四、見せましょう! あたしの実力(ちから)今度こそ!

「ほお……仲間か……」

 ゾロムの問いに、ガウリイは首を横に振った。

「『仲間』じゃない。オレはこの娘の『保護者』だ」

「ふむ……まあ、なんでもよいわ、とにかくわしとお前は敵同士、ということになるのだろう?」

「そうなりますね、ご老体」

「なら、ぬしから倒してやろうぞ」

「できるかなっ!」

 言うなり、ガウリイが走る。

「かあっ!」

 気合いとともにり出される炎のムチと銀の針とをたやすくかわし、一気に間合いをめる。

 剣がいつせんした。

 速い!

 はたで見ていて、すじが見えないのだ。

 ガウリイの剣技をじっくりと見るのはこれが初めてだったが、これほどのウデを持っているとは──

 あたしも並の戦士よりは剣が使えるが、ガウリイは格が違っていた。

 いつしゆんにしてゾロムの頭をち割っていた。

 しかし──

「はっ!」

 背後から飛んできた銀光を見事に払い落とす。

「ほう……若いわりにはやりよるわい……」

 何事もなかったかのようにゾロムが言う。

「なんだ……ぞくか……」

 これまたこともなげにガウリイが言う。

 こいつはー。じようきようを理解しているのだろうか? 本当に……

「しかし若いの、それでこのわしを斬ることなどできんぞ」

 その通りである。

 レッサー・デーモンだのブラス・デーモンだのの半魔族ならともかく、こいつのような純然たる魔族はどちらかというとアストラルサイドに属する存在である。それを物質でほろぼすことはできない。をおもいっきり組み込んだそこそこの魔法剣ならゾロムを傷つけることくらいはできようが、ガウリイのそれはどう見ても、いい剣ではあったが、ただの剣にしかすぎない。

 あたしの剣にも一応護符が組み込んであるが、これでもやや力不足だ。

 ゾロムが指摘したのはそういったことである。

 しゃーない。これはあたしが少し本気を出すしかないか……

「──れるさ」

 あっさりとガウリイが言う。……わかっとんのか? この男は!?

「ほほぉ……」

 しんそこ馬鹿にした調ちようでゾロムが言う。

「なら、斬ってみてくれるか。──できるものなら、の」

「では──お言葉に甘えて……」

 ガウリイは何を思ってか、剣をパチン、とさやに納め、かわりにふところから一本のはりを取り出す。

「まさかそのはりでわしを倒す──などと言い出すのではなかろうな」

「まさか」

 笑いながら納めた剣のつかに左手をかける。

「針で〝る〟ことなんてできるわけがないでしょう?」

「なるほど、理屈じゃのう……ではそれでどうするつもりじゃ?」

「こうするんですよ」

 つんっ、と、右手に持った針で、左手でささえた剣の柄をつついた。

 ……おやま?

 刀身を柄に固定する留め金のある場所である。つまるところガウリイは、柄と刀身とを分解しようとしている──ということになるのだが?

 針をふところにしまう。

「──わかっていただけましたか?」

 わかるかい! そんなもん!

 しかしガウリイのこの落ち着いた態度、よほど自信があるか、あるいはアホかのどちらかである。

「──お若いの……おぬしの言うことは、どうもいま一つ、わしにはわからんのだがな……」

「なら──これでっ!」

 右手を剣のつかにかけて、ガウリイが突っ込む!

 あほかいっ!

「よくわかったよ! お前がどれほどおろかな男か!」

 ゾロムが叫ぶ。現われた十数本の炎の矢が一気にガウリイ目指して突き進む。

「なんのっ!」

 すごいっ!

 あれだけの炎の矢をすべてよける。

 しかし、相手のこうげきをいくらよけたところで、相手が倒せるわけではない。

 間合いを一気にめる。

!」

 ガウリイがえた。

 あたしは目をった。

 ゾロムがこうちよくする。

 硬直したまま、真っ向から両断された。

 悲鳴すら上げるいとまもなく。

 今度こそ、真のほろびがゾロムの上にもたらされた。

 ガウリイが右手に持った剣──刀身を抜いたはずの剣に、光の刃が生まれていた。

「光の……剣……」

 ──そう──

 あたしの目の前にあるそれは──ガウリイの右手にさん然と輝くそれは──

 まぎれもなく、伝説にある、あの〝光の剣〟だった。

 ゾロムの体がくずれ去る。

 ガウリイが抜いた刀身は、光の剣のさやの役割を果たしていたのだ。

「ガ……ガウリイ……」

 やっとのことであたしは言った。声がかなりかすれている。

「よお」

 彼はあたしを見て、にっこりとほほんだ。

「また会えたな。──元気だったか? おじようちゃん?」

「ガウリイ──!」

 あたしはけ出した。

 全力で、ガウリイのもとへ。

 彼は、光の剣をゆっくりと〝さや〟におさめ、静かにそこに立っている。

 その前であたしは立ち止まり、じっとそのなつかしい顔を見上げる。

「ガウリイ……」

「リナ……」

「その剣ちょーだいっ!」

 こけけっ!

