第35話 それぞれの戦術
「おい、案内人! 急げ!」
駐機場へと走るアレックスが、後ろに続くラスを急かす。
アレックスには一つ、懸念があったのだ。鐘を鳴らし凶屍を誘導するのは、身軽なラスに一任されたようだが、それにしても強化された凶屍の俊足ぶりは人間離れしていた。いずれ追いつかれ、頸動脈を食い破られるのが落ちであると。ゆえにアレックスは、ラスを戦闘機に乗せて運ぶことを提案したのだ。ゼンゾーとギル・バンは、その提案に快諾した。
駐機場に残っていた戦闘機は、三機だった。そのどれもが同じ機種である。アレックスが大戦時に操縦した、『ケルトニア軍のじゃじゃ馬』だ。
「残念ながら一人乗りだ。バランスはとってやるから、お前は翼にとまってろ」
飛びこむように操縦席に乗りこんだアレックスが、翼の下にいるラスに指示を出す。無茶苦茶なことを言っている自覚のあったアレックスだったが、意外にも、ラスは素直に頷いた。
★
一方、駐機場へと急ぐラスとアレックスを見送ったイヴリンとジャンは、軍用天幕が立ち並ぶ区画に移動していた。静止飛行を続けているもう一台の軍用飛行船への対抗策を探しに来たのだ。
しかし、使えそうな武器は無く、警備や雑務で残っていたはずの兵士や研究者までが姿を消していた。凶屍の大群から逃れる為に、遠くに避難したのである。
凶屍に銃は効かないので、兵士や研究者などはいても無駄なだけなのかもしれない。しかし、レギオ・ルブラに踏み込まなかった屍らは、まだ実験場の隅に残されているのだ。この状況で遁走するというのはあまりに無責任だと、イヴリンは憤慨した。
軍用天幕が並ぶ区画からは、レギオ・ルブラが見渡せた。
柵の出口前では、案内人と葬送人があらかじめ半円を作り、凶屍らを囲む準備を整えている。
鍵を解錠したギル・バンが扉の両側で控えている二人に向けて両手を上げる。待機命令だ。彼は待機命令を出したまま、後ろへ下がった。ラスとアレックスが現れるのを待っているのである。
この間、案内人らは自身の掌に円を描いた。これを凶屍の決まった部位に押し付けることで霊魂に直接エーテルを注入し、動きを一時的に封じるのだ。
木炭を持つ者はそれを使い、無い者は己の指先を噛み出血させた血で描いた。
上空には静止飛行中の飛行船一台のほか、六機の小型輸送機が旋回している。
「嫌な連中」
イヴリンは鼻根に皺を寄せ、高級軍人らを乗せている機体を睨みつけた。
最初の飛行船は凶屍を落として早々、任務完了とばかりに北へ飛んで行った。待機中の飛行船も、いつ凶屍を落としてくるか分らない。
「あいつらのうちの一機でも、邪魔してくれればいいのに」
「邪魔なんかしないさ。むしろ、早く次を落とせって思ってるんじゃない?」
ジャンの言葉で焦燥感をかきたてられたイヴリンは、うろうろしながら考える。
「何とかしなきゃ」
「何とかって、どうにもできないよ。対空兵器はここには無いし、僕らアレックスみたいに戦闘機に乗れるわけでも、翼が生えてるわけでもないんだから」
翼のくだりで、ジャンが両手をパタパタさせた。その姿に閃いたイヴリンは、パチンと指を鳴らすと、最高の解決策をくれた狂科学者に笑顔を向ける。
「ちょっと行ってくる! あなたは、あの人達をもっと安全な場所に避難させて!」
一番端の天幕の前で棒立ちしている屍の集団を指さすと、レギオ・ルブラに向かって駆けだした。
ジャンが「えーっ!」と悲鳴を上げる。
「あんなに沢山? 鐘も無いのに!」
「地道に手を叩くの!」
走りながら振り返り、拍手してみせたイヴリンはまた前を向くと、全力で坂道を駆け下りる。そして、レギオ・ルブラの上空で飛びまわっている黒い点の集まりに向かって、「メーイ!」と声を張り上げた。
★
