第六章 屍の帰郷

第39話 撤退

 自主退避という名の遁走を行い最寄りの村で待機していた兵士や研究者、および国際連盟の職員らを確保できたことは、現場に残された者達にとって幸いであった。おかげで、時間と手間を要したものの、天幕の撤去や飛行船の消火活動を含めたレギオ・ルブラ実験場の撤退作業に、どうにか事なきを得たのだ。


 各国の高級軍人らを乗せた六機の小型輸送機は、いつの間にか姿を消していた。

 現場の指揮は、ギル・バンとアレックスの二人がとった。案内人らはゼンゾーの指示のもと、大量の屍から帰郷先を聞きだし、目的地別に担当者を振り分けた。

 葬送人は、飛行船の墜落に巻き込まれた者達、それに加えレギオ・ルブラで肉体を失った屍の霊魂を回収し、これもまた、目的地別に振り分ける作業に追われた。

 オリバーの霊魂は、やはり飛行船の墜落現場で見つかり、保護された。

 丁度、カメロット出身の男性葬送人が現場にいたので、オリバーは彼に託されることとなった。


「これを機に、前線で働くのは終わりにしようと思うんです。彼は私の、最後のお客さんですよ」


 金茶の髪に白い物が混じりはじめている彼は、目尻の皺を深くすると、鞄から香水瓶に似た小瓶を取りだしてイヴリンに見せた。


「どうぞお別れを。聞こえていらっしゃいますから」


 香水瓶の中は、星屑を混ぜたようなきらめきを帯びた橙色で満たされている。これがきっと、オリバーの魂の色なのだ。

『ありがとう』も『さようなら』も彼にかける言葉としては薄っぺらいと感じたイヴリンは、瓶を受け取ると、それを優しく撫でた。


「無事に、家まで帰れますように」


 額に瓶を押しあてて祈ると、持っていた鳥打帽と一緒に、葬送人に返す。


「これ、最後にオリバーさんが被ってたものなんです。彼が着ていた服はもうボロボロだから、それの代わりに。妹さんに、渡してあげてください」


 遺品として帽子を託された葬送人は深く頷くと、今度は帽子ごと小瓶を鞄に入れて、イヴリンに頭を下げた。

「それでは」

「ええ。道中、お気をつけて」

 オリバーを連れた葬送人が、実験場を去る。彼らを見送ったイヴリンは、続いてきょろきょろと辺りを見回した。

 周囲は閑散としていて、接収されていた荷物を取り戻した葬送人や案内人が連れを伴い、続々と出立してゆく。

 案内人が鳴らす鐘の音が、荒れ果てた土地にいくつも鳴り響いている。屍達は担当者である案内人の後ろに続き、よたよたとした足取りで葬列を進んでいた。

 そんな中に、ガリアの兵士を指先一つでこき使っているケルトニア空軍中佐の姿を見つけたイヴリンは、嬉々として彼に歩み寄り、背中をちょんとつついた。


「ねえねえ、アレックス。ラスが屍になりかけた理由、聞いた? 私が死んだと思ったからなんだって」


 両手で口を覆うと、にこにこしながら飛び跳ねる。一方アレックスは、苦虫を噛み潰したような顔を作った。


「あいつはやめとけ。苦労するぞ」

「分かってる。どうするとはまだ言ってないでしょ」


 口を尖らせたイヴリンは、人さし指で毛先を巻きつつ言いわけをした。が、すぐににやりと笑うと、ラスを天敵扱いしていた兄を肘で小突いた。


「それよりも、ラスをアボナまで送ってやるんだって? いつの間に仲良くなったの?」

「仲良くなんぞしてたまるか。もう二度とあいつの顔を見んでいいよう、目的地まで輸送するだけだ」

「ふうん」

「お前はフロンドサスで下ろすからな」

「やあね。一緒に行くに決まってるでしょ」


 心底面白くなさそうなアレックスの前で、イヴリンは朗らかに笑った。

 そんな兄妹を、天幕が撤去された丘の上から眺めているのは、国際連盟事務総長ギル・バンと、屍案内人機構代表ゼンゾー・リューである。

 老年の二人は、煙臭さが残る風に白髪を揺らしながら、久方ぶりの穏やかな会話を交わしていた。


「これで、軍が屍利用を諦めてくれるといいんだがなあ」

「馬鹿を言うな。拍車がかかったに決まってるだろう。今後、帰郷の旅は厳しさを増すぞ」

「やはりそうなるか。嫌だなあ。心労でハゲそうだわ」

「もう半分ハゲとるだろうがお前は」

「剃っとるんだ阿呆」


 しばしの沈黙。その間、二人はレギオ・ルブラを見つめる。

 たった数時間で、鉄柵に囲まれた地表には大きな穴がいくつも空き、廃墟の殆どは瓦礫と化した。元々荒涼としていたのが、更に酷い有り様だ。

 やがてゼンゾーが「なあ、ギルよ」と静かに呼びかけた。


「もう一度、二人で頑張ってみんか」


 団体の代表同士ではなく、死人を相手にする者として、協力しようと。

 ギル・バンが胸を張り、すう、と大きく息を吸った。尖った鼻をつんと上げると、きっぱりと答える。


「無理な相談だな」


 そして旧友に一瞥を送った彼は、これまで黙っていた事を告げた。


「事務総長就任と同時に、俺は杖と連れを手放した」


 相手の反応を見ることなく、立ち去る。

 それは、ギル・バンなりの覚悟の表れだった。


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