 ガウリイがかなりおおに突っした。

 ……そんなことはどーでもいいんだ。

「ねーっ、お願いっ! それちょーだいっ! ねっ! ねっ! ねっ!」

「あ……あのなあ……」

 ガウリイは頭をきながら起き上がる。

「オレはまた、再会を感激してとびついてくるもんだとばっかり思ったが……」

「感激は後でするから、とりあえずそれ、ちょーだいっ!──いや、タダでなんてあつかましーことは言わないわ。──五百! 五百でそれ売って!」

「あーのーなー!」

 ガウリイの声が大きくなる。

「五百……って、ンなもんレイピア一本買えねーじゃねーか!」

「んー、じゃあ思い切って五百五十! えーい! 持ってけどろぼー!」

「ドロボーはお前だっつーのっ!……まつたく、どこの世界に〝光の剣〟をそんな値段で売り渡すバカがいるってんだ……」

「ここの世界」

「おまえなーっ」

 何をおっしゃいますやら。

 自分の払う金は、たとえ銅貨一枚でも大金である。──やっぱあたしは商売人の娘だ。

「……第一、これはオレの家に代々伝わる大事な家宝の剣。いくらお前が金を積んだって、売ってやるわけにはいかん!」

「──じゃああたしンで家宝にして、代々伝えてあげるから、タダでちょーだいっ! それならいいでしょっ、ねっ! ねっ!」

「あ……あほかいっ! どーいうくつをこねまわしとるんじゃっ! やらないったらやらないっ!」

「まあっ! ひどひっ! 女の子にそんなにつれなくするなんてっ! あんまりだわっ! あたし泣いちゃうっ! しくしくっ!」

「泣け!」

「──とまあ、じようだんはこれくらいにしておいて……」

 いきなり真顔にもどったあたしについてゆけず、再びガウリイが突っす。

「な──何なんだ、そりゃ!」

「いいから聞いて、詳しく説明しているひまはないんだけど、あたしをやつらの手から助けてくれた人が、ピンチなのよ。多少の借りもあることだし、なんとかいつしよに助けてあげてくんない?」

「あ……ま、まあ、いいけど」

「おしっ! 決まりっ! じゃああたしについて来て!」

 言うとあたしはけ出した。ゼルガディス救出のために。

 

 さすがにゼルガディスといえど、やはりこれだけの相手を敵に回すのは相当キツいらしく、かなりの苦戦をしいられていた。

 それでもオーガ、バーサーカーなどのとりまきたちのほとんどを片付けていたが、メイン・ディッシュ──ディルギア、ワーマンテイデユが丸々残っている。

 そこにあたしたちがけつけた。

 ガウリイが手近にいたデユを、有無を言わさず〝光の剣〟でり倒す。

「やっほー! 助けに来たわよーっ!」

「おお!」

 全員が目をみはる。

 形勢は一気に逆転した。

 レゾの部隊はじりじりと退がりはじめる。

 残っていたオーガ、バーサーカーたちも、一人、また一人とその数を減じていく。

「くうっ!」

 ディルギアがうめく。

 と──

「むうっ?」

 今度はゼルガディスがうめいた。

 あたしたち三人は足を止める。

「……ん?」

 ディルギアは後ろを振り返り、えつの表情を浮かべた。

「ロディマス!」

 そう──

 そこには、ハウルバードを手にしたあの中年剣士ロディマスと、はじめて見る顔──かなり美形のオジサマ♡が一人。

 ……いや、ハートマークなんぞつけて喜んでいる場合じゃないんだって。

「よく来てくれた! 助かったぜ!」

「これで五分──だな」

 ワーマンテイが言った。そのしゆんかん──

 ロディマスが、問答無用でディルギアをなぐり倒した。

 ワーウルフはもののみごとに吹っ飛んで、近くの木にど派手な音を立ててぶつかる。

 そして──それきりピクリとも動かなかった。

「ロ、ロディマス、何をっ!」

 ワーマンテイあわてる。

「気でも狂ったか!」

「狂ってなどおらん!」

 のっしのっしと歩いてくる。

「わしが忠誠をちかったのはゼルガディス殿。赤法師なんぞと言うわけのわからぬやからに義理立てするいわれはない!」

「き……きさまというやつはっ!」

 逆上して突っかかっていく。が、これはモロにハウルバードのエジキだった。

「どぉりゃあっ!」

 ロディマスがえたそのしゆんかん──勝負はついていた。

 ワーマンテイは、ものの見事にどうを上下に両断されていた。

 下半身はなおもそのまま何歩か走り続け、木にぶつかって倒れる。

 上半身は地に落ち、かなり長いケーレンの後、その動きを止めた。

 残りのたちがの子を散らしたのは言うまでもない。

「──助かったぜ。とりあえず礼を言わせてもらうよ」

 ゼルガディスは言った。

「なんか今一つ事情が飲み込めんが──まあ、いいってことよ」

 ガウリイはあいまいな笑みを浮かべた。

「……しかしおまえたち、いいのか? 本当に」

 と、今度は中年剣士たちの方に向き直る。

「なぁに、かまうものですか」

 美形のオジサマの方が言う。……はて、この声は確かどこかで……

「すまんな、ロディマス、ゾルフ。つまらんことにつきあわせて」

 ぞ……ぞ……ぅ!?

 ──ということは、この美形中年があのミイラ男の正体、ということなのだろーか!

 信じらんないっ!

 の中身がこんなハンサムとは……

 チラリ、とゾルフはあたしの方に視線を走らせた。

「……よお……じようちゃん……まだ生きていたのか」

 むかっ。

 いつしゆん、『美形だから許そう』とか思ったのだが、今の一言で気が変わった。──とはいえ、ここで〝赤法師〟という共通の敵を持つ者同士、いがみ合っても仕方がない。

「──ま、味方は多いに越したことはないし、今までのことは忘れるわ」

 しゆしようにもあたしは言った。

「あなたがいくらあたしたちの足をひっぱっても、あなたがどーしようもない三流のどうでも、あくしゆなサディストでも、味方は味方。枯れ木も山のにぎわい。あたしたちがちゃんとフォローしてあげるわ。うらみなんか忘れて」

「……ちゃんと根に持ってやがる」

「あら、気のせいよ。ひがみとコンプレックスと、確たるよりどころのないゆがみまくったプライドのせいでそんなふうに思えるだけよ」

「小娘……っ」

「待てよ、リナ」

 ガウリイが口をはさんだ。

「それより、ちゃんと事情を説明してくれないか? どーもまだ今一つ、じようきようがのみこめんのだが……」

 あ、そー言えば。

 まだ彼には何も詳しい事情を話してはいない。

 あたしはこれまでのいきさつをかいつまんで話し始めた。

 

「……というわけよ。わかった?」

 沈みゆく夕日を背にしながら、あたしは事情説明を終えた。

「──わかった?」

 もう一度言う。

 ガウリイは答えない。ぽーっとすわったまま、ウツロな目であたしを見て──いや、ながめている。

 他のみんなも地面に座り込んでいる。

 やはり昼間の戦闘がこたえているのだろーか。……しかし、女のあたしが平気だっていうのに、全くだらしがない。

「……しかし……お前……」

 ロディマスが疲れた調ちようで言った。

「ほんっとよくしゃべるなァ……」

「──そお?」

 全員が大きくうなずいた。

 そーかなー?

