第21話 狩りに行こう・5
森の中、川の少し上流。
マツとクレールが心で叫び声を上げていた頃。
「む」
カオルが足を止めた。
「ラディさん。こちらを」
「?」
カオルが指差した所を見るが・・・
「何ですか?」
「これは鹿ですね・・・見て下さい」
さっぱり分からない。
ただ、落ち葉が積もっているだけだ。
「これ? ・・・ですか?」
適当にカオルが指差した所を、指差してみる。
全然分からない。
ここに、鹿の足跡があるのか?
「はい」
す、とカオルが立ち上がり、少し歩いて、また座る。
「うむ・・・あちらへ向かっていますね」
カオルが顔を上げて、向こうを見る。
「・・・」
近付いて、地面を見てみる。
さっぱり分からない。
「カオルさん、どれでしょう?」
「これです」
カオルが地面を指差し、小さく円を描く。
じっと顔を近付けて見るが、やはり分からない。
少し落ち葉が割れている・・・ような?
周りの落ち葉と、全然見分けがつかない。これが鹿の足跡?
「?」
「ラディさん、銃を準備して下さい」
「はい」
言われるまま、担いだ皮のケースから、銃を出す。
「あの、鹿は足がすごく速いと聞きますが」
「大丈夫です。我々には知識があります」
「知識?」
「走るのが速い動物よりも、地形や風向き、習性を知っている私達の方が、少しだけ有利なのです。いずれ追いつきます」
「そうなのですか」
「そういうものです」
と言って、カオルは地面から顔を上げ、ラディを見た。
「さて、ラディさん。追跡前に、ひとつご注意です」
「はい」
カオルがぐっとラディに顔を近付け、人差し指を立てる。
「動物を相手にする場合『速さ』よりも『落ち着くこと』を第一に考えて下さい。
見つけた時に、逸ってはいけません。まず、落ち着くのです」
「はい」
「もし動物を見つけて、射程距離で外してしまいますと、動物は2度とその射程距離内に入って来ません。必ず命中する! と確信するまで、撃たないで下さい」
「・・・」
「別に、緊張させるつもりはありませんが・・・よろしいですね」
ラディはこくりと頷いたが、緊張してしまった。
(カオルさん・・・十分緊張しました・・・)
「1撃で仕留める必要はありません。1発目は、どこでも良いので、当てて下さい。
そうすれば、逃げても痛みと失血でどんどん弱り、遅くなります。
血を辿って行けば、簡単に追い詰められます」
「なるほど」
「では、参りましょう」
す、とカオルが立ち上がった。
ラディも立ち上がり、地面を見ながら歩くカオルに付いて行く。
さくさくと落ち葉を踏みながら、
「カオルさん」
「何でしょう」
「ある程度までは追いつけたとして・・・どうやって近付くのですか?
私はカオルさんのように、気配を消したり出来ませんが」
カオルが足を止め、くるっとラディに振り向いて、
「気配など隠す必要はございません。
既に、私達がここにいるという事は知られております」
「え?」
「動物というのは、そういうものです。
数百間も先から、人がいると言う事を気付いています。
音か臭いか、あるいは勘か・・・」
また、かさかさと落ち葉を踏みながら、歩き出した。
きらり、とカオルの目が光る。
「・・・ですが、それを承知で追跡していくのが、狩りというものです」
「狩り・・・」
「鹿というものは・・・
ヒョウや狼などが視界に入っていても、悠々と草を喰んでいることがございます。
彼らが跳び掛かってくる距離を、分かっているのです」
「・・・」
「その距離まで近付かない限り、絶対逃げられる。そういう自信があるのです。
肉食動物の狩りというものは、そのぎりぎりの所で勝負をしているのです」
「そうなのですか」
「この鹿も・・・逃げずに、ある程度の距離までは、私達を近付かせます。
人間のようなノロマな生き物に捕まるものか、と自信たっぷりに・・・
我々が、矢や銃弾を飛ばすとは、まだ知っておりません。
そこを確実に近付いて・・・仕留めるのです」
「確実に・・・仕留める・・・」
ちら、とカオルが振り向いて、ラディを見た。
「ラディさん。緊張しておられるのですか?」
「緊張しています」
「仕留める、と言いましても・・・
先程申しました通り、1発目が当たれば良いのです。
そうすれば、逃げても簡単に追いつけます。
それで、確実に仕留めたも同然ですので」
「はい」
少し歩いた所で、またカオルがしゃがみこんだ。
「ラディさん」
「はい」
近付いて行くと、なにか動物の糞がある。
「これは・・・」
「鹿の糞ですね・・・新しい。近付いております。
おそらくあちらですね」
「はい」
かさ。
「?」
何か音がしたと思ったが・・・
(風で落ち葉でも舞ったのかな)
カオルの方へ向き直り、追いかけようとした時、
「!?」
向こう側の木の陰から、すっと鹿が頭を出した。
「カオ・・・」
カオルはもう歩いて行ってしまっている。
大声で呼んだら、鹿が逃げてしまうかもしれない。
「うっ」
鹿が顔を上げ、目と目が合った。
(カオルさんがいない・・・私だけで撃つしかないの!?)
