第40話 阿久津純、ドラマに入り込む先輩カップルにドン引きする
「要するにな、保科さんは君のことが好きなんだよ、純君」
六畳ほどの部屋。僕は、美男美女大学生カップルと共に、ローテーブルを囲むように座っていた。
丈太さんのアパートにお呼ばれしているのだ。目的は会議のため。議題はもちろん、華乃の企みについての考察と対策。
いや、考察も何も僕はもう答えを導き出して、丈太さんにもラインしてあるんだけどな……。
何でこんなことになっているんだ……てかあのベッドで丈太さんと白石さんは……ごくり……とかお茶をすすりながらドギマギしていたら、丈太さんから突拍子もない推理を聞かされた――というのがここまでの流れだった。
どうやら華乃は僕のことが好きらしい。へー。
「はぁ?」
思わず、小馬鹿にするような声を出してしまった。
でも、だって仕方ないじゃないか。華乃が僕に好意を抱いているだなんて、そんなわけがないのだから。あいつは僕のことをおもちゃだとしか思っていないのだから。
「いや、わかるぞ、純君の気持ちは。兄妹のように育ってきた保科さんとそういう関係になるというイメージができないのも仕方ないと思う。思春期だしな」
何言ってんだこの人。
僕が「いや、だからあいつはマジでそういうんじゃ……」と反論しかけると、今度は白石さんが首を横に振る。
「阿久津君。この際、あなたの華乃さんへの気持ちは一旦、脇に置いて考えてみて」
そういえばこの人とちゃんと会話するのは初めてだ。やっぱりティアラと声がそっくりだ。めちゃくちゃ美人だし。めちゃくちゃ緊張する。
「論理的に考えて、華乃さんのターゲットは、あなたなのよ、阿久津純君。セレスティア・ティアラに嫉妬した華乃さんは、あなたの気持ちを彼女から奪うために、彼女に恋人がいるように見せ掛けたかった。セレスティア・ティアラの正体を私にすることによってね。あなたがどれ程セレスティア・ティアラを好きだったのかは分からないけれど、ほんの少しの好意だったとしても、華乃さんは嫉妬するわよ。あなたの前ではそういう顔を見せないのでしょうけれど、本当はものすごく乙女なのよ、あの子って」
何か「私はあなたの知らないあの子の顔を知ってる」感出してきてるけど、それ言ったら僕だって、あなたの知らないあいつの顔をさんざん知っているわけで……なんて長台詞をこんな美人に対して言えるわけがないので、僕は丈太さんに水を向ける。
「ていうか丈太さん、結局ティアラが白石さんではないと、理解してくれたんですね。まぁ当たり前ですが」
「そうだな。そんなアホな勘違いしてたのは確かに恥ずかしいし、君にも迷惑かけたと思ってる」
「いや、それは華乃の奴がそう仕向けたことですから。でも、それが分かった今なら明らかじゃないですか。あいつの目的はあなたですよ。丈太さんを略奪するために、白石さん=ティアラだということにしたかったんです、あいつは」
再度その結論を伝える。
しかし、丈太さんも白石さんも、もはや自分の中での結論は決まり切ってしまっているようで。対等な議論ではなく、あくまでも年下の男を説得するような調子で、白石さんは言う。
「そうだとしたら、阿久津君にまで多くの嘘をついていたことの説明がつかないじゃない。あなたを学園祭に連れてきてまで、華乃さんが自分の計画にあなたを巻き込んだ理由が分からないわ」
そして丈太さんもその論を後押しするように、
「そうだ、俺を騙すだけなら純君を使う必要なんてなかったんだ。いや、必要ないどころか逆効果だな。俺は元々、京子がセレスティア・ティアラだとほぼ信じ込みかけていたんだ。だが君と関わることで、保科さんの言動の矛盾に気づいてしまったんだから」
「それは……」
それは確かにそうだ。丈太さんがターゲットなのに、わざわざ余計なことして作戦を失敗させるなんて、あまりにも華乃らしくない。
「そもそも時系列だっておかしいと思わないか。俺を手に入れるための作戦だったと君は言うが、保科さんは俺に出会う前から京子に嘘をついていた。作戦を開始していたんだ。つまり俺は最終目標にはなり得ない。保科さんにとって必要だったのは『蝶野丈太』という個人ではなく、あくまでも、『京子の彼氏』という属性。京子の彼氏である俺に接触したのは目的達成のための手段に過ぎなかったと考えるべきだ」
「……確かに……」
丈太さんに「白石京子=ティアラ」だと思わせるために僕という存在は全く必要ないどころか邪魔だ。
一方で、僕を騙すためには、ティアラの正体として白石さん、そしてその彼氏として丈太さんという道具が必要になる。
「……分かりました。華乃が丈太さんを略奪しようとしていたという仮説は取り下げます。あいつのターゲットはやはり、僕だった、それは認めるしかありません。ただ、目的は単なる嫌がらせですよ」
