第25話 狩りに行こう・9
薪を集め、焚き火の形を組む。
拾ってきた薄平たい石を川で洗い流して、台に乗せる。
石の上で、小刀でさくさくと肝と心臓を薄く切り、手拭いに乗せていく。
「さ、後は火を着けるだけですよ。クレール様」
「はい!」
ぽ、と小さな火が焚き火の下に出て、火が着いた。
「では、このまま待ちましょう。
石が焼けたら、この切った肉を置いていきますよ。
狩人しか食べられない、特別なものです」
クレールが肉を覗き込む。
「これって、レバー、ですよね?」
「そうです。すぐに駄目になってしまうので、滅多に食べられる物ではありません。
この味は、もう絶品としか言えませんよ。
クレール様、ラディさん、楽しみにしていて下さい」
「そんなに美味しいのですか?」
ふ、とカオルは笑って、
「それはもう。濃厚な味、とろけるような舌触り。
表面の焼けた所が香ばしく・・・
クレール様も、ここまでの味には、そうそう出会ったことがないはず」
「そんなにですか!?」
「そうです。ただ焼いただけで、恐ろしい程の味になりますよ」
火を見ていたラディが、ふと顔を上げた。
「カオルさん」
「なんでしょう?」
「先日の登山の時のような味では、ありませんよね?」
「ふふふ・・・今回は、冗談ではありません。本物です。
ブリ=サンクでも、ここまでの味の物はそうそうないはず」
ごく、と2人の喉が鳴った。
「さあ、まずは石が焼けるまで待ちましょう。
あまり火を強くしてはいけませんよ。じっくりじっくり・・・
ご主人様達も、順調ならばそろそろ帰ってこられましょう」
「マサヒデ様は何を狙っているのでしょう?」
「矢で狙うなら、鹿、ウサギ、狸・・・猪もおりましょうか。
猪は矢では難しいですが、シズクさんが石を投げれば一撃です」
ん? とクレールが首を傾げる。
「猪って、すごく硬いんですよね?
シズクさんは、石を投げるだけでいいんですか?」
「クレール様は、まだ見た事がないのですね・・・
シズクさんの石投げは、尋常ではありませんよ」
「そんなにすごいんですか?」
「私とご主人様は一度見ましたが、飛んでいく石が見えませんでした。
風が巻いて、私とご主人様の髪がばさっと上がって・・・
次の瞬間、何かが弾けるような音がして、木にどんぶりくらいの穴が」
「ええ!? 石を投げただけで、そんなに大きな穴が開けられるんですか!?」
カオルは真面目な顔で頷いた。
これは、本当の話なのか?
「これは誇張ではございません。
木に当たった石は砕け、文字通り粉々になって、煙のように。
魔術や銃もかくや、という威力です。
熊でも、頭に当たれば倒せるとか・・・
お戻りになったら、見せてもらうとよろしいかと」
「・・・」
「シズクさんに銃はいらないんですね」
ラディが降ろした銃に、ちら、と目を向ける。
「むしろ、銃より強いくらいです。
あれが頭に当たっても生きていられる生物は、数える程しかおりますまい。
我々では、例え金属の兜を被っていても、衝撃で兜の中は・・・分かりますね」
ぱちぱちと燃える焚き火の音。
さらさらと流れる川の音。
爽やかな風、小鳥の声。
だが、ここにはただ静寂のみ。
「・・・」「・・・」
すっとカオルが薪を取って、ぱきん、と折って火にくべた。
「シズクさんが石を持っている時に、絶対に前に立ってはいけませんよ」
「はい・・・」
「気を付けます」
「む」
カオルが頭を上げ、後ろの森の方を振り向いた。
何かが来る。マサヒデ達か・・・
「おーい!」
シズクの声。
「ふふ。噂をすれば、ですね」
クレールが立ち上がって、ぶんぶん手を振る。
「おーい! おかえりなさーい!」
がさがさと落ち葉を踏む音が聞こえ、マサヒデの姿が見えた。
後ろにシズク。何かを肩に担いでいる。
「やあ、遅くなりました。大物ですよ」
にこにことマサヒデとシズクが笑っている。
「へへーん、どうだあ」
くる、とシズクが背中を向けると、首を落とされた猪。
「うわあ! すごいですね!?」
「む・・・本当に猪を狩ってくるとは・・・」
「本当に? 何の話です?」
「いえ、今、シズクさんの石投げなら、猪でも一撃だという話をしていたのです」
「ああ、そうでしたか。
この猪も、シズクさんに頭を吹き飛ばしてもらいました」
「どっこいしょ・・・」
シズクが猪を下ろした。
「おお、ご主人様、ちょうど今から、鹿の肝を焼く所でした。
その猪の脂を、この石の上で溶かしましょう!
