第4話 気付き・2
血だらけになったエミーリャを、冒険者が両側から抱えて出て行った。
マサヒデはしんと静まり返った訓練場を歩き、エミーリャが落とした弓を拾う。
正座した皆の前に立った。
「さて、実戦はいかがでしたでしょうか」
放映を通してではなく、生で見るマサヒデの実戦。
あれほど怯え、完全に戦意喪失した者の肩を、容赦なく砕いたマサヒデ。
実際に切り合いをした事のある者達もいるのに、皆が静まり返っている。
マサヒデは壁に歩いて行って、静かに木刀と弓を置いた。
皆の前に戻ってきて、置いてあった竹刀を拾う。
「今回、彼女は降参したので死にませんでした。しかし、皆さんの仕事で切り合いになった場合は、降参しても逃してくれる事は、まずないのではありませんか? 普段から、死なずに済むように心掛けて、訓練をして下さい」
「はい!」
「では、最初の方」
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静かに治療室の戸を開ける。
治癒師と医者が、小さく頭を下げた。
「彼女は?」
「生きていますよ。出血が酷いので、輸血しています。
ショックもないようですし、しばらくしたら目が覚めるでしょう」
「そうですか。こちら、彼女の持ち物ですが、お預けしても?」
「ええ。起きたら返しておきます」
「ありがとうございます」
拾って来た弓を渡し、頭を下げて、マサヒデは治療室を出た。
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湯でさっぱりした後、食堂で黙々と食事を食べながら、カオルの動きを思い出す。
あれはどうやっていたのだろう・・・
以前見たような、身体を軽くするような特殊な技術ではないだろう。
まっすぐ走って来る。
ぴたりと止まる。
ほとんど垂直に上がって来る斬り上げ。
大きく前に踏み込むようなこともなく、低い体勢から、起き上がって身体を上に伸ばして斬り上げてきた。一体、どうやって・・・
カオルに聞けば教えてくれるだろう。
特に隠すでもなく、普通にああやって攻撃してくるのだ。
つまり、秘とされるような技術ではないわけだ。
だが、聞いて覚えるのと、自分で理解して身に着けるのでは、わけが違う。
何とか、自分でこの技術を身に着けたいが・・・
目の錯覚を使った技術か?
ぴたっと止まったように見えただけ?
ぐっと前に身体が傾いていて、まるで地を滑るような低い体勢だった。
だから、ぐっと上に伸びたように見えた?
「・・・」
水差しを取って、コップに水を入れる。
すー・・・とテーブルの上を滑らせて、ぴたりと止める。
ふらっと中の水が揺れ、溢れる。
ぴたっと足が止まれば、このように傾いた上体にぐっと力が前にかかるのだ。
どうやって、あの勢いを殺しているのだろう。
立ち上がって、手拭いを取って濡れたテーブルを拭く。
向こうに滑らせたコップを、手を伸ばして持ち上げる。
「ああーっ!」
大声を上げたマサヒデに驚き、冒険者達がマサヒデに注目した。
立ったまま、コップに水を足す。
斜めにすっと上げ、止める。
水が溢れない。
上に上げ、止める。
水が溢れない。
横にすっと動かして、止める。
水が揺れ、溢れて、指を伝ってぽたぽたとコップの下から落ちる。
錯覚。
低い姿勢。
すごい速度。
上げたコップ。
ぴたりと止まったカオル。
これだ。
マサヒデはぐいっと水を一気飲みして、手拭いを取った。
濡れたコップの底を拭き、テーブルを拭いて、コップを置いた。
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訓練場に駆け込むと、まだソウジが1人で駆けて斬り上げ、を繰り返している。
走り寄って、
「ソウジさん! 分かりましたよ!」
「え!?」
驚いてソウジが振り返った。
「どうやってたんですか!? どう!?」
「ちょっと待って下さい、ええと、この辺かな・・・」
ソウジの速度と重さだと・・・この辺だろうか。
足で地面にずーと線を引く。
離れて、またずーと線を引く。
「私が線の向こう側に立ったら、合図します。
そうしたら低く走って来て、あの線の辺りから斬り上げて来て下さい。
で、2本目の線の所で、背伸びするくらい思い切り上に伸び切るように止まって。
ちゃんと避けますから、顎を下から割るつもりで」
「分かりました!」
マサヒデが2本目の線の向こうに立つ。
あそこで止まっても、十分、木剣が届く。
「お願いします!」
「行きます!」
さー! と恐ろしい速さでソウジが駆けて来る。
ぐっと身体が伸び上がり、マサヒデの顔の前を木剣の先が「しゃ!」と掠める。
空振り?
「あ? ・・・っと」
走ってきた勢いで、身体が少し前に流れる。
伸び上がったせいで足が浮き、踏み込んだ足と逆の足が、とん、と前に出る。
ソウジの身体が、ぴたりとマサヒデの目の前で止まった。
「あっ・・・あー! まさか!」
「それ! 今の前に出た逆足! 思い切り伸ばすと足が浮くでしょ!?
踏み込んで止まる、斬る、じゃなかったんですよ!
踏み込む、斬る、止まる! 逆足を出して!」
「この逆足! これで止まってた!?」
「そうです! 本当に、ただの斬り上げだったんですよ!
上に伸びながら斬り上げてから、逆足を前に出すだけだったんです!
ここで今の逆足がもう少し前に出てたら、当たってたわけです。
私達、ものすごい技術だって思い込んでただけなんですよ。
基本ですよ、基本! ただの逆足だったんです」
「そうか! 逆足を出して止まるだけ! 基本だ・・・」
「そうです! この逆足で一歩前に出たから、ぴったりくっついたんですよ!