「ま、とにかく、これで大体のことはわかったでしょ?」

「……心理びようしやと情景描写はとにかく、話のスジは大体分かったよ」

 ガウリイはこしを上げた。

「──なら聞きたいのだが──」

 ゼルガディスも立ち上がる。

「おれに〝けんじやの石〟を渡すつもりがあるのかどうか」

「ないね」

 あっさりと言った。

「──だろうな」

 そう言うゼルガディスの言葉に、明らかな敵意が込められている。

「かたや目の治療。かたやえんこん。こんな利己的なことに使われたんじゃあ、〝賢者の石〟の名が泣くぜ」

「おれにケンカを売る気か?」

「いやいや。オレはけんを売る気なんてこれっぽっちもないさ。ただ、〝賢者の石〟は渡さない。そう言っているだけさ。これがおまえとレゾとのしくんだ狂言だっていう可能性もあるわけだしな」

「──やっぱりな。あんたはそう言うと思ったよ」

 ゼルガディスがズラリ、と剣を抜く。

「やはり、これしかないようだな……」

「そうだな……」

 ガウリイも剣のつかに手をかける。

 ざっ。

 ゾルフとロディマスがゼルガディスの左右に展開する。

「おまえたちは退さがっていろ」

 ロディマスは小さく苦笑すると、一歩退しりぞいた。

「し……しかし……」

 ゾルフは言う。

「退っていろ」

 と。再びゼルガディス。ゾルフはすごすごと身を引いた。

「──ちょっと……いいかげんにしなさいよ!」

 と、今度はあたし。

 しかし二人とも、あたしの方を振り向こうともしない。──こりゃかなりマジだわ。

 ゾルフとロディマスもことのなりゆきに注目している。

 二人の間合いが、少しずつではあるが、じよじよまってきている。

 あたしはさらに声をはり上げた。

「いいかげんにしなさいってば!──そりゃあ確かに興味深い対戦になるでしょうけど、他に先にやらなくちゃならないことがあるでしょ!」

まつたく──このお嬢さんのおっしゃるとおりですよ」

「!?」

 声がした。

 すぐ後ろ──いや、耳もとで。

 ツ──

 後頭部──首スジのところに、冷たい感覚が走った。

 ──今動けば──死ぬ──

 あたしは直感した。

 あたしをのぞく全員の視線が、あたしの後ろにいる人物に集中していた。

 だれだかはわかっている。

 声に聞き覚えがあった。

 ゼルガディスさえも恐れさせることのできる人物──

「……レゾ……」

 ガウリイがその名を口にした。

「ごぶさたでしたね。──まあしかし、かたくるしいあいさつは抜きにしましょう。用件は──言うまでもなく、わかっているはずですね、ええ──ガウリイ──さん、でしたね、確か」

「〝賢者の石〟だろ」

「そう。──あ、変な気を起こさないでくださいね。このひとの首筋にさしこんだ針をもう一押しすれば、私は人殺しになる」

 げ。

 自分の置かれたじようきようを知り、あたしは思わず息をむ。

 どっと汗がき出した。

「──ハッタリだ! 渡すなよ!」

 ゼルガディスが悲鳴に近い声を上げる。

〝賢者の石〟を渡したくない一心でのセリフである。

 レゾがはったりをかますような人間かどうか、一番よく知っているのはゼルガディス当人である。

 むろん誰も、ゼルガディスの言葉を信じはしなかった。

 汗がほおをつたい、しずくとなってあごから流れ落ちる。

「なぜ──これがる?」

 ガウリイが言う。

「このひとがさっき説明したじゃありませんか。目が見えるようになりたい──ただそれだけですよ」

「なんで──これほどまでにして……?」

 こわごわ口を開いてあたしは尋ねた。

「説明したところでってはもらえないでしょう──目の見える人には、ね」

 そんなもんですか。

「さあ──石を──」

「──わかった」

「よせ! 渡すな!」

 ゼルガディスの制止を無視して、ガウリイはふところからオリハルコンの神像を取り出した。

「ほらよ」

 神像がを描いて宙をう。

 レゾの右手が伸び、それをしっかりと受け止めた。

「確かに──確かに受け取ったぞ!」

 レゾの調ちようが変わった。

 じやあくな歓喜が言葉のうちにひそんでいる。

「リナを放せ!」

「まああわてるな。すぐに放してやるとも……」

 パキン!

 レゾの手の中で、オリハルコンの像があっさりとくだけ散った。魔力を封じるオリハルコンが、である。

 その中から出てきたのは、一つの小さな黒い石──

 しろうと目にもくろうと目にも石炭のしんせき、としか映らないこの貧相な石が、かくあろう、あの〝賢者の石〟なのである。

 石の力がレゾの魔力に呼応して、魔法では砕けるはずのないオリハルコンをもうち砕いたのだ。

「おお……これよ! まさしくこれよ!」

 トン、とレゾはあたしの背中を突き飛ばした。

「──とっ!」

 数歩たたらを踏んでようやく立ち止まる。

 後頭部に手を回し、首筋から生えた細いはりを一気に引き抜く。

 ぞわわっ。

 かんが走った。

 痛みも何もなかったが、針は親指と同じ位の長さ、あたしの首の中にもぐりこんでいたらしいのだ。よくこれで死ななかったものである。

 ──それだけの技量をレゾは持っている、ということになる。

 ゼルガディスがじゆもんをとなえはじめる。

 ガウリイが〝光の剣〟を抜き放つ。

 そしてレゾは──

 石を持った右手を、口元に持っていく。

 ──まさか──

 その、まさかだった。

 レゾは迷うことなく、手の中のものを飲み下した。

 ごうっ!

