第2話 夢じゃなかった

 あのクソ不味い薬を飲み切った後、勝利の余韻に浸る暇もなく気絶••••ゲフンゲフン、スヤリとお休んだおかげで今朝の目覚めはスッキリ快調だ。

 恐るべし、ランマル印の薬っぽいナニカ。


 ーーーーだけど。


「夢ではなかったのね」


 見渡す部屋は豪華な調度品で調えられているが、女の子の部屋にしては落ち着いた雰囲気だ。


 白い壁に淡いグリーンと金の装飾。同じ調で作られたカーテンは目に優しく写る。


 俯くと、ティアレーゼのシーツを握る手はまだ小さい。

 肌理細やかな白い肌、桜貝の爪。

 緩く編まれた、癖の無い長い黒髪が背に垂れている。


(鏡で確かめないと)


 豪奢な天蓋付のベッドを飛び降りて、部屋履きを探す。


(いつもはハンナが履かせてくれるから••••)


 見つからないので裸足でいいと思い直し、姿見の前に立つ。フカフカの絨毯は、子供の柔らかい足を傷める事はない。

 ドレッサーの直ぐ横にある大きな鏡は観音開きになっていて、可愛らしい小花の装飾が縁取りを華やかに彩っている。


 閉じている掛け金を外し、重い扉を開く。

 今年で八歳になるティアレーゼだが、大人の背丈以上ある木製の鏡扉はえらく重厚で、全てを開くのは早々に諦める。

 要は、自分の姿が見られれば良いので、大開きする必要はないのだ。


 カーテンを少し開けて朝の光を部屋に入れるのも忘れない。

 朝特有の少し冷えた空気が、部屋に清涼さを届けてくれる。


 さぁ、ティアレーゼ深呼吸をして、いざ鏡の前へ行くのよ!

 思わず閉じてしまった瞼を思い切って上げて見れば、視界に飛び込むブルーグリーン。

 ティアレーゼの瞳は南国の海の色だ。


(でも、魔力を使うと真っ赤な血の色に染まるのよね)


 鏡の中のティアレーゼは困っている様な、情けない表情をしている。

 それでも隠せない美貌の片鱗。

 スッとした眉に、高く過ぎず低すぎず、絶妙なバランスで配置されている鼻。薔薇の花びらを置いた唇は、品よく形が整っていて、長じればさぞかし妖艶に笑むだろうが、年齢の所為か愛らしさが勝る。

 優しいカーブを描く頬は少女らしくまだふっくらと、あどけない。

 どこもかしこも繊細な美の集合体。


(うわぁマジの美少女だわ)


 この顔は間違い無い。

『星降る夜に~君との約束~』通称『ホシキミ』に出てくる悪役令嬢のティアレーゼ•レイ•グランツ公爵令嬢の顔だ。


 柔らかそうなほっぺをムニッと摘むと痛む。鏡の中の美少女のほっぺが赤くなっていて、情けない表情はとても悪役には見えない。


 気絶するようにお休む時に過ぎった言葉、『異世界転生』の文字が脳内で踊る。


(一体どうしてこうなった!?)





 前世日本人の私、藤咲奈緒はアラサー一歩手前のOLだった。そう、一歩手前の。

 特に会社に不満がある訳でも無く、平々凡々と過ごしていた。これと言った趣味も無くて、会社と自宅マンションの往復で1日が終わる。たまに同僚と飲み歩き、休みには遊びに出る、彼氏いない歴が年齢とイコールで結ばれる平凡で立派な何とかだった。


『ホシキミ』だって同僚の友人、穂乃果に言われて付き合いでやっていただけだ。

 穂乃果にゲームの内容は良く聞いていたけど、こちとらゲームは当然、全く進んでいない。イベントとやらが開催されている時には、強制参加をさせられてたけどね。


 ある日、その同僚穂乃果の残業を手伝い、帰り道でヒールが折れて、電車に乗り遅れた•••••あの運命の日。

 靴を買って帰ろうにも店は閉まっていて、オマケに雨まで降ってきた不運日。

 コンビニで傘を調達しようとして売り切れ御免、不運のオマケ付はご馳走様な私に襲いかかったナイフ。

 コンビニの出口で強盗とバッタリお見合いをした私は、叫び声を上げる強盗にぐっさり殺られて三途の川どころか世界を渡ってしまったらしい。


 神様が間違えたのか、異世界産の魂が『ホシキミ』の世界にダイブしてしまった。

 しかも悪役令嬢のティアレーゼ。


 ロクな死に方出来ない悪役、良くて国外追放の後、野党に襲われて売られるか、修道院と言う名の夜のお仕事をする監獄送りだ。

 ヤベーお人じゃありませんか。


 攻略対象者を闇堕ちさせた挙句に隷属させてたんだし、相当悪虐で残虐行為を繰り返していたんだから、ヒロインによって救われた攻略対象者達から復讐されるのも無理は無い。


 でもそれが自分に掛かって来るならば話は別だ。


「あれ、でもーーーー」


 ティアレーゼの記憶を辿っても、特に何か悪さをした記憶は無い。

 それにゲームの中で、家族の仲は険悪最悪だったけど、少なくても今の時点では良好だ。

 思い込みではないと思う。


 だってーーーー。

 ほら、廊下を走る足音とそれを諌める家令ヨーゼフの声。


 そして、バンッ!と派手な音を立ててノックも無しに開かれる寝室の扉。


「ティアレーゼ!ティア、ああ、大丈夫かい?心細くはなかったか?兄様が来たから、もう安心していいからね」


 入って来るなり兄のギルバートが、ティアレーゼの小さな身体をギュムギュム抱きしめるので、呼吸困難に陥る。


「若様、お嬢様が潰れてしまいます、どうかその辺で」


 かなり容赦なくギルバートが剥がされたけど、ヨーゼフはケロッとしている。

 流石年季の入った家令は違う。ティアレーゼの父親、グランツ公爵閣下もヨーゼフには弱い。

 なんと言っても先代から仕えている古参族。アレやコレやの黒い歴史を知っている強者だ。歴戦の猛者よ。


「あ、ああ。済まなかったね、ティア。顔色は良いようだし、ランマル先生の薬が効いたんだね」


 歳の離れた兄、ギルバートはーーーー養子なので義理の、になるが、ティアレーゼを溺愛している。

 今だって、ひょいとティアレーゼを持ち上げると、腕に腰を掛けさせる様に抱き上げた。


「兄様、私、まだ朝のお支度が済んでいないのですが••••」


 では兄様が手伝うよ、と言い出したギルバートをヨーゼフが連れ去り、ハンナとティアレーゼだけが部屋に残った。


(もう少し考察したかったんだけどな。続きは朝食後でも良いか)


 取り敢えず、夢では無い事が身に沁みた。





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