25.一筋の涙(前)———セアル

 翻るショールの向こうに、栗色の髪が見えた。しかし、そのさらに向こうに今まではあった白髪は見えない。


(イェセリウス殿が慌てて出て行ってから、もう一週間は経ったか……?)


 顔を見ていないというわけではない。毎日、稽古の途中で必ず一度は顔を見せには来る。しかしそれまではずっと共にいたせいなのか、いないことに酷く違和感を覚えてしまう。

 物思いに耽っている間に、音楽の終わりが近づいてくる。音が途切れると同時にぴたりと二人して動きを止め、一拍置いて揃って力を抜いた。


「お疲れ様、セアル」

「ラウラこそな。舞を二つも覚えなくてはならないのは大変だろう?」

「大丈夫。……実は、とっても昔にこの舞を見たのを思い出したの。だから、思っていたより大変じゃないよ」

「……そうか。それなら、よかった」


 指導に当たる祭祀官に修正点を聞き、その部分をやり直す。もう一度通しで舞った後、休憩に入った。


「……なかなか、辛いな」

「そうだね。セアルは鍛えてるんだろうけど、私は特にそんなことしてなかったし……」

「………いや、戦いに使う筋肉とは違うところも使っているから俺もわりとしんどく感じるぞ」

「セアルもなの? こう言っちゃ悪いけど、ちょっと安心しちゃった」

「そうか」


 晴れやかに笑うラウラを見ていると、澱のように溜まっていたものが薄れていく気がする。だがそれらは消えたわけではなく、一人になればまた、積もってくる。これが消えてなくなる日など、来るのだろうか。そんなことを思った事実さえ、澱となって降り積もる。

