第15話 黒嵐、お披露目・3


 トミヤス道場前。


「・・・」


 門の前に立つと、奥の道場から、皆の声や叩かれる音が聞こえてくる。

 訓練場で稽古はしているのに、もう、随分とこの音を聞いていない気がする。


「・・・」


 感慨深げなマサヒデの顔を見て、マツも黙ってマサヒデを待った。

 しばらくして、マサヒデはマツに黒嵐の手綱を渡し、ふ、と小さく笑った。


「じゃあ、私は村の皆に挨拶しに行ってきます。

 ふふふ。マツさんは、父上に思いっ切り黒嵐を自慢して下さい」


「うふふ。時間はどうしましょう?」


「ちょうど酉の刻くらいに、またここで。

 そのくらいに出れば、亥の刻には戻れるでしょう」


「分かりました」


「では・・・」


 くるっと背を向け、マサヒデはすたすたと歩いて行ってしまった。

 敷居を跨げないとはいえ、顔を合わせる事は出来るだろうに・・・

 親に顔を合わせる事が出来ずとも、門弟達にも挨拶はしたいだろうに・・・


「・・・さ、黒嵐ちゃん、行きましょうか!

 お父上をびっくりさせちゃいましょうね!」


 小さく黒嵐が鼻先を振る。



----------



「一本だ! 馬鹿野郎! 踏み込みが浅い!

 お前もそこ、最後の所、もっとぐぁっと下から! 避けられるぞ!」


 門弟同士の立ち会いを見ていたカゲミツの大声が、道場に響く。


 ぴく。

 カゲミツの眉が少し動く。


(マツさん、か?)


 この気配はマツだ。

 近くに座っている門弟に声を掛ける。


「客人が来たようだ。すまねえが、本宅の方に行って、アキに茶の用意をするように伝えてくれるか」


「はい!」


 門弟が立ち上がり、走って行く。


「客が来た! 稽古続けてろ!」


「はい!」


 よ、と立ち上がった時、


「うわあ!」


 と、外に出て行った門弟の声。

 なんだ? と道場が静かになる。

 カゲミツの足も止まる。


「ん?」


 ざす・・・ざす・・・

 何かが歩いて来る。重い音。

 シズクではない。これは馬の足音か?


「お父上! お疲れ様です!」


 道場の縁側から、マツの声。

 手綱に引かれた、とてつもなく大きな馬。


「う!」


 カゲミツの目が見開かれる。

 門弟達も、驚いてマツの方を見る。

 あの巨大な馬は!?


「マツさん・・・」


「うふふ。見て下さい! すごい馬でしょう!?」


「こりゃすげえ・・・」


 すたすたと歩いて、縁側を下りる。

 先程、外で声を上げた門弟が、本宅へ走って行く。


「マツさん、こいつは町で売ってたのかい? 一体いくらした?」


「ふふふ。マサヒデ様が捕まえてきたのですよ」


「ち、マサヒデの野郎・・・またか・・・あいつはどういう運を持ってやがる」


「どうです。すごいでしょう?

 馬屋さんも、名馬になるって太鼓判を押してくれたんですよ」


 カゲミツは、ううむ、と唸って腕を組む。


「こりゃ驚いた。ちきしょう、またマサヒデの野郎に一本取られちまった」


 カゲミツが近付いても、全く驚いていない。

 艶のある立ち姿。

 黒く輝く毛並み。

 締まった肉、頑丈そうな足に、形の良い蹄。

 これは確かに名馬になるだろう。


「今日は、こいつで町から?」


「はい。少し前、マサヒデ様が、2人だけでお出掛けする約束してくれたんです。

 それで我儘を言って、今日はマサヒデ様に乗せて来てもらいました」


「マサヒデと? て事は、マサヒデもここに来てんのか?」


「はい」


 おお、と門弟達の声が上がる。


「マサヒデは?」


「・・・敷居は跨げないからって、村の皆様に挨拶に行く、と」


「ふーん・・・はっ! ははは!

