植物学者の災難

@idea0078g

第1話 植物に寄生された村

 その村は全体にわたって、異常に植物が繁殖する。

 熱帯雨林のジャングルでは、空を覆うほど樹木が生い茂る。そのため日の届かない地面は常に多くの水分を含んでいる。

 この村も同じように、いつも樹木におおわれ、そこに暮らす人は湿気のために、じっとり汗をかくのが日常のことであった。


 この村に生い茂る植物はつる性のものだ。ひときわ強い、旺盛な繁殖力を持つ。

 村のほぼ全ての建物、住宅をはじめ、会社や商業ビル、また学校や橋や横断歩道までもこのつるがつたっている。

 まるで一つの巨大なつる植物の中に、村が存在しているようである


 植物学者の二木隆之介にきりゅうのすけは休みを利用してこの村にやってきた。特別強い繁殖力を持つ種がいると聞き、新種の植物種を探しに来たのだ。

 日本は日露戦争に勝利し、ますます富国強兵ムードが高まるなか、国をあげて西欧列強の仲間入りを目指していた。同時に、先進国の証として、化学分野での進歩を証明する必要があった。

 植物の新種を日本語にちなんで登録することは、科学進歩の確実な証明になる。隆之介は、国からの要請を受け、多くの新種を学名登録する任務を持っていた。

 ただし、子供の頃から生き物好きだった彼は、そのような要請を受けるまでもなく、普段から新種探しに熱をあげていた。


 今年は東京駅ができてからちょうど20年。また丹波トンネルが開通して5年経っていたので、東海道線の本数も増えてきた頃であった。

 機関車の電気機関車への切り替えが進んではいたが、まだ蒸気機関車が主流であった。そのため、煤のにおいを気にしながら、隆之介はプラットホームに降りた。


 8月の、太平洋側の盆地特有の粘り気のある暑さを感じながら、村への道を急ぎ歩いていた。予定よりも到着が遅くなったため、まずは今夜の宿を確保する必要があったのだ。

 見つけた植物が新種かどうか、100年近く前の論文を丁寧に調べたり、形態や繁殖の仕方を他種と比較するのは得意だが、次の出張地の宿を予約するなど、事務的なことは不得手だった。

 ようやく駅の近くの古い建物に「民宿」と書かれた看板を見つけた頃には、日が沈みかけていた。

 看板には「受付は地下2階」とある。看板の奥にある階段を使って地下受付に行くようだ。

 「受付は地下」と書かれているのを見て、隆之介は不思議なことに気づいた。

 ここまで来るのに、海に向かって歩いたはずだが、どういうわけか上り坂になっていた。海辺の砂丘や切り立った崖近くなら話はわかるが、この地域はそのような場所ではない。にもかかわらず、海に近づくにつて、角度が急になるような上り坂だったのだ。


 薄暗い階段を下り、その宿に入ると、女性とも男性ともわからない、ほっそりとした人物が玄関に静かに現れた。

 隆之介が、「遅い時間ですみませんが、今夜一泊できますか」と尋ねると、

「ご宿泊ですね。大丈夫です、空いています」

 声の調子から女性で、この宿の女将ということがわかった。

 今日は長旅をしてきたため、隆之介はひどく疲れていて、既に眠気を感じていた。

「今日は疲れたので、夕飯はとらずに布団に入りたいのですが」

 女将はもう話を聞いていたかのように、すでに布団の敷いてある部屋に隆之介を通した。やけに察しがよく、気味悪さを感じながら部屋のふすまを開けた。


 隆之介は下着だけの楽な格好になると柱によっかかって、疲労のせいでむくんだ足を揉みほぐし始めた。同時に、溜まっていた疲労がどっと押し寄せてきて、まどろみながら、思いをめぐらせた。


 隆之介にとって、植物は「自由の象徴」であった。

 植物は自分では動けないが、不自由とは正反対の存在だ。というのは、光のある方へ、枝の伸長する方向を自由に決められる。植物の流動的な性格は、固定的なものを否定して、形あるものの虚しさを示している。確実なのは、流動性という形なき活動なのだ。

 ただ、ここの土地では事情が異なっているようだった。


 翌朝、目を覚ますと、女将は玄関先で草を刈っている。客である自分が朝食の様子を聞きにきているのに、ひたすら刈り取っていた。

 あまりにも熱心なのを見て、しばらく隆之介は女将を観察することにした。

 単純労働とも言える草刈り。繰り返される動作は澱みなく、機械的かつ有機的である。女将が相当な年月を繰り返し、この作業に費やしてきたことがわかる。

 植物を自由の象徴と見ていた隆之介にとって、片っ端から刈りとっている女将を見ると、本来自由の象徴である植物が、女将にとっては自由を妨げる障害になっていると思えた。


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