 だからセアルに出来るのは、目を逸らし続けることだけ。例えそれが、欺瞞に過ぎないとしても。


「……セアル? 大丈夫?」

「っ、ああ。すまない、ぼうっとしていた。何だ?」

「セアルは、前にここに来た人が言ってた、無くなった祭具のこと知ってるかな、って思って……。ここのところイェセル、夜遅くまでずっと走り回っているみたいだし……」

「……そうだな。一応各獣人族や行政府からも人は出ているが、見つかったという報告は聞いた覚えがないな」

「祭祀官って、占も行えるんでしょ? それはしたの?」

「……すまないが、俺は祭祀官ではないからわからない。イェセリウス殿に聞いてみてくれ。そろそろ顔を出す頃だろう?」

「あ……ごめんなさい。そうだね。そうする」


 僅か恥じらいの表情を浮かべラウラが俯いた丁度その時、大広間の扉が叩かれた。

 いつか読んだ書物に、言葉には微量ながら魔力が宿っておりそれにより口に出した事象を招き起こしているのではないかという説が載っていたが、案外本当かもしれない。


「こんにちは。休憩中ですか?」

「うん。丁度イェセルの話をしていたところ」

「本当ですか……? 何を言われていたのか、少し怖いですね」

「悪口じゃないから大丈夫だよ」

「そうですか。安心しました」


 ラウラを挟んだ反対側にイェセリウスが座る。元々線の細い頬は少しこけ、目の下にはくっきりとくまが出来ていた。


「………イェセリウス殿。やはり少し、休んだ方がいいんじゃないか」

「私もそう思う。イェセル、髪の艶が悪くなってるし」

「え」


 イェセリウスは三つ編みにして前に垂らした髪を持ち上げ、じっくりと眺め始めた。そうして傷みの証拠でも見付けたのか、愕然とした表情でラウラを見やる。


「………本当でした……」

「目の下にくまも出来ているな」

「う」

「一週間前より明らかにやつれてるし」

「二人して追い詰めないでください……!」

「無理してる人が悪いんでしょ?」「無理する方が悪い」

「仕方ないじゃありませんか一週間探し続けて祭祀官だけでなく他種族及び行政府の力も借りているのに手掛かりがこれっぽっちも見つからないんですからっ!!」


 イェセリウスが項垂れたと思ったら勢いよく顔を上げ、半泣きで捲し立てた。疲れすぎて情緒不安定になっているようだ。


「占はやってみた?」

「行いました。でも何らかの意思が介在しているようで、位置は分かりませんでした……」

「祭具というのは精霊を呼ぶものなのだろう? 精霊は何か知らないのか?」

「初日に魔眼を酷使してラウラさんに怒られました……」

「人海戦術で街中……」「今まさにやっています」

「目撃情報はなかったのか?」

「それが、不思議なほどに……。姿を隠す魔具でも使っていたのかもしれません」


 ラウラとセアルが交互に繰り出す質問に答えるたびにイェセリウスが項垂れていく。本当に行き詰っているようだ。


「疲れた頭では妙案も出ないだろう。やはり少し休んでいくべきだ」

「ですがっ………そうですね。確かに、今の私は冷静ではないかもしれません」

「そうだ、台所を貸してもらってもいい? 私特製の疲れが取れるお茶でも淹れてあげる」

「ありがとうございます。案内させますね」


 イェセリウスが緩慢にハンドベルを取り、控えめに鳴らす。すぐさま使用人がやってきて、ラウラと共に消えていった。足音が十分に遠のいてから、口を開く。


「………内部犯の可能性は」

「信じたくないですが、その線は濃厚ですね。今回盗まれた祭具が収められていた場所は限られた者しか知りません。一応、その限られた者には全員監視を付けています」

「……イェセリウス殿にもか」

「ええ、勿論。わたしも『限られた者』の内に入っていますからね。もしかしたら寝ている間に、わたしも知らぬ間に盗んでどこかに隠したという可能性もありますから」

「いや、それは流石にないだろう」

「念には念を、ですよ。何者かに操られていないとは言い切れません」

「まあな……」


 あらゆる可能性を考え、一つ一つそれを潰していけば最後に残ったそれが真実。たとえそれが、どんなに信じられないものだとしても。どんなに信じたくないものだとしても。


「お待たせ!」


 いつもセアルの飲んでいるものとは違う香り。ラウラが淹れたのだから、おそらく薬草茶だろう。


「どうぞ、イェセル。セアルもいる? 効能は疲労回復中心に作ったから、セアルが飲んでも問題ないよ」

「ああ、いただく」

「ありがとうございます」


 少し癖はあるものの、比較的飲みやすい。獣人族は人族より鼻が利くからこういったものはきっと駄目だろうと避けてきたのだが、案外大丈夫なのかもしれない。


「匂い、平気? ケントは時々逃げちゃうから、大丈夫か心配だったんだけど……」

「俺は問題ない」

「わたしは少し……でも、逃げたくなるほどではありません。大丈夫ですよ」

「そう……なら、よかった」


 しばし並んで茶を飲む。ラウラが淹れてくれたということもあってか、セアルもイェセリウスも杯を重ねた。その間も会話は途切れない。イェセリウスは疲れているだろうに、盛んにラウラに話しかけているからだ。ラウラに向かうその縦長の瞳孔抱く瞳には、間違いなく一週間前とは違う光が宿っていた。


(また、競争相手ライバルが増えたか……)


 こうしたことにはやけに鈍いラウラのこと、おそらく気付いていないだろうがセアルにははっきりと分かる。自分自身も、同じ想いを抱くが故に。

 ちら、とイェセリウスがこちらを見た。セアルの今見ているものに、感じていることに気付いたようで微笑みを向けてきた。傍から見ればいつも通りの穏やかなものだが、僅か、ほんの僅かだけ、闘志のようなものが見え隠れしていた。


(諦めるつもりはなさそうだな。こちらの想いも知った上で、と言ったところか)


 これは中々手強そうだ。こちらも、胡坐を掻いて眺めているわけにはいくまい。

 イェセリウスに一瞥をくれ、薬草茶を一口含む。苦みはあるし癖もある。他人ひとのために淹れられたものだと分かっていても、愛おしさが沸いてきた。


(俺も大概、末期だな)


 そう思ったとき、ラウラが物言いたげな顔でセアルとイェセリウスの様子を伺っていることに気が付いた。


「どうした、ラウラ」

「……その、無くなったっていう祭具の捜索、私も手伝おうか?」

「申し出はありがたいのですが、ラウラさんの手まで煩わせるわけには……」

「でもイェセルがらしくなくなるぐらいには、手掛かりがないんでしょ?」

「………はい。残念ながら」

「一つ、思いついたことがあるの。わりと可能性は高いと思う」

「……どんな方法ですか!?」


 少しばかり時間をかけて言葉を飲み込んだイェセリウスが、勢い込んで聞いた。ラウラは少々引き気味に手振りでイェセリウスを落ち着かせている。


「多分、私以外では難しいと思う。だから、手伝おうか、って言ったの」

「あらぬ疑いをかけられるかもしれませんよ?」

「どうでもいいよ、そんなの。私は『春呼び』なんでしょう?」


 ラウラはカップを置いて立ち上がり、一つ、大きく伸びをした。掲げられた腕が、踏み出した足がぴんと伸び、ほどなくして弛緩する。


「そして、春を呼ぶにはその祭具が欠かせないんでしょう?」


 稽古着の裾を翻して振り返る、その顔には微笑みが浮かんでいた。


「春を呼ぶ手伝い、私にもさせて?」


 イェセリウスが説得を諦めたのが、見ずとも分かった。

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