「ぶわっ!」

 突然、強い風が吹きつけてきた。思わずマントで顔をおおう。

「うっ、ぐっ……」

 とうとつにこみあげてきたたまらない吐き気に、あたしは口を押さえた。

 風ではなかった。

 吹きつけてきたのは、物質的な力さえ伴った、強烈なしようだった。

 その瘴気のうずの中心で、一人レゾがこうしようしていた。

「かーっ!」

 ゼルガディスがしかけた。

 青い火柱がレゾを包み込む。

 が、それだけだった。

 何のほうをかけたのか知らないが、全くいていない。

 レゾはなおも狂ったように笑いながら叫んだ。

「おお──! 見える! 見えるぞ!」

 あたしは見た。

 生まれて初めて。

 人が、全く異質のものに変わりゆく様を。

 レゾの目が開いた。

 その奥にあったのは、赤い色をしたやみ──

 まぶたの裏に閉じ込められていたものは、ビーのような、血の色をしたいつついひとみ──

「くふっ、く……くはははははっ! ──開いた! 目が開いたぞ!」

 レゾのほおの肉がごそりともげ落ちた。

 その下から白いものがのぞく。

「──何だ!?」

 だれかが叫んだ。

 ごそり。

 こんどは額の肉。

 そして──

 あたしは気づいた。

 彼の正体──レゾの閉じられたひとみによって封じ込められていたものが何であったかを。

 今やレゾの顔は、目の部分にビーをはめこんだ、白い石の仮面と化していた。

 そしてその全身をおおう赤いローブもまた、こうしつの何かに変わっていった。

「──まさか──」

 ゼルガディスがうめいた。

 彼もまた気がついたのだ。

〟シャブラニグドゥがこの地にさいりんしたことを──

 

 やがて、せいじやくがあたりを支配した。

「選ばせてやろう。好きな道を」

 ゆうぜんと立つ、レゾだったもの──レゾ=シャブラニグドゥが口を開いた。

「このわしに再び生を与えてくれたそのささやかな礼として。──このわしに従うならてん寿じゆを全うすることもできよう。

 しかし、もしそれがどうしてもいやだと言うのなら仕方ない。天竜王に動きを封じられた〝北の魔王〟──もう一人のわしをき放つ前に、相手をしてやろう。──選ぶがいい。好きな方を」

 とんでもねーことを言い出した。

〝北の魔王〟を解き放つ──それはとりもなおさず、この世界を破滅に導く、という意思表示だった。

 それに協力しろと言う。

 いやなら自分と戦えと──かつての七分の一にその力を減じたとはいえ、遠い昔、神々の一人とこの世界そのもののけんを争った〝魔王〟と戦えと言うのだ。

 ろん、あたしたちの答えは決まっている。

 世界の破滅を導けば、そこに待っているのはすべてに等しき〝死〟のみ。

 同じ死ぬならきれいにいきたい。

 人間に限らず、普通はそう思う。

 それを十分承知のうえで、レゾ=シャブラニグドゥは問うているのだ。

 どちらを選ぶ、と。

「なにをたわけたことをっ!」

 ほんとに事態を理解しているのかいないのか、ゾルフが声をはり上げた。

おごるな! お前が時間の裏側に封印されていた間、人間も進歩している! 旧時代の魔王など、このゾルフが片付けてくれる!」

 ──やっぱり理解していない。

 両手を高々と振り上げ、じゆもんとなえ始める。


   ──たそがれよりもくらきもの

   血の流れより紅きもの

   時の流れにうずもれし

   偉大ななんじの名において


 ──この呪文は!?

 ドラグ・スレイブ

 くろじゆつの中では最強とされているこうげき魔術である。

 その名のとおり、もとは対ドラゴン用として造り上げられた魔法で、小さな城くらいなら軽く消し去ることができる。これの使えるどうを二、三人もかかえていれば、その国はかなり大きな顔ができる──それほどの術なのだが、まさかこのゾルフがこれを使えるとは……

 言っちゃあ悪いとはぜんぜん思わないが、なんでゾルフ程度の男がゼルガディスほどの男の直属をやっているのかでしかたなかったのだが、これでようやくなぞけたとゆーもんだ、と。

 しかし──

 あたしは気づいていた。

 このやつを倒すことはできないことに。

「やめなさい! ムダよ!」

 あたしは叫んだ。

 ゾルフは耳を貸さない。

「ほう……」

〟は感心した声を出す。

 おそらく、あたしのどうさつに対して。

「あ──」

 ゼルガディスが小さな声を上げる。

 彼も気がついたのだ。そのことに。

 が、ゼルガディスが制止をかけるよりいつしゆん早く、ゾルフがしかけた。

ドラグ・スレイブ!」

 魔王自身がだいばくはつを起こした。

 これこそがドラグ・スレイブの力である。

 これをしかけられて防ぐことのできた人間は、かつて史上に存在しない。

「やった!」

 ゾルフが歓喜の声を上げる。

 同時に。

「逃げろ! ゾルフ!」

 ロディマスが叫んだ。

 彼は本能的に気づいたのだ。

 がまだ、生きていることに。

「──何?」

 事態をまたもや理解していない。

 いぶかしげな顔をして突っ立っている。

「──ちっ!」

 剣士は舌打ちをすると、ゾルフの方に向かってけ出した。体当たりしてでもどかせるつもりだ。

「何でもいいから早く──」

 そのしゆんかん──

 炎のかたまりが二人を飲み込んだ。

「ロディマス! ゾルフ!」

 ゼルガディスが叫ぶ。

 その声にこたえるかのように、いまだうずく炎の中に、一つの人影が現われた。

 燃え盛る炎よりもなお紅い人影が。

 ────

 炎の音にまぎれて、そうだれかの声が聞こえた──ような気がした。

「──逃げるぞ──」

 ゼルガディスはポツリとつぶやいた。

「……え?」

 あたしは思わず聞き返す。

「逃げるぞ!」

 その言葉を合図に、三人は全速力でけ出した。

 

