第二章 抜き打ち稽古
第6話 変態研師
鉄砲屋を出て、少し歩いてから、マサヒデは足を止めた。
研ぎに出してから、まだ3日。
いくら寝刃研ぎとはえ、出来上がってはいないだろうが、錆は取れただろうか。
深い錆など、致命的な物がないかも気になる。
「うむ・・・」
じっと橋の方を見つめ、マサヒデはイマイ研屋に歩き出した。
もう夕方になりかかっている。
帰りは少し遅くなるが、構わないだろう。
歩きながら、鉄砲屋の店主が言っていた事を思い出した。
『あの変態のイマイか? 只の変態じゃなかったんだな』
「ぷ!」
と、吹き出してしまい、口を抑えながら、笑い出しそうになるのを堪える。
確かに面白い人ではあったが、職人街では『変態』と呼ばれていたのか。
「く、くくく・・・」
慌てて笠を深く被り、マサヒデは肩を震わせながら歩いて行った。
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橋を渡り、イマイ研屋の前。
改めて見ると、本当に小さい。
仕事場も、8畳間。
普通の家と変わらないのだ。
がらり、と玄関を開け、
「こんにちは」
しーん、として、返事が返ってこない。
開いているから、中にいるとは思うのだが・・・
考えられないが、まさか、研師が鍵のかけ忘れだろうか?
戸を閉めて、耳を澄ませる。
研いでいる音がしない。他の物音もしない。
やはり、留守なのだろうか?
帰ろうか、とも思ったが、もし泥棒にでもあの刀を持っていかれたら堪らない。
マサヒデはイマイの帰りを待とうと、上がり框に腰掛けた。
玄関の外から、往来を歩く人々、橋のすぐ下にある船着き場で、荷下ろしをする声が聞こえてくる。
ごそ。
(!)
店の奥から、小さな衣擦れの音が聞こえ、ぴく、とマサヒデの身体が緊張した。
泥棒か?
研ぎに出される刀など、絶好の品のはずだ。
しずかに脇差を抜いて、そっと忍び歩いて行く。
「む、う・・・」
このうめき声は、イマイだ。
縛られているのだろうか。
音を立てないよう、そっと壁に背を付ける。
「むん・・・」
やはり、仕事場の中。
イマイ程の腕の者を、何者かが縛りあげたのか?
しかし、他に音がしない。気配がない。
既に泥棒は去った後か?
すー・・・と静かに障子を開ける。
反応がない。
少し間をあけ、ば! と部屋の前に躍り出て、マサヒデの体が止まった。
(これは・・・)
イマイが白鞘を抱いて眠っている。
マサヒデのように立てて肩に抱いて眠るのではなく、横になって刀を抱いている。
「んふ・・・うふ」
イマイはにやにやしながら、よだれを垂らしている。
(変態、か。確かにこれは)
ふう、と溜め息をついた瞬間、
「は!」
と、すごい速さでイマイが跳び起き、壁の刀に手を掛けた。
手を掛けたまま、ぴた、と止まって、
「あ、あれ? トミヤス様?」
「どうも・・・」
「・・・来てたの?」
「ええ、まあ・・・」
気不味くなって、マサヒデは目を逸した。
そっと脇差を納める。
「すみません。開いてたし、返事もなかったし、小さな声が聞こえたもので・・・
もしや泥棒かと思って・・・」
「あ・・・そう・・・声、ね・・・寝言かな・・・」
ちら、と転がった白鞘を見ると、柄によだれが付いている。
「あの、何て言うか・・・ごめんね・・・」
「いえ・・・」
2人の間に、気不味い空気が下りる。
「あー・・・お茶、お茶でも、さ。淹れてくるから・・・座ってて・・・」
「はい」
マサヒデが座ると、そそくさとイマイが出て行った。
転がった白鞘は、明らかにコウアンの物だ。
思わず、マサヒデは眉をしかめてしまった。
ふう、と溜め息をついて、被っていた笠を横に置くと、イマイが出て来た。
イマイは正座して茶を差し出し、
「すーっ・・・どうぞ」
膝の上に手を置いて、下を向いて、落ち着かないように身体を前後に揺らす。
「いただきます」
マサヒデは湯呑を取って、
「イマイさん」
「はい・・・」
「今、見た事は忘れますが」
「はい」
「その白鞘は、作り直してもらえますか」
「はいー!」
ば! とイマイが頭を下げた。
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茶を飲んで、一息ついてから、
「で・・・進み具合の方なんですけど、どうでしょう」
イマイが顔を上げ、
「あ! ああ、刃の方の錆は取れた・・・よ」
「そうですか。深い錆なんかはなかったですか?」
「いや、ないない。
茎の赤錆が気になるけど、これは時間をかけて、ちょくちょく磨いていかないと。
すぐに取れるものじゃないからね」
「見せてもらえますか?」
「うん」
イマイが白鞘を差し出して、
「どうぞ」
軽く頭を下げ、そっと両手の上に乗せ、静かに抜く。
まだ錆を取っただけの状態で、全体が曇って、地金も刃紋も良く分からない。
目釘を抜いて鞘から抜くと、茎は最初の状態よりも、かなり綺麗になっている。
それでも、点々と赤錆が見える。
「ふむ・・・」
「あの、トミヤス様」
「様は結構ですよ」
「じゃ、じゃあ、トミヤスさん。あのね」
「何でしょうか」
「磨かない? 窓開けだけじゃなくて・・・」
「いえ。寝刃研ぎで結構です」
「お金、いらないから。磨かない?」
「申し出は有り難いのですが・・・使いますので」
「本当に、使っちゃうの?」
「ええ。使います」
「じゃあ・・・お願いがあるんですけど・・・」
「何でしょう」
ぱちん! とイマイが手を合せ、
「勇者祭の旅が終わったらでいいよ! 研がせて! お願いします!