イヴリンがメイを呼び続けながら坂を駆け下りていた頃、レギオ・ルブラの封鎖口では、緊張が高まっていた。
出入り口の扉を押し倒さんばかりにひしめき合う凶屍の集団。そこから発しられる絶叫が、何重にも重なって響き渡っている。
葬送人の一人が杖を握りしめ、ごくりと唾を飲み込んだ。
霊魂は例え体を失ったとしても、無念が昇華されない限りこの世に残り続ける。葬送人はそういった迷える魂を保護して昇華を手助けするのが本来の仕事であり、凶屍や屍を相手にする機会は滅多に無いのだ。ただし、ギル・バンのように、案内人と仕事を共にする葬送人は、その限りではなかった。彼の落ち着き具合は、他の葬送人と一線を画している。
「お前、杖をどこにやった」
「エーテルを流すくらい、杖が無くともできる。――来たぞ」
アカシアの一本杖がギル・バンの手に無いことに気付いて眉をひそめたゼンゾーに対し、ぞんざいに答えた熟練の元葬送人は、聞こえてきた飛行機のエンジン音に顔を上げる。低空飛行で近づいてくる褐色の戦闘機を確認すると、「開けろ!」と出入り口の両端に待機している葬送人二人に命じた。
必死の形相で扉を抑えていた二人が、合図を受けて最大限に柵を開く。
半円を作って待ち伏せる葬送人と案内人の前に、大型の軍用トラックがすれ違えるほどの出入り口ができた。そこに、屍を踏みつけながら凶屍らが突っ込んでくる。エーテル濃度の高い案内人や葬送人を前にして、屍の肉はもはや彼らの眼中には無かった。
「下がりながら広がれ! まだまだ! 最後の一体を囲い込むまで粘れ!」
ゼンゾーが指揮を取る。
葬送人が後退しつつ陣形を整え、前に出た案内人が、襲いかかって来る強化凶屍らの相手をする。合掌する者。十字を切る者。掌を向かい合わせる者。それぞれの国のやり方で自身のエーテルを高めてから、死人の急所である頭頂部、首裏、肩甲骨の間、口、のどれかに触れて、凶屍の働きを一時的に封じていった。
強化凶屍に腕一本でも掴まれれば、重症を負う危険性がある。
案内人らは、その鍛えられた体術を駆使して死角に周りこんで急所を突き、また足技をかけて転倒させるなどして凶屍との接触を最小限におさえる。それでも何人かは、腕を折られ、あるいは後ろから噛みつかれるなどして負傷した。
凶屍が集まり過ぎている場所にはアレックスが戦闘機で突っ込み、蹴散らせた。アレックスとラスのペアは、そうやって戦う者達の援助をしながら、レギオ・ルブラの上空を旋回し、残っている屍と凶屍をラスの鳴らす鐘で柵の外へと誘導する。
「落ちるなよ。案内人!」
右手で操縦席の縁を握り、左手で鐘を振り続けているラスに、アレックスが注意を促した。
前方からは目を開けていられないほどの風圧が常にかかり、旋回のたびに体が持って行かれそうなほどの遠心力が発生する。例え機体のバランスを保っていたとしても、いつ足を滑らせるか分らない。下に落ちれば、骨折どころか凶屍の餌食となってあの世行きである。
「だ、大丈夫!」
ラスが答えた。――が、直後、「アレックス! あれ!」と叫び、西の方角を指さす。その先には、烏に囲まれるイヴリンの姿があった。
「何やっとんだあいつは!」
アレックスが声を上げた瞬間、イヴリンを囲んでいた烏達が、一斉に飛び立つ。
彼らは一羽残らず、一つの目標に向かっていた。テウトニア軍が持ちこんだ、軍用飛行船である。
烏の大群は飛行船に到達するなり、操縦室があるゴンドラ部分を飛び回り、また、ガス袋の外皮を攻撃し始めた。
「す、凄いや。イヴリン」
ラスが頬を紅潮させる。
その反応を見たアレックスは口角を下へ引くと、屍と凶屍を全て誘導し終えたレギオ・ルブラの上空で、さあ落ちろと言わんばかりに、機体を宙返りさせた。
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