第二章 太刀の道

第5話 泳いだ刀


「カオルさん」


 ぽん、と固まったカオルの肩に手を置くと、カオルはがっくりと手を付いた。

 地面を向いた顔から、ぽたぽたと冷や汗が落ち、小さくじわっと広がって乾く。


「うっ、うっ・・・」


 アルマダは大して汗もかかず、すたすたと歩いて行ってしまった。

 見物人達から、アルマダに拍手が送られている。


「さ、手を」


「は・・・」


 ゆっくりと差し出された手を握って、カオルを立たせる。

 顔は冷や汗で一杯で、蒼白になっていた。


「今のは相打ちでしたが、次、勝てると思いますか」


「・・・負けると思います」


「私とアルマダさんの話、聞いていましたか」


「えっ・・・いえ、申し訳ございません」


 カオルが顔を上げ、マサヒデの方を向いた。


「アルマダさんから見た、カオルさんの評価です。

 最初から、簡単に飲まれてしまった。

 最後も、後ろから跳ばずに、普通に後ろから斬り込めば一本だった。

 全体的に落ち着きがない。飲まれてしまって、せっかちな所が出たんですね」


「は・・・」


「アルマダさんを見て下さい」


 アルマダはカオルのように汗だくでもなく、普通に皆と談笑している。


「随分と余裕がありますね。

 カオルさんは、まるで真剣勝負の後のように、汗びっしょり。

 顔も真っ青になっています」


「・・・」


「毒を撒いたり、火を使ったりしたら、カオルさんも余裕があったと思いますか」


「とてもそうは思えません」


「そうですか。足りない部分は分かりますね」


「はい」


「次は勝てるようにして下さい。では、帰りましょう」


「は」



----------



 ギルドを出てから、アルマダはそのまま帰って行ってしまった。

 何か思う所があるようで、険しい顔のまま歩いて行った。

 ぼんやりと、何かを掴みかけているのだ。


「ううむ・・・」


 自分も、早く無願想流を身に着けなければ。

 今のままでは、アルマダに負ける。


「師匠、あの、物を直す魔術の手ほどきを」


「良いですとも」


「私も見たいです!」


 ラディがマツに頭を下げている。

 クレールも一緒に頭を下げている。

 カオルは皆に茶を差し出した後、腕を組んでじっと考え込んでいる。


「私も、素振りでもします。

 アルマダさんとカオルさんを見てて、ちょっと熱くなってきました」


「頑張って下さいね」


 にこにことマツが笑って、立ち上がった。

 マサヒデも立ち上がり、真剣を取った。

 庭に下り、マツ達の邪魔にならないよう、隅まで行く。

 刀を抜き、父の言葉をゆっくり、正確に思い出す。


 身体に染み付いた振り方を、全部壊して、最初から組み直し。


 芯に合せて振るな。

 振りに合せて、勝手に芯が出来る。

 芯が作られれば、振り回されず、崩れない。

 一度振れれば、身体で理解出来る。


 願わず、想わず。

 余計な事を考えず、自然に刀の進む方に着いて行け・・・


「よし」


 身体に自在に芯を作る事が大事だと思っていた。

 だが、少し違う。

 カゲミツは、振りに合わせて勝手に芯が出来るという。

 自分で芯を作ってからではないのだ。


 正中線なんぞ捨てちまえ。

 素振りをしている時、カゲミツはこう言っていた。


 指先を意識して、半分くらいの力で振る。

 しっかりと、崩れないように下半身が残っている。

 これではいけないのだ。

 刀に着いて行け。


 薙ぎ払う。

 くらり・・・おっと。足を出して、止める。


 振り回されただけだ。

 芯が出来ていない。

 正中線に芯が残るから、崩れてよろける。


 もう一度。

 くらり・・・


 もう一度。

 くらっ・・・


 後ろで、マツが皿を投げて割っている音が聞こえる。

 拍手と、おお、というクレールの声が聞こえる。


 もう一度・・・

 くらっ・・・


 刀に着いて行け。

 振れば芯が勝手に出来る。

 芯は自分で作るんじゃない。

 刀に着いて行けば、勝手に芯が作られる。


 もう一度。

 くらり・・・


 もう一度・・・

 おっと・・・


「ふうー・・・」


 自分の芯に合わせた振りが、身に染み付いている。

 全部ぶち壊して、やり直し。

 言うのは簡単だが、身体がもう覚えてしまっている。


 構え直して、もう一度。


 ふらっ・・・

 くらっ・・・


 素人が得物に振り回されるようだ。

 だが、今はこれで良いはずだ。

 最初から、組み直しだ。

 一度振れれば分かる。


 指先から・・・



----------



「すうー・・・」


 深く息をついて、ゆっくりと吸い込む。

 ぐっと身体中に止めて、ゆっくり、ゆっくり、吐き出す。


「ふうー・・・」


 少し息が整った。

 もう一度・・・


「ご主人様」


「うっ!?」


 振りかけた所で、後ろからカオルの声がかかった。

 驚いて、ふらりと刀が泳いだ。


「カオルさん、驚かせないで下さいよ」


 すりっと刀を収める。


「夕餉の時間です」


「ああ、もうそんな時間でしたか・・・集中しすぎましたね」


 いつの間にか日は沈みかかり、薄暗くなっていた。

 顔を上げると、空が暗く紫色になっている。


「ふう。中々掴めないものですね」


「カゲミツ様は、最初から組み直しと仰っておられましたから・・・

 身に染み付いてしまった技術を全て捨て去るなど、難しいでしょう」


「足譚が出来るなら、基礎なんて楽だ、なんて言ってましたが、とてもですよ」


「私には、少し出来ていたように見えましたが」


「え? 出来てましたか?」


「今、刀が泳いだ時、崩れなかったではありませんか」


「ん・・・ううむ? そうですかね?」


 す、と抜いて、ゆるく振ってみる。

 くらり。


「ううむ? 振り回されて・・・いますね」


 カオルが首を傾げた。


「見間違いでしたでしょうか・・・」


「どうでしょう。カオルさんが見間違えますかね。

 何か、気付かないうちに出来ていたのかも・・・

 刀がこう・・・泳いだ・・・」


 ふらり・・・


「ほら、ご主人様、今は崩れているではありませんか。

 ここです。先程は、崩れておりませんでしたよ。

 そのまま、驚かせるな、とこちらを向いて」


「む・・・そう言えば・・・」


「今、出来ていたのかもしれませんね」


「ううむ? 良く分からないですね?

 父上は、一度振れれば身体で理解出来る、と仰られましたが・・・どこだろう」


 もう一度・・・

 くらり。


「むう・・・」


「本日はここまでにしては。皆様、お待ちですよ」


「うん、そうですね。上がりましょう」


 自身では分からなかったが、カオルには見えたのだ。

 刀が泳いだ。しかし、振り回されず、ふらつかなかった。

 今、自分では分からなかったが、確かに何かを掴みかけた。

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