赤い子


風が歌うよ 風は歌うよ

世界にむしばまれた輩たちよ、死に急ぐなよ

世界の終わりは近い

せっかちせずに少々お待ちよ、我等のごとでも聴きながら。


風は世界を廻るよ、世界を見るよ

風は聞き付けたよ、あの子の声を

うおーんうおーんと泣いていたよ、風は死の匂いを嗅いだ

風が世界を一回りしてきても

あの子はまだ泣いていたよ



嘆きが暗がりを反響する。

「ナム爺、ナム爺ぃぃ」

揺さぶる相手は動かない。

「起きろよぉ、なんで答えないんだよぉぉう」


少年の泣きわめく横で、ぬめった壁がぴくりぴくりと波打っている。

その足元のずっと下方からは、どくどくと脈打つ低音が震動と共に伝わって来る。


「目を開けてくれよ、俺を一人にするなよ、俺は異形なのに、里にもおりてゆけないのに、俺は異形なのにぃぃっ」

少年は既に固くなった枯れ木のような老体にとりすがり、揺さぶり嘆いて飽くことを知らぬ。


赤い涙がぼたぼたと落ちる。

真紅の目から流れるから赤いのか、色の肌を流れるから赤いのか。


「なんであんたは死ぬんだ、俺は目も赤い、肌も赤い、髪も赤い、何もかも、真っ赤なのに。人は俺を受け入れぬ、山母も俺に何もしてくれぬ、あんたの他に誰もいないのにいぃぃ」


赤い地面がずずーっと揺れる。

巨大な少年の母は、その胎内で児が嘆いていようともいつものように脈打つだけだった。

自覚があっても意に介したかどうか。


彼女にとってそれは単なる血管を詰まらせた血の固まりに過ぎぬ。

むしろ自らの不快を招いた原因として凶悪な敵意を呼び起こさずに済んで幸運だったかもしれない。

山たちが動きまわっていたころ、まだ慈愛を知らない彼らのために世界は荒れ果てていたから。




ある時、天から血肉の雨が降った。

彼女は喜々としてそれらをすすった。

頭上で何者かが争っていたかは彼女の関心の及ぶところではない。


鉄錆びのむっとした匂いと共に千々に切られた肉片や内臓が彼女の上に降り注ぐ。

天からの恵みの雨を彼女はたっぷり味わい、その身に浴びて染み込ませたのだ。


しかし、単なる偶然だったのか、命の無念がすがりついた結果だったのか。

一部の肉片が退化し消えかけようとしていた彼女の子宮に辿りつき、着床ちゃくしょうしたのである。


世界創造の余熱が引き、地上が冷めようとしていた頃、誕生のプロセスにはまだ柔軟性があった。

人は鳥や植物と同じ言葉を語り、目を見交わすだけではらむこともあった時代、揺らぎが大いに残っていた。

生死も種の違いも制約とはならなかった。

今でこそ人はそれを奇跡と呼ぶが、昔はそんなことは大して珍しい話ではなかった。

要は世界は大雑把で、今ほど息苦しく整ってはいなかったのである。



胎児は月満ちても彼女の血管に紛れ込んでしまうような大きさでしかなかった。

万が一母性があったとしても、認識もままならぬ微小なものをどうして慈しめよう?


せめて血管に詰まる大きさに育ったのは赤ん坊の強運であった。

痛みにうめいた彼女の声を、山医者が聞き止めたのである。


山医者は、獲物と区別される。

余程山がかつえていない限り、その体内に分け行っても消化されることはない。


少年は血管を切り開いた中から山医者に発見され育てられた。


この世で最後の山医者が死んだことを知覚出来たなら彼女も自分の息子と一緒に嘆いただろうか。

もしもを問うても、所詮は虚しいこだまか。


最後の山医者が死んだのは、しるし

世界は冷めゆき、整然とした世界へ向かう。


創造の余熱を秘めた狂暴な山々も静まり、眠りに就こうとしている。

彼女も寿命を迎えれば、ただの生きていない山になる。


空に咆哮ほうこうすることもなく、緩慢かんまんな動作で動植物問わず食い荒らし恐慌を撒き散らすこともなく、只の大地の隆起りゅうきに。

内臓は粘土に、血は土に、骨と筋肉は石と岩になる。



少年はそのまま母に埋もれるのか、それとも数奇すうきにしか辿れぬ外界の運命を選ぶのか──。

嘆きはまだ続いている。


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