2-4
「どういうことだっ?」
ドクターが声を荒げると、看護師は、
「今日は、その、入浴の日でしたので」
もじもじと言葉を濁す。
「準備中、鍵を開けたまま目を離した、と?」
「ええ、今までにも鍵を開けたまま場を離れる瞬間というのはありましたっ。でも、」
「今まではいなくなったりしなかった……ということね?」
安城が訊ねる。
「はい、そうです」
ではなぜ今回に限って?
「美月はっ、美月はどこにっ?」
聡が慌て出す。
「今、皆で手分けして探していますのでっ」
「では、我々も」
安城の合図で神田聡と安城は下へ。尚登はドクターと上に向かった。
「もう、五階はほとんど探し終えていると思いますが」
看護師の言葉を聞き、一瞬、下の階に向かおうかと悩んだ尚登であるが、
『上だ、ナオト!』
ヴァルガの言葉に、ハッとする。
(上?)
『負のオーラは上にいる』
ヴァルガの言うことを信じるとするなら……、
「屋上へはどうやってっ?」
「屋上……ですか? ああ、奥の非常階段からですっ!」
言われ、駆け出す。
屋上で一体何をしようとしているのか。そんなこと、考えたくもないのだが。
バン! と扉を開けると、光が広がる。眩しさに一瞬目を細め、手をかざす。
『ナオト、北東の方向だ!』
ヴァルガに言われ、頷く。
「美月さん!」
まさに今、美月は腰まである柵を越えたところだった。
「ちょ、なにしてるんです!」
尚登が駆け寄ると、すっと手をこちらに向ける。『止まれ』の意だ。
「ごめんなさいね」
「え? なにがですっ?」
「あなた方が知りたいこと、何も答えてあげないままサヨナラするわ」
「待ってください! 何故ですっ? 何故急にこんなことをっ」
「……これ以上話すことはないわ」
そう言って、後ろを向くと、躊躇いもせずふわりと宙を舞う。
「まっ!」
尚登が柵の上から手を伸ばす。かろうじて、美月の腕を捕まえた。が、体勢が悪い。バランスを崩し、そのまま上半身が柵を超えてしまう。
「うわっ」
落ちる!
その瞬間、腕輪が光り、ヴァルガが本来の姿に戻る。
『ナオト、願いを!』
尚登がヴァルガの右腕を掴む。
「俺たちを助けろ、ヴァルガ!」
ピカッ
金色の光が二人を包む。しかし、二人はそのまま病棟横のクスノキの上に落ちる。ザザザッ、バキバキ、メキッと枝が折れる音と痛み。そしてドスン、という音と共に地面に叩き付けられる。
「きゃぁぁ!」
「人が落ちてきたぞ!」
「誰かぁ!」
喧騒が聞こえる。腕の中には、美月。首元に指を当てると、脈がある。死んではいないようだ。
ヴァルガは腕輪に戻っている。
尚登は、ほぅ、と息を吐き、そのまま意識を手放した。
*****
「遠鳴君っ?」
うっすらと目を開けると、安城ミサトの顔が目の前にあった。
「安城……さん?」
「ああ、目が覚めた!」
安堵の表情を浮かべる安城。尚登の髪を軽く撫で、睨む。
「まったく、最近の遠鳴君はどうしたのよ。今までこんなに危ないことしなかったのに!」
立て続けにベッドの上、な相棒を見て、さすがに不安に思ったのか、いつもよりきつい。
「すみ……ません、俺、」
麻酔が切れた後のような気分で、少し頭がボーッとしていた。が、うっすらと、自分が屋上から落ちたことを思い出す。
「神田美月はっ?」
起き上がろうとする尚登を、安城が制する。
「無事よ。大丈夫。……まったく、無茶し過ぎよっ」
少し困った表情で、尚登を叱った。
「先生も驚いてたわ。屋上から落ちて、大した怪我もないだなんて。奇跡以外のなにものでもない、って! 木がクッションになってくれたんだろうってことだったけど。クスノキに感謝なさいよっ」
「へ? ……ああ、はい」
苦笑いを返す。
ゆっくりと体を起こす。落ちた時は痛みが酷かったが、今はもう問題なさそうだ。
「起きても大丈夫?」
「ええ、問題ないです」
「眩暈や吐き気が無いなら大丈夫だろう、って言われたわ。骨折もしてないなんて、一体どんな落ち方したのかしらね?」
屋上からの落下で、打撲、切り傷のみ。さすがに不自然な気もするが、奇跡とはいつも不自然なものである。誰も疑わないのなら、奇跡、の言葉に便乗してしまえばいいだろう、と尚登は思った。
「俺、どのくらい寝てました?」
まさかあれから二日も三日も経っていないだろうな? と不安になるも、
「意識がなかったのは三時間くらいかしら」
安城が窓に歩み寄り、カーテンを開け外を見た。そこにはとっぷりと陽が暮れた空が広がっている。
思ったほどではない。
『この場所には負のオーラが沢山流れているからな。それらを取り込んで、対処した』
頭の中で、ヴァルガがそう説明してくれた。
(ありがとう。助かった)
ヴァルガの力を使うたび、何日も眠っているわけにはいかないのだ。そもそも、こんなに頻繁にヴァルガに頼ってしまう自分が情けなくもあった。
「……なんで今更、美月は自殺なんか」
ボソッと呟く安城に、尚登は言った。
「重大な秘密を守るため……ですかね」
「秘密? なによ、それ」
「まだわかりませんけど」
「なによ、それ。刑事の勘とか?」
安城が口に手を当て、笑った。
「明日、神田家に行きましょう、安城さん」
きっと、屋敷に何かあるのだ。鑑識が調べつくした庭ではなく、どこか、別のところに。
「それはいいけど……大丈夫?」
「俺ですか? ええ、問題ないです。検査は一通りやっていただいてるんですよね?」
「ええ、全身くまなく、ね」
腕を見る。所々に巻かれた包帯は、切り傷のせいだろう。少し大袈裟なくらいだった。
ゆっくりベッドから足を下ろす。足にも包帯や絆創膏。シャワーは沁みそうだな、などと想像してしまう。
「着替えます。少し待ってもらっていいですか?」
「わかったわ。私はドクターと話してくる」
そう言って安城が部屋を出た。
尚登は素早く患者用の検査着を脱ぐと、ハンガーに掛けられたスーツに腕を通す。あちこちほつれや破けた跡があり、衝撃の強さを今更ながら感じた。
「高かったのに」
つい、文句が口をついて出てしまう。国家公務員の給料は、気前よくスーツを買えるほど良くはないのだ。
「さて、と」
屋敷には、一体なにがあるのか。
探さなくてはならない。
そこにあるはずの『なにか』を。
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