糸を引く者

第24話 岬の出来事

「ちょっと待ってくれ、少し時間をくれないか」


「うん? まあ、構わないが」


 強引に誘い出されるのではないかと思っていたので、俺はフィッシャーの言葉を聞いて安心した。しかしそれも一瞬、すぐに次の不安が生じる。


 もし、フィッシャーがいるこの状態でパーミラたちが玄関扉を開いた場合、マダイの国への道はどうなってしまうのだろうか。シェリフの時と同様、閉ざされてしまうかもしれない。


 そう考えると、二人の帰宅を待つ訳にはいかなかった。


「あ、いや、すまない、やはり早めに出発した方が良いだろう」


 となれば、今、俺に出来ることは置き手紙をすることくらいだろうか。


『その内に帰る』


 俺はなるべく綺麗な字で書き置きをした。だが、それほど上手くないのが悲しい所だ。


「誰かと暮らしているのか?」


「まあ一応な。彼らに挨拶をしておきたいが、事情があってそうはいかない。さあ、行こう」


 まずはフィッシャーが玄関を出る。外は森の中で、午後の陽気な日差しが降り注いでいる。いつも見るものとは異なっており、フィッシャーのいる世界と問題なく繋がっているようだ。


 さて、実を言うと、まだツァルキーアの言葉に対して半信半疑だった。そして、外へ出る際に封印の壁にぶつかるのは、地味に痛い。


「おい、どうかしたのか?」


 俺はまだ、フィッシャーに対し、この扉が異世界に繋がっているという説明をしていない。その内に伝えなければならないだろう。


「いや、大丈夫だ、さあ、行くぞ!」


 俺は意を決して足を踏み出した。すると。


 封印が作動しないではないか。出れる、外に出れるぞ!


 俺は元来、どちらかと言えばインドア派だが、出ないことと、出られないこととは違う。久しぶりの外の空気に触れて、俺は思わず感動した。


「よし、行こう!」


「なんだ、いやに元気になったじゃないか」


 こうして俺はフィッシャーと共に、マダイの国で呪いの調査をすることになった。


 しかし共に森を進むこと数分。俺はふとした違和感に気が付いた。


 既視感がある……?


 俺がここに来たのはもちろん初めてのはずだ。しかし、どういう訳か、妙に慣れ親しんだ感覚があった。


「この先に俺の家がある」


「あ、ああ」


 何となく知っている。この先には漁村があって、フィッシャーはその一角にそれなりの邸宅を持っている。漁村自体はそれほど富んでないが、活気があっていい町だ。

 

 俺の中に、なぜかそういう記憶があった。


 俺は俺の細かい記憶を失っている。サラリーマンだったころは覚えているが、それもうろ覚えだ。もしかすると、他にも過去があって、ここへ来た後に、あの屋敷付近に転生したのかも知れない。


「変な奴だな、元気になったかと思えば今度はぼんやりして」


「いや、すまない、ちょっと考え事をしていた」


 頭の中に引っ掛かるものがある。俺はそれをもどかしく思いながら、フィッシャーの後をしばらく歩いた。


 森の風景はどこも変わり映えしないが、道らしいものがうっすらと見える。


 やがて、前を進んでいたフィッシャーが不意に足を止めて振り返った。


「フィッシャー、どうしたんだ?」


「気を悪くしたらすまないが、君のその服装は少しばかり目立つ可能性がある。俺の家で何か適当なものに着替えてくれ。また、以前にも言った通り、ロジタールの名はお尋ね者であり、一部では禁忌とされている。ここからは下手に名乗ることもやめておくんだな」


「ああ、気を付けよう」


「では、俺は先へ行って部屋の中を片付けて来る。さすがに足の踏み場もないような汚れ具合だと、君も困るだろう。道はこの道をまっすぐだ、少しのんびりして来てくれ。入り口付近で落ち合おう」


 そう言ってフィッシャーは素早くその場を後にしてしまった。


 途端に周囲は静寂に包まれる。午後の日差しの中、俺はどうしようかと考えていたが、ふと何か衝動を覚えた。


 確か、この先に……。


 俺の記憶? それとも誰かの記憶? 詳しい事情は分からないが、その方向へ向かいたいという衝動があった。そして、それには抗えそうにない。


 俺はふと道を逸れて、確かな足取りで先へ進んだ。


 記憶があると言っても便利なものではない。きっかけのようなものがあって、それに触発されて、勝手に呼び起こされるようなものだ。俺が欲しい情報があったとしても、それを一直線に手に入れることはできない。


 道はなだらかな傾斜となり、岬へ続く。潮の匂いが満ちて来た。


 そして、その先に何か不思議なものが見える。


「テーブルと椅子? 誰だ、あの後ろ姿……」


 木々の奥、視界が開けた先に水平線が見えた。それをちょうど見渡すかのようなロケーションで、それらがぽつんと置いてあるのだ。椅子には女らしき者が腰かけている。長く、つやのある黒髪を持つ女性。


「いいわよ、こっちへ来なさい」


 やや低めの落ち着いた女性の声。女性は前を向いたままだが、この静寂だ。彼女は俺の足音に気が付き、気配を察知しているようだった。

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