第34話 強化された凶屍

 ガリアの若い女性葬送人が、大慌てで出入り口を塞ぎ、施錠した。そのまま鍵を持って避難しようとしたが、ゼンゾーを背負って走ってきたラスが、「ま、待って!」と彼女の右腕を掴んで引きとめる。


「鍵、をください」

「何する気?」

「な、中の屍を、外に出さないと」

「馬鹿じゃないの!?」


 手を振り払い、要求を無視してその場を去ろうとした彼女だったが、今度はその腕を別の人間が掴んだ。ギル・バンである。


「逃げてもいい。しかし、命が助かったあかつきには、葬送人の杖を手放すと約束しろ」

「あなたがそれを言うんですか」


 死人を守る者としては失格であると自覚している二人は、数秒間睨み合う。

 そこに突っ込むように飛来してきた黒い影が、女性葬送人の肩をかすめた。烏である。

 メイよりも一回り大きなその一羽は、ギャアギャアと大きな鳴き声を上げながら、彼女の右手を襲った。


「わ、分ったわよ、もう! これが欲しいんでしょ!」


 握っていた鍵を地面に叩きつけるように手放した女性葬送人が、付き合っていられないとばかりにとんずらする。


「ムラサメか。遅かったな」


 ムラサメは、拘束される前にゼンゾーが逃がした烏である。

 ギル・バンは予想していたよりも登場が遅れた旧友の連れに一瞥を送ると、鍵を拾った。

 弟子の背中から地面に下ろされた旧友に、流れるような動きで蹴りを入れる。


「起きろ怠け者! 連れが戻ったぞ!」


 腹を蹴られたゼンゾーが、ううん、と唸り、目を開ける。重そうに身を起こした彼は、腰を捻って周囲を見渡すと、最後、柵の中の光景に目を見張り、「なんとまあ……」と口を開けた。


 ムラサメが大きく鳴き、舞い上がる。その声に応じるように、実験場のそこかしこから烏の鳴き声が起こり、羽ばたきが聞こえた。

 ラスの肩にとまっていたメイも同様に、一声上げると飛び立ち、青空を埋める黒い点の一つになる。

 また、ムラサメは周辺に居合わせた野生の烏も呼び寄せていたようで、烏の大群はどんどん数を増していった。

 鍵を開けようとしていたギル・バンや、そこに駆けつけたアレックスを含め、実験場にいる誰もが烏の大群に見入る。

 そんな中、後方から女の悲鳴が上がった。アレックスの避難時指示を無視してジャンとともにラスを追いかけてきたイヴリンのものである。掌大の蜘蛛の集団に足元を通過されて、驚いたのだ。


「いやあっ! 何なのこの蜘蛛!」


 蜘蛛嫌いの彼女は目的地までの残りの距離を一目散に走ると、最後の二メートルほどをジャンプして、兄の首根っこにしがみつき両足を浮かせた。

 大蜘蛛の正体は、地中海周辺の葬送人達が持つ杖に使用される糸の提供者。要するに葬送人の連れである。

 烏の集団が空から。蜘蛛の集団が地面から。それぞれ鉄柵の内側に侵入し、凶屍への攻撃を開始した。しかしながら抑止力としては弱かったようで、むしろ捕食の対象となってしまう。


「せ、先生、早く鍵を!」


 解錠を中断していたギル・バンを、ラスが急かした。縄を解かれた案内人らも急行してきた。突入するなら今である。

 しかしギル・バンは「待て」と言うと、柵の中の様子を注意深く観察した。

 何かがおかしかったのだ。凶屍の動きが、肉を喰らう様が、尋常でないのである。

 凶屍の動きは基本大ぶりで無駄が多く、壊れる寸前のからくり人形を無理くちゃに動かしているような印象を受けるのだが、柵の中で暴れ回っている凶屍の動きは生きている人間のように滑らかだった。しかも、あり得ない程に剛腕である。いくらタガが外れているとはいえ、腕を関節で引きちぎる等という荒業まではできないはずなのだが、しかし目の前の凶屍は、それをやっている


「強化したんだよ。フェロックスを」


 ジャンが目を見開いて言った。そして彼は、言葉を重ねるにしたがい、語気を強めていく。


「そうだよアレ絶対そう。死亡直後の遺体なら、脳神経の機能の一部を残存させる方法を見つけたんだもん。酷いよ僕が考えたやつなのに! いつの間に盗まれたのっ!?」


 言葉の最後で「きいいーっ」と金切り声を上げた。


「メモを絨毯代わりにしとるからだ、阿呆」


 アレックスがイヴリンを抱きかかえたまま、だらしのない狂科学者をなじる。

 ケルトニア軍の死人研究は、モルトスと案内人を人為的に作りだし、地上部隊の人員および指揮系統の充実を図ろうというものである。一方でテウトニアは、凶屍を爆弾代わりに使おうという魂胆のようだ。テウトニアの工作員にとって、ジャンの部屋に散らばっている研究メモは、さぞかし漁りがいがあったことだろう。


「どうやって屍を避難させるんですか? この中に入るのは流石に無理ですよ」


 案内人の一人が、困り果てたように声を上げた。

 死人が増えた柵の中では、凶屍による殺戮が続いている上に、地雷の爆発も頻繁に起こっている。そこに踏みこもうというのは、流石に命知らずというものだ。


「鐘で屍を呼び寄せよう。あれなら広く音が届くだろう」


 ふらつきながら立ちあがったゼンゾーが提案する。直後、そこにいる案内人らが、首を横に振った。彼らの持ち物は実験場に入る際、ボディチェックで兵士に全て接収されていたのである。


 と、その時、高く澄んだ音色が一つ、周囲に波紋を広げた。

 案内人が持つ、鐘の音だ。振り鳴らしたのはラスである。

 目を丸くした案内人らが、念入りなボディチェックを潜りぬけた仲間を一斉に注目する。

 ラスはイヴリンと顔を見合わせ、にんまりと笑った。


 柵の中にいた屍らが音に反応し、凶屍に抗いつつ出入り口に向かって移動し始める。しかし残念なことに、想定外の事態も生じた。本来ならば鐘の音に反応しない凶屍までが、集まってきたのである。

 ジャンを除く、その場にいた全員がどよめいた。


「そりゃそうだよ。脳神経の機能が生きてるんなら、聴覚だってあるさ。まったく君達ときたら。脳みそあるの?」


 呆れかえったようにジャンが言った。

 突進してくる強化凶屍の集団を前に、死人の世話人らは後ずさりを始める。そんな中でゼンゾーが、歯を見せて笑った。


「これでいい。エーテルを与えれば、凶屍は落ち着くぞ。ならば腹いっぱい食わせてやればよかろう! ギルよ、早く扉を開けろ! お前達は、凶屍を囲いこんで円を描け! ありったけのエーテルを流しこめ! 腕のみせどころじゃあ皆の衆!」


 腹の底から声を上げた案内人の長の、大地を踏みしめた足に力がこもる。彼の虹彩から放たれる金赤の輝きが、強さを増したようだった。髭や髪が僅かに持ちあがる。エーテルを視ることができる者ならば、彼の全身を覆っている緑色の陽炎のごときゆらめきが、燃え上がる炎のような形に変化する様を目のあたりにしただろう。

 ゼンゾーの雄々しさに鼓舞され、また腹をくくった案内人と葬送人は、凶屍の来襲に備えて前傾姿勢をとった。

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