第五章 暇潰しに来た男

第15話 暇潰しに来た男・前


 翌朝。


 雨はまだ降り続いている。

 縁側にマサヒデが座っていると、カオルがそっと後ろから湯呑を差し出した。


「おはようございます」


「ご主人様、おはようございます」


「カオルさんの見立では、この雨、今日か明日でしたね?」


 カオルはどんよりした空を見上げて、


「この感じでは、夜までには上がるでしょう」


「そうですか」


「雨が上がっても、乾くまでは待たねば。

 あの洞窟に、すぐに行けないのが残念です。

 早めに調査を済ませたい所ですが」


「仕方がありませんね。出来たばかりの穴ですから。

 まあ、焦らない事です」


「は」


 しばらく2人で空を見上げていると、後ろの居間でシズクが起き上がって、


「おっはよおー」


 と、大欠伸をして「うん」と背を伸ばす。

 マサヒデは首だけ回して、


「おはようございます。起こしてしまいましたか」


「実はもっと前から起きてた」


「ははは! ですよね」


 カオルがシズクの前に湯呑を置くと、シズクはぐいっと一気に飲んで、


「カオル、ありがと」


「いえ。では、朝餉の支度を」


 カオルは立ち上がり、台所に下がって行った。

 少しして、とん、とん、とん、と包丁の音がする。


「今日はどうしましょうかね。

 朝稽古に行くついでに、書簡を頼んでおいて・・・昼はどうしましょう」


「鉄砲でも練習したら? マツモトさん、名人なんでしょ?」


「それも良いですが、うん・・・何か、これだ、というものがないですねえ」


「本はどう? 私は本を読むつもり。

 あの、鳳凰の巻だっけ。マツさんもカオルも、真剣な顔で読んでたよ」


「ほう?」


「神妙な顔しちゃってさ。深いとかなんとか言って。

 それで、ちょっと読んでみようかなーって」


「ううむ、それほどでしたか。ご住職が」


 は、として、マサヒデとシズクが玄関の方を向いた。

 台所の包丁の音も止まった。


 玄関にいる!

 ぱ! とマサヒデは脇差を抜きながら縁側に跳び、ぱしん! と雨戸を閉める。

 シズクも部屋の隅に転がった鉄棒を持って、じりじりと廊下に出る。

 音はしないが、庭に潜んでいたレイシクランの忍達が動く気配。


 マサヒデは、さ、とシズクの脇に並ぶ。

 ちら、と台所に目をやると、カオルが天井に張り付いている。


 間違いない。これは忍だ。

 まさか、レイシクランの忍が囲んでいるこの家の玄関前に立つとは!


 からからから・・・


 小さな音を立てて、玄関が開いた。


「失礼」


 この声は、聞き覚えがある。

 低いが、良く通る声。

 試合の時に戦った、あの忍だ。


 玄関に立った髭面の男は、静かに傘をたたんで脇に置き、廊下に立つシズクを見て笑った。


「ふふふ。大歓迎だな」


「誰だ!」


 シズクが大声を上げたが、男は小さく笑いながら脇に立つマサヒデを見て、


「トミヤス殿。久し振りだな」


「はい」


「ふふふ。害意はない、と言っても、職業柄・・・な。

 上がって良いか。駄目ならこのまま帰るが」


 マサヒデは少し考え、脇差を納めて、


「どうぞ」


「失礼する」


 と、男は上がり框に足を乗せた所で止まって、ちらと台所に目を向け、


「天井に居るのは分かっている。

 疲れるだろう。降りてこい。

 俺の背中に張り付いていても、一向に構わんぞ」


「・・・」


 無言でカオルがさっと飛び降りて、男の背に回る。

 首にナイフを突き付ける。

 全くの無音。


「ほう」


 にやっと男が笑ったが、背後のカオルの顔は蒼白で、額に汗が浮いている。

 男はちらっと顔を回して、


「ふふふ。暇があれば剣ばかり振っていると聞いていたが。

 中々どうして、忍の技もしかと磨いているようだ」


 マサヒデは脇差を納め、


「本日は何か」


「暇つぶしだ」


「暇つぶし?」


 予想外の返答に、マサヒデの眉が少し上がった。

 この男はある国に所属していると言っていた。

 そのある国から、何か報せでもと思ったのだが、暇つぶしとは?