生き物相手の場合、速さより、落ち着くこと・・・
「すうーっ・・・ふううぅーーー・・・」
深呼吸をする。落ち着いて。
鹿がじっとこちらを見ている。
(ある程度の距離までは・・・近付ける・・・)
まだ、頭しか見えない。
ゆっくり、右へ一歩。
じり・・・もう一歩。
もう一歩・・・す、と足を出した所で、ぴく、と鹿が動いた。
(あっ・・・)
逃げる、と思ったが、まだその場に留まっている。
この位置が限界か。
ゆっくりと、ゆっくりと・・・片膝でしゃがみこんだ。
今にも逃げそうだ。
そー・・・と、八十三式を構える。
仕方がない。冒険だが、ここで撃つしかない!
「・・・」
狙いを付ける。
頭は小さい。当たるかどうか。
もう少し右に動けたら、確実に胴体に当てられたが・・・
首の根本が見える。あの辺り・・・
引き金は、ゆっくり、絞るように。ゆっくり、ゆっくり・・・
ぱぁん!
(当たった!)
音が木で響いて、ばさささ・・・と小鳥が飛んでいく。
「あ!」
銃弾が当たって一瞬ぐらっとした鹿が、ぱ! と走り出した。
同時に、カオルが駆けてくる。
「当たりました!」
「お任せを!」
すー・・・とカオルが走って行った。
落ち葉の上を走るのに、音もしない。
「・・・」
かしゃ、とボルトを引いて、薬莢を弾き出す。
地に落ちた空の薬莢から、薄い煙が上がった。
そっと手拭いを被せて拾い上げ、腰のベルトに着けた小さなポーチに入れる。
「ふう・・・」
ゆっくりと鹿がいた位置まで歩いて行くと、血が落ちていた。
点々と、カオルが走って行った方向に、血が続いている。段々、大きくなる。
ゆっくり血を見ながら歩いて行くと、すぐに座り込んだカオルが見つかった。
鹿が倒れている。
カオルがラディの方を振り向いて、
「お見事です」
と、小さいが、はっきり聞こえる声で言った。
歩いて行くと、倒れた鹿の首の下に、血溜まりが出来ていた。
細かく震えている。まだ、生きている。
「まだ」
手を前に出した瞬間、
ぴた、と鹿の震えが止まった。
「あっ・・・」
震えが止まった。死んだ。
「こちらへ」
招かれるまま、ラディはカオルの横に座った。
カオルは小さく頷き、鹿に向いて、手を合わせた。
ラディも手を合わせた。
少しして、
「では・・・」
カオルが縄を出し、鹿の後ろの両足を縛った。
近くの枝の根本に縄の端を投げ回し、ぐい、ぐい、と引っ張って、吊り下げる。
解体するのだ・・・
ラディがその様子を見ていると、カオルが縄を縛り付け、固定した。
小太刀が抜かれ、しゅ、と振られた。
鹿の頭が落ち、次いで、だらだらと首から大量の血が流れ落ちる。
落ちた頭が、血で濡れた。
カオルが苦無を取り出し、ざくざくと地に刺して、穴を掘り始めた。
頭を埋めるのか・・・
ラディはそっと立ち上がって、カオルの後ろに立った。
しばらく、カオルは穴を掘り続けた。
かなり大きな穴を掘っている。
頭を埋めるのにしては、大きな穴だ。
少しして、カオルが手を止め、苦無の土を払って、懐にしまった。
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