第4話 死を引き寄せる
毒を食らわば皿まで。
自分が人を殺した――たとえ間接的であっても、僕にとってそれこそが真実だった。
服部先生を救うために、関係のない、余命20年の人を死なせた。
僕が、彼女を死に追いやった。
その罪悪感に狂いそうになりながらも、僕は父を救うために動き出した。
といっても、しばらくはできることなんてない。僕はただ、中学一年の6月頭、父の死の時まで我武者羅に生きた。
それはあるいは、逃避に他ならなかった。
己の罪からの逃避。
罪悪感からの逃避。
近づく父の死への恐怖からの逃避。
逃げて、逃げて、逃げ続けた。
そうして、僕はクラスメイトから遠巻きにされながら小学校を卒業して、中学に進学した。
中学で知り合った新しい交友関係の中には、僕が死の瞬間に出くわしたという事実を気にしない人がいた。
多くの人が「渡良瀬は死を呼び寄せる不吉なやつだ」とか「渡良瀬は死の瞬間を二度も見てしまった不幸なやつだ」とか考える中、彼女だけは違った。
彼女、
物静かで、何を考えているかわからないような人。気配が薄くて、気づけば景色に埋没しているようなタイプ。
だから、僕にとって彼女はどうでもいい人の一人だった。
それよりも、僕はただ迫る父の死を前に思索を続けていた。
また、父を救うために誰かを犠牲にするのか。
僕の手で、父の代わりに死ぬ人を選び出せと言うのか。それとも、今更別の方法を模索しろというのだろうか。
服部先生を救った日以来、僕は人の余命を捻じ曲げるようなことはしてこなかった。ただ、死が近い人の観察は続けていた。
ひょっとしたら僕が関与しなくても死を免れる人がいるかもしれない――そんな願望は、儚い夢に終わった。
近所の大学生は、事件に巻き込まれて殺された。
よく行くスーパーの店員は自殺した。
もう一度救おうと動いた相手、祖父は病死して、僕にはどうすることもできなかった。
運命は簡単には変えられない。ただ、死という運命を他者に擦り付けることはできる。それも、死の種類と場合によるけれど。
選択の時が、近づいていた。
夕食の時間。珍しく早くに父が帰って来ていて、僕たちは三人で囲んで食事をしていた。
今日の晩御飯は揚げ物。
でも、僕の口にはなかなか入っていかなかった。緊張のせいからか、体が揚げ物を受け付けていなかった。
好物のイカリングだって食べる気にはなれなかった。
「体調が悪いの? ひょっとして夏バテ?」
「まだ早いって。……暑さで食欲が落ちてるのかも」
少し汗ばむような時期になってきたけれど、まだ暑さにやられるような季節ではない。
けれど、夏バテと誤解されていた方がいいのかもしれない、なんて思った。
「やあねぇ。今日はお父さんも体調が悪いって帰って来きたし、風邪でも流行っているのかしら。うつさないで頂戴ね」
食後はマスクをすること。
母の言葉に、父は少し苦しそうに笑って。
その手から、箸が落ちた。
カラン、と陶器の皿にぶつかって、箸は床に落ちる。
色褪せた視界の中、父の体がゆっくりと傾いていく。
その姿が、机の天板の下に消える。
倒れた椅子がけたたましい音を立てた。
「父さん!?」
「……っ、ちょっとお父さん! しっかりして、ねぇ!」
パニックになった母が何度も父を呼ぶ。
苦悶の顔をした父は、脂汗をにじませながら、掠れるような声で痛みを訴える。
「っ、そうだ、電話!」
自分以上にパニックになっている母を見ると少しだけ余裕が生まれた。
飛びつくように固定電話の受話器を手に取ってボタンを押す。たった三文字が、ひどくまどろっこしかった。
指が、全身が震えていた。
この緊急事態の中、それでも素早く動けたのは、きっと普段から僕がこうした場面を想定していたから。
電話の向こうに、僕は浴びせるように父の緊急を訴えた。落ち着いた女性の声で、僕に詳細を訪ねる。
言われるがまま、僕はわかる範囲の情報を相手に伝えた。
電話が切れて。
僕は呆然と突っ立ったまま父を見下ろしていた。
その頭上には、8の数字が見える。まだ、父の死まで時間がある。
「
その声は、本当に小さなもののだった。
けれど、かすかな物音にも敏感に反応するほどに過敏になっていた母は、僕のささやくような声を詳細に拾い上げた。
「
鬼のような形相で、母が僕を睨む。しまった――そう後悔した時にはもう遅かった。
「一歩はいつもそうよ! まるで引き寄せるみたいに周囲に不幸をもたらすの! お父さんだって、一歩がいたから倒れたんじゃないの!?……この化け物ッ」
涙を流しながら、憤怒に燃える目で母は僕を見た。
僕は、何も言えなかった。
だって、確かに僕は異常な人間で、化け物のような存在で、勝手な理由で死ななくても良かった人間を殺した畜生だったから。
父が倒れた原因は僕にはない。
でも、死を見ることができる僕が、バイアスに囚われることなく目の前の父をしっかり見ていれば違う未来があったかもしれないと、そう思ってしまったらもう駄目だった。
祖父の一件で、病死には対応できないことを理解していたはずなのに。
僕の学びは、何一つ生かされていなかった。
救急車がやって来て、母は一緒に病院に向かった。
僕は一人、家に残された。
――父は、その八日後に、余命の数字が尽きたその瞬間に息を引き取った。
僕は、父の死の原因が病であったことに気づけず、父を救えずに終わった。
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