 ……小さく燃える炎を見ていた。

 ガウリイもゼルガディスも、ただ黙ってじっとき火を見つめている。

 ──あー、むちゃむちゃみじめ。

 あたしたちはレゾ=シャブラニグドゥの前に、なすすべを持たなかった。

 今逃げたところで、いつかは──そう遠くないうちに見つかることだろう。

 そうなれば──

「──おれはやるぜ──」

 ゼルガディスがつぶやいた。

 炎がパチン、と音を立ててはぜる。

「勝てっこねえのはわかってるけど──このまま逃げたんじゃあロディマスとゾルフに申しわけが立たないからな……」

 パチン。

 再び炎がはぜる。

「──しゃーない、つきあうか」

 ガウリイが口を開く。

「例えムダだとしても、かといってこのまま放っとくわけにもいかんしな……」

「──すまんな──」

「なに、いいってことさ。オレにとってもごとじゃないしな……」

 そう言うと──

 それきり二人はだまってしまった。

 ろん、わかっている。

 二人があたしの答えを待っていることは。

 言葉でそう言われたわけではない。

 いつ口を開くかと注目されているわけでもない。

 ただだまって、じっとき火を見つめている。

 それでも二人は待っているのだ。あたしが口を開くのを。

「──あたしは──」

 あたしは口を開いた。二人は反応しない。ぜんとして静かに炎を見つめている。

「あたしは──死にたくないわ──」

 あたしもまた、炎を見つめたまま、ポツリと言った。

「──だれも強要はしないさ──」

 ガウリイが、やさしい目で静かに言った。

 あたしは思わずその場に立ち上がった。

「だってそうでしょ? 『死ぬつもりで戦う』なんてバカげてるわよ。それを男の『意地』とか『ロマン』とか言うのなら、そんなくだんないもん捨てちゃいなさい! どうやったって死んだら終わりなのよ!」

「まあ──好きにするがいいさ」

 ゼルガディスが言った。

「逃げ回るのは勝手だが、やつの仲間になるってぇのだけはやめとけ。もしもそうなったら、おれたちの手でお前さんを殺さなきゃならなくなる……」

 あたしはこしに手を当てて、大きく息をついた。

「あのねぇ……だれが『戦わない』なんて言いました?」

「え……?」

 二人が同時にあたしを見た。

かんちがいしないでよ。あたしは『負けるとわかってはいるけど戦う』ってぇそのこんじよーがけしからん、と言ってるわけで、『負けるからやだ』なんぞと言ってるわけじゃないのよ。いい? たとえ勝てる確率が一パーセントほどだとしても、そーいう姿つもで戦えば、その一パーセントもゼロになるわ。

 ──あたしは絶対死にたくない。だから、戦うときは必ず、勝つつもりで戦うのよ!

 むろん──あなたたちも」

 二人は顔を見合わせた。

「けどな……勝つって言っても一体どうやって?」

 ゼルガディスが、彼にしては珍しく気弱な声を出す。

「確かにあたしの得意とするくろじゆつで奴を倒すことはできそうにもないけど、あなたのせいれいじゆつだってあることだし……」

「ダメだ」

「だ……え? だめ?」

「そう、ダメだ。あいつが復活する時、おれがしかけたのに気づいたろう?」

「ええ。なんのじゆもんか分からなかったけど、あいつにはじき返されたようだったけど、……まさか……」

「ラ・ティルトだ」

「あちゃーっ」

 あたしは頭をかかえた。

「──なんだ、それ?」

 どうにうといガウリイが尋ねる。

 うーん、しかし、こいつがいると話がスムーズに行かんなァ……

「ラ・ティルト──精霊魔術中最強のこうげき呪文よ。アストラル・サイドから相手をほろぼすわざで、対個人用のじゆもんだけど、生き物に対しての攻撃力は、黒魔術のドラグ・スレイブにもひつてきするとさえ言われているわ」

「どらぐ・すれえぶ?」

 あーっ! うっとーしいっ!!

「ドラグ・スレイブってのは、人間の使える黒魔術の中では最強のもの、って言われているものなの。世間一般ではね。最初にこれをあみだしたけんじやレイ=マグナスが千六百歳のアーク・ドラゴンをこれで倒したことから、ドラゴン・スレイヤー──ドラグ・スレイブの名がついたのよ。あのゾルフ──どうが〝赤法師〟にしかけたのがその技よ」

「けど──魔法がきかないってぇのは、一体どういう理屈でなんだ?」

 あー、いーかげんしんどい。

「パス。ゼルガディス、解説お願い」

せいれいじゆつは地、水、火、風の四大元素、そしてアストラルサイドとを利用した魔術の行使を行なうものだ。ラ・ティルトはリナの言ったとおり、精神世界を活用したじゆもん──だが、どうやら魔王はわれわれよりはるかに精神生命体に近い存在なのだろう。精神世界に対する干渉力も大きく、人間の精神力で作り出した力など、やすやすとはじき返してしまうようだ。つまり、少なくともアストラル系の精霊魔術であいつを倒すことはできないってことだよ。──かと言って、地、水、火、風の四元素を利用した魔術なんて、人間でも打ち破ることはできる。──むろん、術者のレベルによって結果は違ってくるが……

 てなわけで、精霊魔術であれを倒すことはできない、ってわけさ。

 で、黒魔術があいつに効かない理由ってのはいたって簡単。主に黒魔術の力のみなもととなるのは、この世界にある、ぞうきよう、敵意などといった暗黒の意志の力。そしてその力をべるのが、他ならぬ魔王シャブラニグドゥさ」