「久しぶりの休暇だが、何をして良いものか、分からずにな。

 ただ寝ているというのも勿体ないと思い、暇つぶしに来た」


「休暇で、暇つぶし、ですか」


「そうだ。我ながら馬鹿らしいと思ったが、わざわざこの町まで戻って来た」


 そう言って、男は目だけを左右に動かし、


「中々の警備だ。まあ、奥方が奥方ゆえ、当然だが。

 玄関前に立つのに、流石に苦労したぞ。さて」


 男は噛みつきそうな顔をしたシズクを見て、ゆっくり顔を回して首にナイフを突き付けたカオルを見て、マサヒデに顔を向けた。


「もう一度聞くが、上がって良いか」


「カオルさん、シズクさん。納めて下さい」


「マサちゃん!? 良いのか!?」


 カオルも言葉を発しはしなかったが、ぴく、と眉を動かした。


「構いません」


 カオルがゆっくりナイフを納め、シズクも構えを解く。


「では、失礼する」


「こちらへ」


 するすると音もなく男は上がって来た。

 マサヒデが座布団を出すと、すっと座った。


 シズクがぎらぎらした目を向けながら、男の真後ろに座る。

 カオルも廊下に座ったが、腰がわずかに浮いている。


 いつの間にか、縁側の雨戸が開いている。

 外には、レイシクランの忍がずらりと並んでいるだろう。


「カオルさん、お茶を。普通のお茶ですよ」


「は」


 カオルが立った所で、さらりと奥の襖が開く音がした。

 マツが起きてきたのだ。

 う、とシズクが腰を浮かせる。


「何もしない。安心しろ・・・と言っても、出来はせんだろうな」


 ふ、男が鼻で笑う。

 そこにマツが廊下に手を付いて、


「ようこそ、魔術師協会オリネオ支部へ」


 男も頭を下げ、


「朝早くから、申し訳ない」


 マツはシズクのぎらぎらした殺気を感じたのか、頭を少し上げ、下から覗くように男を見る。目が鋭い。背中から、黒いもやがうっすらと出ている。


「本日は、如何な御用でしょうか」


 と、マツが締まった顔で問う。


「いや。何も」


「何も?」


「久々の長期休暇でしてな。トミヤス殿の顔を見に来ただけです。

 言うなれば、ただの暇つぶし、と言った所で」


「暇つぶし・・・ですか」


 ごく、とシズクの喉が鳴る。

 全く殺気がないが、それだけではない。

 忍独特の雰囲気はあるが、強者という気配が全くしない。

 これがマサヒデが勝てない、と言っていた男・・・


「お察しの通り、私は忍。暇つぶしで訪ねて来たなど、信用されずとも当然だが」


 マサヒデは小さく頷き、


「しましょう」


「そうか」


 ふ、と男が笑う。


「ところで、貴方を何とお呼びすれば」


「む、そうだな」


 男は腕を組んで少し考え、にやっと笑い、


「では、今日の名は・・・うむ、コウアンとするか」


 ぴく、とシズクの肩が動いた。

 マツの眉が小さく動いた。

 膝に置かれた、マサヒデの手の指が小さく動いた。


「ご存知でしたか」


「ご存知? 俺が何か知っているのか? ふふふ」


 男が口の端を小さく上げて笑う。


 この男は、知っている。

 雲切丸だけではなく、おそらく魔剣の事も知っている。

 何もかも知っている。

 マサヒデ達の背を、冷たい物が通り抜けた。

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