お代は結構! いやむしろ払います! どうでしょうか!」
マサヒデは困った顔で、
「いや、あの、そんなに研ぎたいんですか?」
「研ぎたい! これ、研師じゃないと分からないと思うけど、研ぎたい!」
頭を下げるイマイに対して、マサヒデは首を傾げた。
金を払ってまで研ぎたいとは・・・
「分かりました。では、旅が終わったら、必ず」
イマイが「ぱ!」と笑顔を上げ、
「ほんと!?」
「ええ。ただし、払って頂く分は高いですよ」
「いくら!? いくらかな!?」
これは好機だ。
絶対に、あの抜刀術には先がある。
「先日教えてもらった抜刀術ですけど、あれ、まだ先がありますよね」
ぴた、とイマイが止まった。
「あー・・・うん・・・ない事は、ない・・・かな」
段々イマイの声が小さくなる。
「それと交換で」
「あーっと・・・ううん・・・」
イマイが腕を組んで、下を向いて、ぎゅっと目を瞑る。
マサヒデはイマイの返事を待ち、ずずーと茶を啜る。
しばらくして、イマイが目を開け、顔を上げた。
「うん、分かった! 商談成立!
別に、秘伝とか口伝とかそう言う物じゃないし、教えるよ」
にや、とマサヒデは笑い、
「ありがとうございます。
では、明日の昼過ぎ、魔術師協会へ来て頂けますか」
「分かった! 行こう!
ただ、僕が教えられる部分だけだよ? 免許皆伝とかじゃないし。
あと、僕、夜型人間だから、ちょっと鈍ると思うけど、それでも良いかな?」
「構いません」
マサヒデは小さく頭を下げ、刀をイマイに差し出した。
イマイも小さく頭を下げ、マサヒデから刀を受け取って、刀架に掛けた。
「では、本日はここで・・・」
「え? もう行っちゃうの? 刀、見ていかない? 色々あるよ」
「お客様の物では? 良いんですか?」
「これも研師の役得って奴だね。ふふふ、滅多に見られない物があるよ。
研ぐ時、すっごい緊張したんだもの。
新々刀の傑作だよ。なんとー・・・ナミトモ! 本物だよ!」
マサヒデが仰天して、
「ええ!? ナ、ナミトモがあるんですか!? 本物が!?」
す、と引き出しを開けて、イマイが刀を出す。
「これで油拭いて。見てよ、凄いよこれは・・・
流石にコウアンには負けるけどね」
と、マサヒデの横に布を置く。
小さく頭を下げ、マサヒデに渡す。
「失礼します」
す、と鞘から抜く。
抜いた時、思わず手が止まってしまった。
「ううむ・・・」
と、マサヒデが唸った。
ただの銘刀ではない。もはや名刀に近い雰囲気がある。
置かれた布を取り、すーっと刀油を拭く。
ぐ、と両手で握ってみると、重い。
板目で肌が乱れ、地沸が良く付いている。地鉄に青みがあり、涼やかだ。
刃紋は互の目、丁字が混じっている。よく見ると、小さく足も入っている。
匂いが深いのに、沸もよく付いている。
これが、作刀に狂った刀匠と言われた、ナミトモの作なのか・・・
「まだナミトモがユキマサって名乗ってた、初期の作なんだ」
「地刃が凄いですね・・・」
「でしょ? 面白いでしょ? 何て言うか、元気の良い感じだよね」
「ええ・・・」
とても『狂った』と言われる男が打ったようには見えない。
重く頑丈な作りなのに、その肌や刃紋には、涼やかさ、楽しさがあり、美しい。
イマイの言う通り、元気の良い、いや、無邪気な子供のような感じさえする。
にやにやするイマイの横で、マサヒデはじっと刀を見つめた。
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