第8話 開眼・1


 ギルドから戻った後、マサヒデはまた真剣を取って、庭で素振りを始めた。


 指先から。


 願わず、想わず。

 余計な事を考えず、自然に刀の進む方に着いて行け。


 袈裟。

 ふらり・・・

 とすん、と足を着く。


 芯が身体に残る。

 振りに合せて出来た芯ではない。


 唐竹。

 ゆらっ・・・


 逆袈裟。

 ふらり・・・


 横薙ぎ。

 くらっ・・・


 斬り上げ。


「ええい! 違う! 違うんだ!」


 大声を出してしまった。

 は、として縁側の方を向くと、驚いたクレールがこちらを見ている。

 肘枕のシズクが、驚いてこちらを見ている。

 壁に向かって座禅をしていたカオルが、首を回してこちらを見ている。


「すみません・・・大声を出してしまって」


「い、いえ・・・」


 がっくりと肩を落とし、マサヒデは消沈していた。

 訓練場にいるマサヒデは、自信満々といった風ではないが、落ち着いている。

 苛ついて、大声を上げて、意気消沈。

 いつものマサヒデからは、想像もつかない姿だ。


 クレールはつっかけを履いて、縁側を下りてきた。

 そっとマサヒデの裾を取って、


「マサヒデ様。少し、休みましょう」


「く・・・そうですね。休みます。今の状態では、とても・・・」


 ぐ、と握られた拳が、震えている。

 すうー、とゆっくり息を吐いてから、しゅー・・・とゆっくり刀を収めた。


「ふうー・・・すみません。ご心配をお掛けして」


「少し休憩したら、落ち着きますよ。皆でおまんじゅうを食べましょう」


「はい」


 マサヒデはクレールに引っ張られるように、ぐったりしながら縁側に歩いてきた。

 どさ、と腰を落とし、頭を抱える。


「くそ・・・」


 自分でも、今の状態が『願わず、想わず、無心』とは程遠いとはっきり分かる。

 はっきり分かるだけに、余計につらい。


 まだ、練習を初めて2日目。

 出来なくて当然だが、全く手応えが掴めない。


 干し草の中の針という言葉があるが、針があると分かっている分、まだましだ。

 探している干し草の中に、針があるのか分かっていない。

 どの干し草の山にあるのか、そもそも分からない。そんな感じだ。


「カオルさん、皆でおまんじゅうを食べましょう」


「は」


 よいしょ、とシズクが身体を起こす。

 カオルが奥に引っ込んで、すぐに茶とまんじゅうを持ってきた。


「マサちゃんがそんなにきつい顔してるの、初めて見たよ。

 そんなに厳しい練習なの?」


「厳しい、というより・・・分からない、ですかね・・・」


「ふうん・・・どんな風に?」


「基本の振りが、分からないんですよ」


「基本? 基本なら、マサちゃんしっかり出来てるじゃん」


「全く別の流派のもので、私の流派とは違う振り方なんです」


「誰かに教えてもらったの?」


「私が偶然気付いて、父上がそれは別の流派の振りだって教えてくれました。

 みっちり手ほどきもしてくれたんです。なのに、良く分からない・・・」


「カゲミツ様がみっちり? あんなに教えるの上手なのに、分からないの?」


「はい・・・情けなくなりますよ」


 マサヒデの拳がふるふると震えている。


「手応えすらない。今のまま振り続けていても、全く掴めない・・・」


「練習始めたの、昨日からでしょ?」


「はい」


「じゃ、出来なくて当たり前じゃん。そんなにがっかりしちゃ駄目だよ。

 さ、まずはおまんじゅう食べようよ。甘いの食べないと、頭が回らないよ」


「・・・そうですね」


 まんじゅうを手に取り、口に運ぶ。

 全然味が分からない。

 ごくっと飲み込み、ぐっと茶を飲んで流し込む。


「ご主人様、カゲミツ様のお言葉を、全部思い出してみましょう。

 勘違いがあるかもしれませんよ。指先から、足先まで、のような」


 置かれた湯呑に、カオルが茶を注ぎ足す。


「そうですね・・・

 指先から振って、身体を着いて行かせる。

 芯を作ってからじゃなく、振れば、自然に芯が出来る。

 だから、どんな振りでも芯が出来る。

 余計な事は考えず、刀に自然について行け・・・

 願わず、想わず、無心で、ですか」


「昨晩、驚いた時の事、覚えていますか?」


「ええ。刀が泳いだのに、崩れなかった」


 クレールが驚いて顔を上げた。


「え? 刀って泳ぐんですか? びっくりして、水に落としちゃったんですか?」


 消沈していたマサヒデも、少し笑いが出た。


「ふふふ。剣筋、太刀筋がずれちゃったんですよ。

 変な振り方になっちゃったんですよ。そういうのを、泳ぐって言うんです」


「それで崩れないなら、その振り方をしてみたら良いのでは?」


「それが、やってみたんですけど崩れちゃうんですよね」


「あ! マサヒデ様! 分かりました!