「ゾルフのじゆもんの冒頭にもあったでしょ。

たそがれよりもくらきもの、血の流れよりあかきもの』って。あれはシャブラニグドゥ自身をさしてるのよ」

 あたしが口をはさんだ。

「……あったっけ? そんなの?」

「あったでしょーがっ! 一体何を聞いて……あ、そーか、ガウリイあなた、カオス・ワーズは知らないんだ」

「カオス・ワーズ?」

 くろじゆつを行使する時に使う言語だが、もういちいち解説する気にはなれなかった。

「とにかく。そーゆーことなのよ。つまり黒魔術で奴を倒そうとするっていうのは、『お前を殺すのを手伝ってくれ』って言ってるのと同じことなのよ。これがどれだけナンセンスな事か、あなたにだって分かるでしょ」

「オレに、ってぇのはどーいう意味だよ」

「──ついでに言うと、白魔術にはこうげきじゆもんは存在しないわ。〝浄化〟の呪文じゃあ、りようやゾンビくらいならとにかく、あいつを倒すには役不足すぎるわね。

 ──とどのつまり、あたしやゼルガディスには奴は倒せない、ってことよ」

「ま、なんにしても、だ──」

 ゼルガディスは視線をガウリイに向けた。

「おれたちの残る頼みの綱はあんたの〝光の剣〟のみってこった」

「つまり、あれと戦うのはあくまでもあなたってことよ。──むろんあたしたち二人も極力あなたのフォローをするけどね」

「けどね──って……お前、そんな気楽に言うけど……」

「他にテがない以上、これしかあるまい。

 ──もっとも、あんたにもっといい考えがあるってのなら話は別だがね」

「いや……ないけど……」

「じゃ、それで決まりね」

「そうか、ようやく決まったか」

 ────!

 三人は同時に目をやった。

 聞き覚えのある、その声の主の方に。

 いつのまにやってきたのか。いつからそこにいたのか。夜の木陰にわだかまる赤いやみ──

 赤眼の魔王、レゾ=シャブラニグドゥ。

「わしとしても、ゾルフだのロディマス程度の相手やただ逃げるだけの相手を滅ぼしたところで、かたらしにもならんしな。

 まあ、このわしの復活に立ち会ったのが不運と思って、トレーニングにつきあってもらおうか。長い間封じられていたせいか、まだいまひとつしっくりと来なくてな。

 しかし安心するがいい。すぐに後からおおぜい行くことになる」

「……いいかげんにしなさいよ……」

 あたしはゆっくりと立ち上がった。

 肩慣らし──ですって──

 トレーニング、と来たもんだ。

 ゾルフは確かにヤな性格だった。

 ロディマスは確かにハンサムとは言えなかった。

 だが──

 殺したところで、肩慣らしにもならない、などと──

 むろんあたしに、りっぱなヒューマニズムなんぞを説く資格があるなどとは思ってもいない。あたしも人を殺したことがあるからだ。それはガウリイにしろゼルガディスにしろ同じことだろう。

 しかし──

 今のセリフだけは許せない。

「トレーニング──と言ったわね。いいでしょう、つき合ってあげるわ。──けど後悔することになるわよ」

「ほう──それは面白いな、じようちゃん。

 ぜひお願いしたいね。それでこそ殺しがあるというものだ」

「殺されてやるつもりはないんだがな」

 ガウリイが言った。二人も立ち上がっている。

「つもりと結末が一致するとは限らん。それくらいはだれでも知っているぞ」

「ええ。誰でも、ね。レゾ=シャブラニグドゥさん」

 あたしは魔王の言葉をそのまま返した。

 ピクリ。

 魔王のからだが小さくふるえた。

 おや?

「さて──なら行くぞ」

 何事もなかったかのように魔王は手にした杖でトン、と軽く地面を突いた。

 そのたん──

 大地が動いた。

 いや──!

 動いているのは大地の下にあるもの──森に生えた木々の根だった。

 それらは魔王ににせたましいを与えられ、無数のへびとなって地面からい出てきた。

「……意外とつまんない芸ね」

 あたしは鼻先で笑った。

「ほい、ゼルガディス」

「おうよ!  ダグ・ハウト !」

 彼はしゆんにあたしの意図をみ取った。

 今度は本当に、地面が揺れた。

 そのひと揺れで、木の根でできた蛇たちはことごとく断ち切られた。

  ダグ・ハウト が、木の根が這い回る地層にずれを生じさせたのだ。

「じゃ次、あたしね、あたし!」

「どうぞ、お嬢さん」

 ゼルガディスが苦笑する。

「さて……どんなわざろうしてくれるのかな?」

 魔王が言う。

「いえ──つたない小技ですけどね。──いきますよ」

 右手を軽く上げる。

 光の球がそこに生まれた。

「まさか、ファイアー・ボールだなどと言うのではなかろうな?」

 魔王がクギを刺す。

「ぎくっ。──実はそーだったりして……」

 あたしはそれを彼にむかって軽くほうり投げる。

 火球はたよりなく魔王の方に向かって飛び、その目の前でピタリ、と止まった。

「ふぅん……一応アレンジはしてあるんだな……」

 自分のまわりを不規則に飛び回る光の球を、さして気にする様子もなく、赤眼の魔王は落ち着いた声で言った。

「しかし、これにちよくげきされたからと言って、わしは痛くもかゆくもないぞ」

「わかってますって。これはいわば、単なるデモンストレーションなんだから」

「そういうものにつきあうしゆはないね、残念ながら」

 レゾ=シャブラニグドゥは手にした杖を軽くふりかざした。

 そのしゆんかん ──

「ブレイク!」

 あたしはパチン、と指を鳴らした。

 光の球が分裂し、せんを描いて魔王の周りに降りそそぐ。

「な……なんとっ!」

 さしもの魔王もここまでは予想していなかったらしく、驚きの声を上げる。

 炎と砂煙とがいつしゆんその姿をおおい隠す。

「ガウリイ! あなたの番よ!」

「おうさっ!」

 ガウリイが走る。〝光の剣〟をたずさえて。

「行け! ガウリイ!」

 ゼルガディスも叫ぶ。

ほろびろ! 魔王!」

 ガウリイがえた。

 光の剣がうなる。

 そして──

 