勢いが前じゃなく上に行ってるから、伸びた所で、少し逆足を出せば止まる!
逆足を出したから、振り上げた時の姿勢がぴったりまっすぐに見えた。
それで、真下から斬り上げて来たように見えた、と」
「こんな簡単な事だったのか・・・本当に基本・・・
すごい技術だって、思い込んでただけだったんですね・・・」
「止まってから斬る、じゃなかったんですよ。
伸び上がりながらか、伸び上がった後で、逆足を出す、止める。
前への勢いが無くなるから、簡単に止まる。こんな簡単な事だったんですよ」
「なるほど・・・あ! これ横から見てたらすぐ分かりますよね!?」
「そう! 横から見てたら簡単に分かるんですよ!
だけど、基本的な動きだから、これがすごいって分からないんですよ!」
「そうだったのか・・・」
「で、これ、まっすぐ立ったままやってみて下さい。下段から」
ぶん、と木剣を振り上げながら、逆足を前に。
「む」
「肩が後ろに回っちゃうから、剣が後ろに行っちゃいますよね。
これじゃあ、あの忍みたいに、私の顔を狙えません」
「はい。これではとても・・・
あー! それであんなに前に傾いた姿勢!? それで上に斬れた!」
「そう! 逆足を出すから、肩が回って剣が後ろに行っちゃう。
そこを前傾姿勢になることで、上に行くようにするわけですよ」
マサヒデは座り込んで、地面に線を書く。
身体の伸び上がりと、剣の筋。
ソウジも座り込んで、その筋を見る。
「このように、身体が伸び上がってくるから、カタカナの『ノ』じゃなく、平仮名の『し』の字みたいな剣筋になるんですね。だから、あの小太刀だとかなり踏み込まないと当たらない。逆足が出るから、伸び上がった時に目の前にいる」
「前傾姿勢から上に伸びる、まっすぐの姿勢になる・・・逆足が出て・・・
それで、真下から垂直に斬り上げるように見えた、というわけですね・・・
そう見えただけで、実際は、真下よりもっと前から振り上げ始めていた」
「そういう事ですね。分かってしまえば、本当に簡単な事でした」
「む! トミヤス先生、身体の傾き加減とか、逆足の位置を変えれば・・・」
「そう! そこですよ! ほとんど同じ動きなのに、間合いが変わる!
逆足を置いて止めるのは、振り出した後! ここです!
そこであの前傾姿勢! 逆足を置く位置が隠れる! 間合いが読まれない!
ただ、あまり前傾姿勢だと止まれ・・・あ、駆け抜けるようしてもいいのか!
うむ、止まったり駆け抜けたり、色々と出来る!」
「ううむ、簡単な事なのに、すごい! 基本は大事ですね!」
「で、まだ・・・あ、後は秘密にします。
ふふふ。気付けば、ソウジさんもきっと凄い事になります」
驚いてソウジが顔を上げる。
「まだあるんですか!?」
「あるんですよ、これが。えらい事になりますよ」
「トミヤス先生!」
すがるような目で、ぐっと前屈みにマサヒデに顔を近付けた。
マサヒデはにやっと笑ってから、真剣な顔になった。
「だめです。こういうの、自分で気付いた時に、数段強くなるんです。
今教えちゃったから、ソウジさんは数段じゃなくて、1段しか上がってません。
自分で気付いて下さい。そうしたら、次は数段上がります」
「う・・・分かりました・・・」
俯いたソウジを見て、ふ、とマサヒデが小さく笑った。
「じゃあ、取っ掛かりをひとつだけ。これくらいなら良いでしょう。
多少剣術をかじっている私達は・・・」
言葉を切って、マサヒデは立ち上がる。
「私達は、こう、しっかり腰を据え、足を踏み込んで、腰、肩、最後に剣。
こう振りますよね。じゃないと、まともに斬れないから。
ソウジさんも我流みたいですけど、この基本はしっかり身に染み付いてる」
こう、とマサヒデが立ち上がって、ゆっくり振りの動きをする。
「はい」
真剣な目で、ソウジがマサヒデを見つめる。
「私達が気付いた、この伸びた所で逆足を出すって所。
これ、剣術を知らない者や素人だったら、逆に簡単に気付いていたと思います」
「素人だったら? 我々は、剣術をかじっているから、分からなかった?」
「そうです。これが、取っ掛かりです」
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マサヒデの晩年。
ソウジはトミヤス流の分派である『夢想トミヤス流』を立てた。
犬猫系の獣人の身体の特性に良く合ったこの流派は、獣人族中に大いに広まった。
他流に良くある『夢で開眼した』とか『無双とかけた夢想』とかではなかった。
ソウジは『夢にまで見たトミヤス先生』と、夢想と名付けたのであった。
弟子でも門弟でもなかった。
マサヒデがオリネオに滞在していた間、稽古をつけてもらっただけであった。
それでもと、分派を立てる事を願いに、ソウジはマサヒデの元に訪れた。
マサヒデを訪れた際、マサヒデとソウジは立ち会った。
寿命の短いマサヒデは、ソウジより遥かに年老いていた。
この立ち会いが、先生との今生の別れになろう。
ソウジが構えた時、彼の目からだらだらと涙が流れ出した。
構えを一目見て、年老いたマサヒデは、孫を見るかの如く柔らかく笑い、深く頷き、静かに膝を付き「分派の事、よろしくお願いします」と手を付いて頭を下げた。ソウジも手を付いて頭を下げ、しゃくり上げながら「参りました」と何とか声を絞り出し、肩を震わせて涙を流した。
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