 村の皆に『まだここにいるのか?』なんて馬鹿にされなきゃ良いけどな!」


「くす。マサヒデ様も、同じ心配をしてましたよ」


「ははは! で、マツさん、今日の土産はこいつかい?」


「お父上、お見せしに来ただけでございます」


「そうなのか? なあんだ、てっきりこいつが土産かと思っちまったよ」


 じろじろ。


「ふーん・・・」


 じろじろ。

 顎に手を当て、ゆっくりと馬の周りを回り、上から下まで舐めるように見る。


「なあ、マツさん。こいつ、もらっちまって良いかな?」


 マサヒデ様の予想通り。

 くす、と小さくマツが笑う。


「いくらお父上でも、それはだめですよ。

 この黒嵐ちゃんは、私ともお友達なんですから。

 お父上は、私のお友達を拐ってしまうのですか?」


「む・・・良いじゃねえか! すぐ隣の町なんだからよ!

 会いたきゃすぐ来れるんだし! なあ!」


 カゲミツが子供のように駄々をこね出した。


「だめです。タマゴが産まれても、見せてあげませんよ」


「う! 痛え所を突くなあ・・・」


 にやにやとマツが笑う。


「ふふふ、どうしても欲しいですか?」


「うーん、欲しい! 欲しいなあ!」


「マサヒデ様は、黒嵐ちゃんは譲れませんけど、三大胆か魔神剣と交換なら、捕まえてきた場所をお教えしても・・・と仰っておられましたよ」


 む! とカゲミツが顔を向ける。


「何!? あの野郎! でかく出やがったな・・・

 くっそ、三大胆か魔神剣か・・・」


「こおんな馬が、まだ沢山いるそうですよ?」


「う・・・沢山いるのか・・・むぐぐ・・・」


 にやにやするマツ。

 下を向いて、きりきりと歯噛みするカゲミツ。


「黒嵐ちゃんは特別ですけど、こおんなに大きな馬までいたんですよ!

 この黒嵐ちゃんより、もっともっと大きいんです。

 厩舎で馬屋さんが『本当に馬か!?』って驚いちゃったんです。

 その馬も、今は厩舎にいるんですよ。うふふ」


「く、くそ・・・だが、だが、三大胆も魔神剣も譲れねえ・・・」


「ハワード様も、そこですごく貴重な馬を捕まえたんですよ。

 ファルコンって名前を付けてました。ファルコンも大きいんですよ」


 え? とカゲミツが顔を上げる。


「ファルコン? 闘将ファルコンのファルコンか?」


「さあ、由来は存じませんけど・・・

 たてがみと尻尾が白っぽくて、暗めの色です。すごく貴重な色だとか。

 ファルコンも、一緒に厩舎にいますよ。

 うふふ。もしかしたら、同じ色の馬がまだいたりして」


「まじかよ・・・尾花栃栗毛かよ・・・アルマダの野郎まで・・・」


「ファルコンも大きいんですよ。

 ハワード様も、子供のようにはしゃいでおられました。

 今、世界にこれだけの馬はいないだろう! なんて言って。うふふ」


「ち、ちきしょう! マサヒデもアルマダも、小僧の癖に馬鹿にしやがって!」


 アルマダは別に自慢しに来たわけではないが、もう腹が立って仕方がない。

 どっちも戻ったら立てなくなるまで、いや、立てなくなってもぶちのめす。決定。

 ぎりぎりと歯軋りするカゲミツを見て、マツがくすくす笑う。


「まあ、お父上、マサヒデ様は帰るまでは乗って構いません、と仰られましたから。

 それで我慢して頂けますか?」


「く・・・くそ・・・マサヒデの野郎!」


 ぎりぎりぎり・・・

 歯噛みして、カゲミツは「どすん」と縁側に座り、固い笑みを見せた。


「ふーう・・・ふ、ふふふ、子供みてえに駄々こねちまったな。

 すまねえ、マツさん。見苦しい所を見せちまったぜ。

 せっかくのマサヒデの好意だ。後で乗せてもらおうか」


「はい」


「じゃ、マツさん、ちょっと本宅に行こう。アキに茶ぁ用意させてるから」


「分かりました」


「おい、お前、この馬預かって、どこでも良いから庭の木に繋いどけ」


「はい!」


 門弟が出てきて、恐る恐るマツの手から手綱を受け取る。

 ふう、と息をついて、カゲミツは立ち上がった。

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