 赤眼の魔王、レゾ=シャブラニグドゥは小さく笑った。

「光の剣──か。確か、どうサイラーグを一瞬にして死の都と化したじゆう、ザナッファーを倒した剣──だったな。しかし、おとろえたりとはいえこの魔王と、魔獣ぜいとをいつしよになどしないでいただきたいな」

 彼は──魔王はあろうことか、光の剣をでにぎりしめていた。

「さすがに少し熱いが、まあ我慢できん程度ではないな」

 とんでもないものである。

「く……くうっ!」

 ガウリイがうめく。

 どうやら押そうが引こうが、びくともしないようである。

「若いの、剣の腕は達者なようだが、このわしを倒すには武器のうつわが小さすぎたようだな。……しかし、こんなものか。人間というのは……なら……」

 ばくはつが起こった。

「ぐわっ!」

 ガウリイが吹っ飛ぶ。

 地面にたたきつけられる。

「ガウリイ!」

「──だ……だいじようだ……」

 どう見てもには見えないかつこうで地面にはいつくばったまま、彼は言った。

「安心しろ。すぐにとどめは刺さん」

 魔王が言う。──やなやつ。ま、人の良い魔王などというよーなものがいたら、それはそれでまたブキミだろうが。

「くっ……!」

 ゼルガディスがあと退じさる。

 その姿が、しゆんに炎に包まれた。

「ゼル!」

「なぁに、やつは岩の体さ。これくらいで死にはせん。それよりおじようちゃん……」

 ぎくぎくぎくっ!

「ずいぶん大きなことを言ってくれたが……えらくがっかりさせてくれたな。この礼はしてもらわねばなぁ……」

 ひええっ。

 ずいっ。

 一歩、魔王が歩みを進める。

 と、その時。

 何かが目の前に飛んできた。

 あたしは反射的にそれをつかむ。

 剣のつかだけの部分──?

 光の剣!

「──使え、リナ!」

 ガウリイが言う。

「剣の力にお前のくろじゆつの力を乗せるんだ!」

「──おろかな──」

 馬鹿にしたようにレゾ=シャブラニグドゥが言う。

「光の力にやみの力が上乗せできるものか」

 その通りだった。

 光のぞくせいを持つ魔法と闇の属性を持つほうとを掛け合わせることなどできない。

 魔法が互いの力を打ち消し合ってしまうからだ。

 しかし──

「剣よ! 我に力を!」

 あたしは手の中のそれを高々とふりかざした。

 光の刃が生み出される。

 ガウリイの時はロング・ソードサイズだった光の刀身が、バスタード・ソードなみの長さになっている。

 ──やっぱり──

「ハッ! ムダなことを!」

 魔王がちようしようする。

 しかし、その声のなかにじやつかんあせりが含まれているのにあたしは気がついた。

 あたしはじゆもんえいしようをはじめた。

 形式はドラグ・スレイブとほぼ同じ。

 しかし、呪文をささげるのは、この世界の暗黒を統べる、シャブラニグドゥに対してではない。

 その部分を、旅のちゆうで立ち寄ったある王国の伝説に伝わる〝ロード・オブ・ナイトメア〟──魔王の中の魔王、天空よりとされた〝こんじきの魔王〟に置き換える。

 シャブラニグドゥの力を借りて行使する黒魔術でシャブラニグドゥ自身を傷つけることはできない。しかし、同等かそれ以上の能力を持つ別の魔王から借りた力でなら、『赤眼の魔王』にダメージを与えることはできるはずである。


   やみよりもなお暗きもの

   夜よりもなお深きもの

   こんとんの海にたゆたいし

   こんじきなりし闇の王


 シャブラニグドゥが動揺の色を浮かべた。

「こ……小娘っ! 、なぜお前ごときがを知っているっ!」

 あたしはかまわず続ける。


   我ここに なんじに願う

   我ここに 汝にちか

   我が前に立ちふさがりし

   すべてのおろかなるものに

   我と汝が力もて

   等しくほろびを与えんことを!


 やみまれた。あたしのまわりに。

 夜の闇より深い闇。

 決して救われることのない、みようの闇が。

 ぼうそうしようとするじゆりよくをあたしは必死で抑えていた。

 もしここで呪文のせいぎよに失敗すれば、あたしは生体エネルギーのすべてを魔法に吸い取られ──死ぬ。

「ムダだと言うのがわからんかっ!」

 魔王は叫びながら、じゆもんえいしようなしで生み出した数発の青白いエネルギー・ボールを放ってくる。

 おそらく一発だけでも、ちょっとした家の二、三軒くらいなら軽く吹っ飛ばせるほどの力があるだろう。

 が──

 そのことごとくが、あたしにまとわりつくやみの中に消えた。

「なんと!?」

 これこそが本邦初公開、あたしの秘技中の秘技、ギガ・スレイブ

 初めて試しに使ってみた時、あたしの生み出した闇は、浜辺に大きな入り江を造り出した。今でもなぜかその場所には、魚一匹寄りつかず、水ゴケさえも生えないと聞く。

 この呪文だけででも、シャブラニグドゥにダメージを与える自信はあった。

 しかしまた、この呪文だけで『赤眼の魔王』を倒すことはできないこともわかっている。

 あたしがいくらがんばったところで、人間と魔王──この歴然たるキヤパシテイの差はどうしようもないのだ。

 残る手段はガウリイの言うように、光の剣の力を借りるしかないが──

 光の剣の輝く刀身もまた、あたしをとりまくやみに吸い取られつつある。

 剣によって生み出された『光』の力と呪文の生み出す『闇』の力が互いを打ち消しあっているのだ。

 ガウリイはただ単に、こうなることを知らなかっただけなのだ。

 あたしはそのことを知っていた。

 たぶん、それ以上のことも。

 そしてシャブラニグドゥもまた。魔王のあせりがそれを証明していた。

 ──やってみるっきゃないっ!──

つるぎよ!──」

 あたしは叫んだ。

「闇を食らいてやいばと成せ!」

「なにぃっ!」

 ギガ・スレイブによって産み落とされた闇が、手にした剣にむかって収束していく。

 思ったとおり。

『光の剣』の正体は、あたしが想像していた通りのものだったのだ。

 つまりそれは、人のものなのだ。ふだんはそれが、一番解りやすい『光』の姿をとっているにすぎない。あたしがそう確信を持ったのは、意志力は強いが、その拡張たる魔力を持たないガウリイが手にしたときに比べ、意志のコントロールにれているあたしが扱ったときの具現率が大きかったからである。

