街にも、製菓店があるのね。初めて入ったわ」


 そう言って、サイオンジさんは一番下の棚を見るためにしゃがみこむ。


「意外と色んなものが揃っているのね」


 嫌味ではなく、興味津々に見る姿に、私も同じように座り込んで聞いてみた。


「商店街、入ったことないの?」

「ないわね。前を通ったことはあるけど」


 昔からあるお店に入る時って、すごく緊張しない? と言うサイオンジさんに、わかるかも、と頷く。

 この街には色んなお店が古くからあるけど、まだ入ったことがないお店もいっぱいある。居酒屋さんとかスナックとか。中には「何屋さんなんだろう?」と、看板からではうかがえないところもある。「『バナナとドーナツ』って、お菓子屋さんなのかな」とか。ショーウィンドウがなくて、とてもお菓子屋さんには見えないけど。


「そう考えると、ショッピングモールって入りやすいよね。お店もよく変わるし」

「ねえ。たまに悲しくなるけど」


 そう言って、サイオンジさんは隣にいる私を見た。


「クサカベくんに、チョコをあげるの?」


 クサカベくんとは、タイヨウくんの苗字だ。


「うん。タイヨウくん、今度引っ越すから。って言っても、今年初めて作るから、上手くいくかわからないけど」

「あら。意外だわ」

「意外?」

「チョコ作りって、小学校の女の子が皆やってると思ってたもの」


 そう言われると、確かに、と私は思った。

 好きな男の子に渡すかはともかく、友チョコとかは皆やってるもんね。


「あー……お父さんに、『お前にチョコレートはまだ早い!』って、止められてたんだよね」

「あら。厳しいお父様なのかしら」


 厳しいと言ったら、その通り。

 と言っても、なんだか勘違いされている気がしたので、私は付け足した。


「チョコレートの成分、湯煎の意味と注意点、テンパリングする時の温度の測り方と手順、チョコレートを作ったあとの調理器具の洗い方、これらをカンニングせず答えられるようにならないとダメだって」

「思ったものと違うベクトルの厳しさが来たわ」


 一応、正解しているから、もう作っていいんだけど。チョコレート作りへの気持ちのハードルが上がってしまった。

 最初は「皆してるのに」って思ったけど、調べたらお父さんの言う通り、チョコレートって難しい。チョコレートは油分だから、湯煎した時うっかり水が入ったら台無しだし、洗う時は中々落ちないし。


「てっきり、『娘に彼氏は早い!』とか、そういう類だと思っていたんだけど」

「うちのお父さん、そういう事は言わないかなあ」


 そもそも、本当にそんなことを言うお父さんがいるのかな。娘の恋愛を妨害するって、ストーカーじみててちょっとキモい。

 そう言うと、「ツキシロさんって、結構ハッキリ言うわよね」とサイオンジさんが生暖かい目で笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る