 びっくりして、無心になっちゃったんですよ!」


「ええ。私もそうだと思います。それで、偶然出来たんだと・・・

 一度振れれば分かるというのは、無心で振ることが出来ればって事ですかね。

 無我とか無心なんて、私程度では中々出来るものじゃないですけど」


「でも、カゲミツ様はすぐ出来るって仰ってたんですよね?」


「ええ。それがさっぱりです」


「あー! 分かりましたよ! きっと、刀を泳がせれば良いんですよ!」


「む・・・」


 くす、とカオルが笑った。


「あ! カオルさん、笑いましたね!?」


「ふふふ。クレール様、それでは相手を斬れませんよ」


「そうなんですか?」


「ええ。だから、どんな筋からでも斬れるというのは・・・」


 はっ! とカオルがマサヒデの方を向いた。

 マサヒデが、真剣な顔をしている。


 これかもしれない・・・

 無願想流の振りは、筋に囚われない。


 マサヒデは、今まで、ずっと基本の米の字で練習していた。

 わざと外して振ってみれば、すぐに掴める感触かもしれない。


 マサヒデはクレールの肩に手を置いた。


「クレールさん。あなたが妻で良かった」


「あ! 当たってたんですね! ほら、カオルさん、見て下さい。

 マサヒデ様、かっこいい顔になりましたよ!」


 くるっとクレールが振り返ると、カオルも真剣な顔をしている。


「かっこいい顔・・・ですよ・・・?」


「カオルさん、相手してくれますね」


「は」


 ぐっと茶を一気飲みして、マサヒデが立ち上がった。

 カオルが奥から木刀と訓練用の小太刀を持ってきて、

 

「ご主人様、どうぞ」

 

 と、木刀をマサヒデに渡した。

 2人の目が、燃えている。


「おお! 燃えてるねえ! 若い子はこうじゃなきゃ! ね、クレール様!」


「そ、そうですよね!」


 残ったカオルの食べかけのまんじゅうを引っ掴み、シズクがにこにこと笑う。

 庭に下りたマサヒデが「こうか?」「こうか?」と変な振り方をし始めた。

 剣は良く分からないシズクでも、はっきり変だと分かる。

 カオルも下りてきて「こう!」「こう!」と、振り始めた。


 がたがたに崩れているが、はっきりと手応えを感じているようだ。

 マサヒデの顔が、今までと変わっている。

 ぶん、ぶん、と振り回して、半刻ほど。


 しゅ。

 音が変わった。


「これだ!」


 しゅ。

 身体が変な方向を向いているのに、いつもの素振りのように、綺麗な音。


「こうだ!」


 しゅ。

 流されているようで、まるで崩れていない。


「お・・・」


 声を聞いて、寝ていたシズクが顔を上げ、驚いてマサヒデを見つめる。

 振りが恐ろしく速い。

 一見、手振りで軽そうに見えるが、しっかり身体が乗っている。

 明らかに変な剣筋なのに・・・


「こうするんだ!」


 振りに乗って、マサヒデが跳ぶ。

 振りながら、ぴたりと止まる。

 着地した所で、ひゅんひゅんと木刀を振る。

 流されているようで、流れていない。

 身体の方向がくるくると木刀に振られているのに、しっかり地に足が着いている。


「手の内だ! 手の内! 指先! 手の内! 指先!」


「なんだありゃ・・・」


「踊ってるみたいですね? すごく楽しそうです!」


 クレールはにこにこしているが、シズクにははっきり分かる。

 あれは尋常の剣じゃない。

 全然軌道が分からない。

 変な振り方なのに、全然ブレがない。


「ご主人様! これですね!」


 カオルまで変な振り方をし始めた。

 元々、普通とは違う振り方だったが、剣術の基本からは外れていなかった。

 それが明らかに変になっている。


「そうです! カオルさん、それです! 手の内も! 指先、手の内!」


「手の内! こうですね!」


 2人の身体の揺れが小さくなってきた。

 同じ体勢なのに、流れるように剣筋が自在に変わっている。

 刀の筋が、異様すぎる。


「カオルさん! こう! 同じ筋でも、こう! 芯を変えればこうですよ!」


 全く同じ筋を振っているのに、明らかに違う振りになっている。

 身体の動きが全く変わっていないのに・・・


「ほら、シズクさん、見て下さい!

 薙ぎ払いでもない、斬り上げでもない、こんな変な筋でもまともに振れる!

 ほら見て下さい! こう! ほら、次、こう!」


 にこにこしながら、マサヒデが左右からくるくると剣を払って回す。

 これはやばい。

 シズクは血の気が引いた。

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