 しかし──これではたして本当にあれを倒せるかどうか──正直いって自信はない。

 あと一つ──あと一つ何かがあれば──

「こざかしいっ!」

 魔王はしやくじようかまえる。

 低いつぶやき──今まで聞いたことのない言葉が風の中に流れる。

 ──じゆもんえいしよう──

 まずいっ!

 ギガ・スレイブで生み出されたやみをすべて剣が吸い取るまで、いましばらくの時間がる。

 どんな魔法でも、多かれ少なかれ、呪文の行使をしている間、術者のまわりは魔法的なけつかいがはり巡らされる。ギガ・スレイブをコントロールしている時なら、かなり強力なエネルギー・ボールでも完全に防いでしまうが、はて、『魔王』が呪文まで唱えて全力投球してくれる呪文にまで耐えうるかどうか……はっきし言って、試してみたいなどとはアリのしよつかくの先ほども思わない。

 それに第一、ギガ・スレイブのエネルギーは今、剣にそそぎ込まれている真っ最中である。この状態でいまだに魔力結界が有効かどうか、これまたはなはだ疑問である。

 魔王の杖の先端に、赤い光が生まれた。

 あちらの方が早い!

 といって、ちゆうはんで打ち出したもので魔王が倒せるはずもない。これは──

「やめろ!」

 声がひびいた。

 ゼルガディス。

「もうやめろ!──あんたがあんなにも見たがっていた世界じゃねえか! それを──なんでこわしちまうって言うんだよ! レゾさんよ!」

 かなり混乱しているようで、おそらく自分が何を口走っているのかすらわかってはいないだろう。

 が──

 呪文が止んだ。

 魔王の杖から、赤い光が消える。

 レゾ=シャブラニグドゥは静かに、地に倒れたゼルガディスを見つめる。

 ──見つけた!──

 を!

「──愚かなことを──」

 シャブラニグドゥはしばしの間をおいて、彼の言葉をあざける。

 そのしゆんかん、あたしの手にした暗黒の剣が完成した。

!」

 あたしは叫んだ。暗黒の剣を大きくふりかぶりながら。

「選ぶがいい! このままシャブラニグドゥにたましいを食らい尽くされるか! あるいはみずからのかたきをとるか!」

「おお……」

 歓喜の声と──

「ばかなっ……」

 あせりの声とが──

 同時にの口を突いて出た。

つるぎよ! 赤きやみを打ちくだけ!」

 あたしは剣を振り下ろす!

 黒い光──そうとしか形容しようのない何かが、魔王に向かってつき進む。

「こんな半端なシロモノ! はじき返してくれるわ!」

 魔王が杖をかまえる。

 暗黒のエネルギーかいせまる。

 そして──


 ズヴゥン!


 黒い火柱(?)が天をいた。

「あ……」

 あたしは小さくうめいた。流れ落ちる汗をぬぐおうとさえせずに。

 その火柱の中に、うごめくものの姿を認めたのだ。

 

 やがてそれは静かにおさまった。

「く……」

 そして

 あたしはその場にひざをついた。

「く……くっ……くははははぁっ!」

 魔王のこうしようくらい森にひびいた。

 

「いや……まつたくたいしたものだよ。このわしも、まさか人間ぜいにここまでの芸があるとは思わなんだ」

 ぴしり。

 小さな音がした。

「気に入った……気に入ったぞ、小娘。お前こそは真の天才の名を冠するにふさわしい存在だ」

 めてくれるのはうれしいが、それを喜んでいる余裕はなかった。

 今のいちげきで、あたしはほとんどの力を使い果たしていた。もはや小指の先ほどの火の玉を出す力すら残ってはいない。

 ただ地面にへたり込み、かたで荒い息をするだけである。

「しかし……残念よの……これでもう二度とは会えぬ。──いかにお前がたいどうと言えど、しよせんは人間」

 ぴしり。

 ──またあの音だ。

 一体何の──

「魔道を使したところで、生きて数百年。

 このあとこの世界の歴史がどううつろうかはこのわしにも分からんが、お前の生あるうちに別のわしがかくせいすることは、まずありえまいて……」

 ──え?

 それはどういう──

 あたしは顔を上げ、そして見た。

 魔王シャブラニグドゥの体中を走る、無数の小さなれつを。

 これは──

「長い時の果てに復活し、もう一度お前と戦ってみたいものだが……何にせよ、それはかなわぬ望み──お前自身に敬意を表し、おとなしくほろびてやるよ……」

 ──これで──眠れる──

 二つの声が重なった。

 赤眼の魔王シャブラニグドゥと、そして、赤法師レゾとの。

 ぱきん。

 魔王の仮面の、ほおの部分が割れ落ちた。

 それは大地に着く前に、風とくだけて宙に散る。

「面白かったよ……じようちゃん……」

 ──ありがとう──すまない──

 ぴきん。

「本当に……」

 ──本当に──

 ぱりっ。

「く……ふふっ……くふふっ……」

 ぴしっ。

 ぱりぱりっ。

 あたしはただぼうぜんと、笑いながらくずれ去って行く〝赤眼の魔王〟の姿を眺めていた。


 こうしようだけが、いつまでも風の中に残っていた──

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