恐ろしい美味になるはず!」
「む! 鹿の肝ですか!? そこに猪の脂を!
カオルさん、素晴らしい思い付きですね!
よおし、ちょっと待ってて下さい」
マサヒデは下ろされた猪の腹に小刀を入れ、小さな肉を切り取った。
焚き火の前に行って、肉を差し出す。
「ほら、クレールさん、ラディさん、見て下さい。
すごい脂でしょう?」
「お、おお・・・」
「これは・・・」
「この脂を見ただけで分かるでしょう。猪も美味いですよ!
いくつか切り分けますから、食べていきましょう。
ただの塩焼きでも、これはたまらない味になるはずですよ!」
ごくん、とクレールが喉を鳴らす。
「はい!」
ぴ、ぴ、と軽く脂の部分だけを切って、鹿の肝が置いてある手拭いの上に置く。
「シズクさん、マツさんを起こして下さい。
私は少し肉を切りますから」
「分かった!」
シズクがマツの隣に座って、ゆさゆさ揺すりながら「マツさん、マツさん」と声を掛ける。マサヒデは無言で肉を切り分け、手拭いに置いていく。
カオルが焚き火の上に置かれた石に、ぽちゃ、と一滴水を落とす。
しゃあ・・・
「うむ! 頃合いですね!」
小枝で脂を突き刺し、石の上に引いていく。
じゅわじゅわと音を立てて、脂が溶ける。
「うわあ・・・」
「すごい・・・」
「ふふふ。さあ、肝を乗せますよ」
ぺた。ぺた。ぺた・・・
じゅわあ・・・
「さ、皆様、握り飯の用意を。
焼いていきますから、お食べ下さいませ」
カオルがクレールとラディに先を尖らせた小枝を2本渡す。箸だ。
「んん・・・美味しそうですね?」
起き上がって来たマツも、焚き火の側に座った。
頭を打ったりはしていないので、目眩などは一切ないようだ。
「奥方様、気分は」
「大丈夫です。もう、お昼の時間でしたか・・・」
「いえ、昼は過ぎてしまいまして・・・
遅くなりましたが、これから昼餉です。
鹿の肝と、猪の肉ですよ」
「鹿の、肝ですか?」
「ふふふ。奥方様も食べた事はございませんようで・・・
さ、そろそろ焼けますので、どうぞ」
カオルが、ぴら、と肉を裏返す。
「皆様、申し訳ございませんが、最初の1枚目は、ラディさんに。
狩った者が最初に食べねば・・・さあ、ラディさん」
「では!」
ぴ、と肉を即席の箸でつまみ上げる。
肉と脂の焼ける、良い匂い。
「ふう、ふう、ふう・・・」
ぱく。
「んっ! んん・・・」
ラディが幸せそうな顔で、頬に左手を当て、もむもむ、と口を動かす。
これはやばい味だ!
こくん・・・
ぐったりと、ラディが頭を垂れた。
「ああ・・・カオルさん・・・私、私、生きてて本当に良かった・・・」
「そこまで!?」
ぐい、とクレールが膝を乗り出した。
にやりとカオルが笑い、
「ふふふ。さ、クレール様も」
「いただきます!」
ぴし! ぱく!
「んむうん・・・」
幸せ・・・
クレールの顔が輝く。
「ははは! 美味しそうじゃないですか!」
2人の顔を笑顔で見ながら、マサヒデが猪の肉を持ってきた。
「さ、これも焼きましょう。美味しいですよ」
「よーし! 直火でも焼いちゃおうよ!」
小さめに切られた猪の肉を、ぷすぷすと枝に刺して、シズクが並べた。
熱で溶けた脂がちりちりと音を出し、とろりと枝を垂れていく。
「ささ、ご主人様も、奥方様も、固くならないうちに肝を」
「うん、いただきます!」
「いただきますね」
「では、私も・・・」
皆の顔が、幸せいっぱいだ。
この森に来て良かった。
握り飯を頬張りながら、マサヒデも幸せな気分になった。
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