第20話 わかれは近い (日常)

 一昨日おばあちゃんの誕生日だったのでおめでとうの電話をしました。


 昭和2年生まれの 御年97歳。


 去年3週間入院した時に、一気に痴呆が進んでしまいました。


 その前から兆候はあったのですが、今では娘である同居の母の事もわからなくなる時もあります。そばにいない孫の私やひ孫からの電話というのも明日には忘れていることでしょう。


 仕方がないですね。

 自然の摂理にはさからえない。


 身体もあちこち痛むみたいです。

 指先も自然と壊死したものがあります。

 肉体的に限界が近いのでしょう。


 お医者様には老衰でいつお迎えがきてもおかしくないです。と言われています。


 10年前くらいから「長生きしてね」というと、「もう身体がきついから長生きしなくてもいい」と、よく言っていました。


 そのたびにひ孫が産まれたり、別の孫が結婚したりして新しいひ孫を見たいからあと3年くらい生きたい、と気持ちが持ち直していましたが・・・


 昨年末に会った時には、なんだかおばあちゃんが凄く小さく見えました。生命力って見た目の大きさに影響しているのかもしれない。


 そして相変わらず、ささくれなどない綺麗な手をしていました。ぬか漬けで磨きあげた手は、漬物をやらなくなってからも綺麗な手をたもっています。


 実家にいる時は戦時中の話などを、おじいちゃんとおばあちゃん両方によく聞かされていました。


 おばあちゃんは家族で満州に渡り商売をしていたと言っていましたね。早めに引き上げたので、ソ連軍の被害にはあわなかったらしいですが、あと一週間位残っていたら船に乗せてもらえなくて、危なかったとの事でした。


 私は興味があったのでよく覚えていますが、いよいよそういう、いわゆる戦中派の語り部は一人もいないという時代が近づいていますね。


 私の子ども達はいっさいそういう話を身近な人から聞いたことが無いですし。


 ロシアのウクライナ侵攻は対岸の火事では済まされない身近な問題と思っています。


 今後果たしてどうなるのか。


 結果次第では、再び力こそが正義の弱肉強食の世界に逆戻りしてしまいかねないので注視しています。


 

 おばあちゃんの身体の話に戻ると、私も自分の体に不調な時がでてくるなど少し年を取ったので、ようやくおばあちゃんの言っていることが心底から理解出来るようになりました。


 子供の頃には完全には理解出来なかった、アニメの銀河鉄道9○9で皆が機械の身体を欲しがるという設定がわかるようになってきました。元気な身体が欲しいと。


 これは関東に就職することを選んだ時から覚悟していた事ですが、きっとおばあちゃんの死に目には会えないでしょうね・・・


 心に浮かんだ事をつらつらと書き連ねたので、まとまりの無い文章になってしまいました。




 


 


 

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