迷い子クロと銀狼

弥栄井もずま

第1話 迷い子、遠来に遠雷に攫われる

 通学路に神社があるのは、高校に通い出した頃から知っていた。

 

 高くて急な階段があるため、境内まで見通すことはできない。通学時に必ず神社の前を通るのだが、時間帯のせいか参拝客を見たことはない。境内を実際にこの目で見てはいなくとも、人気のない静かな神社の光景を勝手に想像していた。何度か参拝してみようかと思ったこともあったが、高い階段を見上げる度に、今日ではない、という謎の意識が芽生えた。まだ、呼ばれていない、と。どうしてそんな考えが浮かんだのか自分自身でもわからないが、わたしはそれに素直に従っていた。

 

 ある春の日のことである。学校が早く終わり、まだ日が高い時間に帰路につくことができた。自転車を漕ぎ、風を感じながら坂を下り、今度は坂を上る。帰りの上り坂の中腹に例の神社はある。いつもなら特に何事もなく通り過ぎるところだが、その日は違った。なんだか神社が気になるのだ。呼ばれている、そう思った。

 

 参道となる階段の脇に自転車を一台停められる程度のスペースがあるのに気づき、わたしはそこへ愛車を停めた。背負っていたリュックを肩から下ろし、中を漁る。目当てのものが手に当たった感覚がして、その目当てのものを取り出した。財布だ。母から中学卒業のお祝いに、と買ってもらった二つ折り財布。財布の小銭入れを開け、十円玉があるのを確認する。お賽銭はお供えできそうだ。念の為自転車に鍵をかけ、財布から取り出した十円玉を握りしめたわたしはリュックを背負い直して今一度急な階段を見上げる。


「よし……」


 参道の真ん中を避けるように階段の端を歩く。急な階段を一段一段踏み締めて上った。それを何度か繰り返し、やっと頂上の境内があるであろう拓けた場所に出た。階段を上るため足元に落とされていた目線を正面に向ける。するとそこには。


「桜……すごい……」


 御神木と思われるしめ縄を施された桜の木が、それほど広くない境内を覆うように枝を伸ばし、その枝全てに美しい桜の花をつけていた。そして、落ちた花びらはまるで桜色の絨毯のように境内全体を埋め尽くしていた。その様はまさに圧巻で、桜の絨毯に足を踏み入れていいのか迷うほどだった。新雪に足跡を残すのが惜しく感じられるように、この桜色を踏みつけてしまうのが惜しくてたまらない。だが、参拝するにはこの絨毯を越えなくてはならない。恐る恐る桜の花びらの上に踏み出す。すると、ふわりとした感触が靴底越しに感じられた。靴があまり汚れていなかったこともあってか、足跡がつくことはなかった。それに安心して御神木であろう桜の木に近づいてみる。太くどっしりとした幹から、境内を覆い、包み込むように低い位置に枝が伸びている。小柄なわたしでも、場所によってはジャンプすればなんとか枝に手が届くかもしれない。御神木が神々しくてそんな失礼な真似はできなかったが。

 

 御神木に一礼して背を向けた。今一度足元一面に広がる桜たちを見る。鮮やかな桜色は境内全体を覆っているので、当然賽銭箱の手前までも桜の地面は続いている。わたしはそっと足を進めた。せめて花びらを踏み躙ってしまわないようにと。そうして賽銭箱の前につく。手水舎を探したが見当たらなかったので、そのままお参お参りしてしまうことにした。賽銭箱に握り締めていた十円玉を入れて二拝二拍手。ゆっくり目を閉じる。初めて詣でることのご挨拶と、ついでに学業のことでもお願いしようかと考えて、神様へと伝えたい言葉を考えるために集中する。すると、遠くで雷のような音がした。今日は晴れの予報だったはず。わたしは思わず目を開けた。


「…………えっ?」


 目の前の風景は一変していた。

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