第16話 暇潰しに来た男・後


 しん、と静まり返った居間。


 廊下で頭を下げたまま、下から男の顔をじっと見つめるマツ。

 虎も怯えそうな目で、男の背中を睨みつけるシズク。


「失礼致します」


 能面のような顔で、カオルが男の前に湯呑を差し出し、急須を取って茶を注ぎ、


「お毒見は必要ですか」


 男は答えずに、湯呑を取って茶を啜った。


「良い香りだ」


 ことことこと・・・台所から、鍋の蓋が揺れる音。

 コウアンと名乗った男は笑って、


「ふふふ。カオル殿、鍋が呼んでいるぞ」


「・・・」


 カオルは無視して廊下に座っているが、マサヒデは、


「カオルさん。台所へ」


「は」


 にやにや笑う男の顔を一瞥して、カオルは下がって行った。


「カオル殿は伸び悩んでいるようだな」


「ええ」


「ふむ。剣も良いが、自分の本業が何か、良く思い出して欲しいものだ」


「いや、仰る通りです」


 こんな事まで知っているとは。

 マサヒデ達の周りには、いつもレイシクランの忍が張っている。

 だというのに、普段の生活が、全て筒抜けではないか。


 コウアンと名乗った男は外を見て、


「雨なのが残念だな。良ければ、もう一戦と思ったのだが」


 マサヒデは男に手を延ばしかけたシズクを手を上げて止め、


「あの試合、私は負けていましたね」


「さて、次はどうかな。

 見れば分かる。随分と腕を上げたようだな。

 もう、試合の時とは比べ物になるまい」


「今も、貴方に勝てるとは思っていません」


「ははは! これは持ち上げられたものだ!」


「本心ですよ」


「その言葉、ありがたく受け取っておこう」


「ところで、朝餉は如何します。よろしければご一緒に」


「いや、もうお暇しよう。

 皆、落ち着かないようだしな」


「良いのですか? まだ来たばかりでは」


「構わん。外の忍だというのに、上がるのを許してもらった。

 更に、こうして、また顔を合せて喋る事が出来た。

 これだけで十分だ」


「ううむ、そうですか・・・あ、いや、少しお待ち頂けますか」


 マサヒデは立ち上がって、台所に向かった。



----------



 台所では、カオルがぴりぴりしながら、椀に汁をよそっていた。


「カオルさん」


「は」


「先日、いらなくなったナイフ、まだ置いてありますか。

 強情橋から持ってきた、魔術で軽くしてある、あのナイフです」


 ふ、とカオルが顔を上げ、


「敵になるやも知れぬ男に・・・塩を送ると」


「構いませんから。折角、達人が訪ねて来てくれたのですよ。

 カオルさんの憧れの方ではありませんか」


「・・・お持ちします」


 おたまを置いて、カオルは奥へ下がって行き、すぐに戻って来た。


「こちらを」


 懐から、大振りのナイフが取り出される。

 先日、強情橋で頂いてきた、魔術で軽くしてあったナイフだ。

 ラディ、イマイ、カオルのお墨付きの良品。

 きっと、満足してもらえるはず。

 マサヒデは受け取って、


「これを土産にしましょう。

 カオルさんは大きさが気になると仰ってましたが、あの方ならちょうど良い」


「・・・」


 カオルはじっと黙って、マサヒデを見つめる。


「不満ですか」


「はい」


「今は敵ではないのです。警戒するよりも、肌で学びなさい。

 少しでも、毛先ほどでも構いません。

 あの方の技術を、カオルさんのものにしなさい」


「は・・・」


「朝餉は要らないそうです。もう帰ると仰っていました。

 もう、時間はあと少ししかありません。

 あの方から、少しでも感じ、学びなさい。

 砂粒ひとつ分でも感じられたなら、このナイフなど安いものです」


「は!」



----------



 居間に戻ると、相変わらず殺気満々でシズクが男の背中を見つめている。

 マツも、今にも男を吹き飛ばしそうだ。


 だが、ここまで上げてしまってはもう手遅れだ。

 この距離では、マツでは手も足も出ないだろう。

 シズクも投げ飛ばされるだろう。

 レイシクランの忍の追撃も逃れ、行方不明になるのがおちだ。


「お待たせしました」


 マサヒデが座ると、カオルも廊下に座った。


「土産でも用意してくれたのか?」


「その通りです」


 懐からナイフを出し、男の前に差し出す。


「どうぞ。私はナイフは分かりませんが、中々の品だそうですので」


「強情橋で回収した物だな。良いのか?」


「構いません」


 男がナイフを手に取り、ほう、と声を上げる。


「うむ、聞いた通りだな。軽いが、しっかりと必要な重さはある。

 いや、軽さもそうだが、このバランスは素晴らしいな。

 抜いても良いか」


 ぴり! と緊張感が増す。

 マサヒデは構わず、


「どうぞ」


「では、失礼」


 す、とゆっくりと男がナイフを抜く。

 くい、くい、と手首を動かし、鞘に戻し、順手で抜き、逆手で抜き、鞘に戻す。

 もう一度抜いて、人差し指の上に乗せ、バランスを見る。

 男の目に少し驚きが見え、


「これは良い品だが・・・本当にもらっても良いのか?

 間違いなく、ナイフの世界では一級品と見た。

 これ程の品は、滅多に出ないぞ」


「構いません」


「ふ、豪気だな」


 にや、と男が笑って、ナイフを鞘に納め、懐にしまって、軽く頭を下げた。


「良い土産を頂いた。使わせてもらう」


「気に入って頂けて、幸いです」


「では、これでお暇しようか」


 ゆっくりと男が立ち上がった。

 マサヒデも、見送りに立ち上がる。

 カオルが頭を下げて、玄関へ歩いて行く男の背を見送る。

 ブーツを履いて、男が玄関の戸に手を掛けた時、くるりと振り向いた。


「言い忘れたが、どちらの剣の事も報せてはいないぞ。

 特にナイフの方が漏れれば、トミヤス殿達だけで済む厄介ではなくなる。

 無用な厄介を引き起こすのは、俺も望む所ではない。

 コウアンは・・・そう大事にはならんだろうが、まあ、ついでだ」


 ナイフの方。先程の土産ではなく、魔剣の事だ。

 やはり、この男は知っていた。


「お心遣い、感謝します」


「ふふ。また、こうして会えると良いな」


 こうして会えると良い・・・敵同士ではなく。


「はい」


 からから、と玄関が開き、ばさりと男が傘を開いた。


「ではな」


「いつでも」


 と言うと、男は口を開けて笑い出し、


「ははは! いつでも、では、皆の心が休まらないだろう。

 次はこっそりと忍び込むとしようかな? ふふふ」


 男は笑いながら玄関を閉め、雨の中を歩いて行った。

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