まぁ、ティアラに彼氏がいるなんて信じない僕に、そんな嫌がらせ全く効かないんだけどな。
要するに、僕が買いかぶり過ぎていただけで、華乃はそんなことも理解できない無能だったという、くだらないオチか。
「……本当に、それでいいの、阿久津君……?」
白石さんのその目はもはや誰かを憐れむように潤んでいて。その誰かとは、助言に耳を貸そうとしない僕なのか、それとも……
「こんなこと、私が勝手に話すべきことではないし、華乃さん本人にも絶対言うなと念を押されているけれど……あの子、泣いていたのよ? あの学園祭の日の夜。あんな風にむせび泣く姿、初めて見た……」
「華乃が……?」
にわかには信じがたい白石さんの言葉。華乃の本気の泣き顔なんて、僕だって今まで、見た覚えがない。
あいつが瞳を潤ませている時、一筋の涙を流している時、それは常に、僕に何かを仕掛けるための前フリだった。
ましてや、むせび泣くようなことなんて、一度たりともなかったはず。
白石さんは懇願するかのような眼差しを真っすぐと僕に向けて、
「私が聞いても、理由は何も話してくれなくて。だから、あなたに何か心当たりがあるのなら……しっかり向き合ってあげてほしいの、あの子に」
「そんなこと言われましても……心当たりなんて、やっぱり僕には……」
「純君」
今度は丈太さんが真剣な目で僕を見つめる。
「気持ちはわかる。もしも勘違いだったら、傷つくのは自分だって。そんなダセェ思いしたくないって。でも、鈍感なフリして女の子泣かせて、それでも逃げ続けるなんて、そっちのがよっぽどカッコ悪いだろ。もしも勘違いだったとしたって、ただ可愛い幼なじみに馬鹿にされるだけのことじゃねーか。それで彼女を笑わせられるんなら、少なくとも俺はそんな男をめちゃくちゃカッコいいと思う」
「丈太さん……」
丈太さん……何か……雰囲気に酔ってないですか……?
たぶん白石さんとの間での誤解を解いてからさんざんイチャイチャして、その中で「今度は年下のあの子たちの背中を私達が押してあげないと……!」的な話になったんでしょうけど……。
うーん、どうしよう。
この人たちはきっと今、青春ドラマにおける主人公とヒロインの良き理解者役のお兄さんお姉さんポジションの気分でいるんだ。無自覚なんだろうけど、とりあえず自分達の問題は解決されたから、あとはドラマの登場人物に成り切って楽しむだけの余裕が生まれてるんだ。しかも美男美女だからこんな臭い台詞言ってても妙に画になっちゃうし。
いや確かに、「僕を好きな幼なじみが僕の気持ちをティアラから離すため」という動機は、筋自体は通っていると思う。
ただ、どうにも腑に落ちない。
そもそも華乃が僕を好きになるわけないという前提は置いておくにしても。仮に華乃が僕にガチ恋していると仮定するにしても。単に僕をティアラから略奪するために、あいつがこんな他人任せな方法を使ってくるものだろうか。
だって、そもそもティアラの彼氏疑惑が生まれたのは、偶然もしくは赤の他人の悪意によって、だったのだ。そこに乗っかるような形で僕の略奪作戦を仕掛けたっていうのか?
逆に言えば、あんな最悪の不幸が起きさえしなければ、あの華乃が、自分の欲しかったものに手出し出来なかったってことだぞ? そんなことがあり得るか?
いや、ない。あいつが僕に恋しているということ以上にあり得ない。
欲しいものがあるなら、最初から全てを自分の責任によって、自分の手で奪い取ろうとするはずで。偶然に身を任せて、来るかも分からんチャンスを黙って待つなんてこと、一番あいつらしくない。
何かが、ズレている気がする。重大な何かを見落としているような胸騒ぎがする。
「素直じゃないけれど、あの子はきっと、ずっと阿久津君のことが……っ」
ついに京子さんがすすり泣きし始め、そしてその背中に丈太さんがポンと手を置く。
ダメだ、こいつら完全に僕をダシにしてこの三流ドラマを楽しんでやがる。アトラクションか何かだと思ってやがる。どうせこの雰囲気をネタにこのあと僕が帰ったらめちゃくちゃセックスするんだ……! くそぉ、僕は一週間もティアラに会えずに寂しい思いしてるっていうのに……!
いま僕の中でこの二人は華乃の被害者から、僕を痛めつける共犯者に格下げされた。
「あの子の阿久津君への気持ちなんて、見ていれば分かるじゃない……っ。最近ずっと肌身離さずつけているネックレスだって、きっと阿久津君からのプレゼントなんでしょう……?」
「は? ネックレス?」
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