第20話 転生VTuber
あれから、3日がたった。
匿名掲示板のスレッドには、美夜の炎上以来、くだらない戯言が垂れ流されている。
闇ノ宮美夜の彼氏疑惑、その翌日の引退発表――そんな出来事以上に奴らを盛り上げているのは、あるファンのツイッター上での宣言だった。あるファンっていうか、もちろん僕だ、それ書いたの。
当然、1ミリだって後悔していない。VARで判定してもらったって構わない。僕の気持ちは全くブレてはいない。
疑惑拡散の翌日に、本人のツイッターでの、謝罪と引退宣言。その後の所属事務所からの公式発表。
どちらからも謝罪はあれど、何に対する謝罪なのかは極めて曖昧で、そこに「交際」という文字はなかった。
そんな不明瞭さだけを残して、湿度も温度もない文章だけを置いて、闇ノ宮美夜は僕らの前から姿を消した。
疑惑が生じてからのあまりに早い引退発表は、事務所側からの契約解除、実質的に解雇だったんじゃないかと噂されている。彼氏への機密情報漏えいが事務所にバレた結果だという見立てだ。実際にそのような経緯で所属事務所を解雇されたVTuberは過去にもいた。
どちらにせよ、何の弁解も反論ないまま謝罪だけしたのだから、疑惑が事実だと認めたようなもの――アンチも野次馬も、中立気取りの冷笑家も、そして飼い主候補達すらも、完全にそう捉えてしまっている。
でも、僕だけは信じてる。美夜は僕を裏切ってなどいない。美夜に彼氏なんていないと。
小説に関してツイートしていたあの『まっかろん』とかいうアカウントが美夜の知り合いなのは事実なのだろう。秘密の小説のタイトルを知っていたことから、親しい友人だったのもおそらく本当だ。
ただ、あのツイートは意図的な美夜への嫌がらせだったんじゃないだろうか。
可愛くて才能溢れる美夜に嫉妬した女友達が、何らかのきっかけで美夜のVTuber活動を知り、彼氏持ちデマという地雷を仕掛けた。
今回踏まれたのはたまたま「小説タイトル」だったが、他にも美夜の存在に繋がるような地雷をいくつも張り巡らせていたのだろう。
時間はかかるかもしれないが、高確率でいつかは踏まれ、爆発する。仮に起動せぬまま終わってしまっても自分にデメリットはない。そんな卑劣で、だけど強力な、まさに悪魔の兵器だ。
決定的な証拠なんて何もないはずなのに、それらの情報の一致を見つけてしまった人間は、自分でたどり着いたその「真相」を信じて疑わなくなってしまう。湧き出るドーパミンが、真相発見という自分の功績を否定できなくさせてしまう。
結果として、その「真相」は事実としてネット上を駆け巡る。目にした人間も、誰かを叩けて楽しめそうな情報を事実認定する。生半可なファン達も、その波に飲まれ、惨めな思いをするのを嫌って、大勢に屈する。彼らにとっても、みんなが信じるものを信じて諦めてしまった方が、もはや都合が良いのだ。そうした方が楽になれると、人間はもう知ってしまっているから。
それでも、僕は、僕だけは負けない。楽な道など選ばない。事実でないものを事実だと言うことなんて出来るわけがない。美夜本人が「恋人がいる」と一言も言っていない以上、美夜を信じる気持ちには一点の曇りも生じない。
ただ、ブレていないのは、あくまでも美夜を信じる気持ちだけであって。美夜がいなくなってしまった――そう、本当のStray catになってしまった事実に関しては、全く受け止め切れずにいる。
僕はあれからずっと、部屋に引きこもっていた。
「うぅ……っ、会いたい……会いたいよ、美夜……! 一体、どこに迷い込んでしまったんだよ……!」
「うぷぷぷ! 何かそーゆーJ-POPなかったっけー♪ よーし、今の純の気持ちにピッタリな曲かけたげるから、思いっきり悲劇の主人公ぶって号泣しちゃいなよ☆ グミ食べる?」
当たり前のように僕のゲーミングチェアに居座り、当たり前のように人のパソコンでネットサーフィンし続けている薄着ビッチギャル。
僕が3日間寝込んでいるということは、まるまる3日間、僕の絶望顔を拝めるチャンスでもあるというわけで。当然3日間、この女はこの部屋に通い詰めていた。今日もグミは食べなかった。こいつの施しを受け取った時には、ロクでもないことが起きる――そんなジンクスが僕の中には存在していた。
ちなみに受け取らなかったとしてもロクでもないことは起きる。2ちゃん怪談の怪異並みに理不尽な存在、それが僕の幼なじみ、保科華乃だった。
「もーさー、マジな話、いいかげん次の女探しなってー。シコらせ系VTuberなんて星の数ほどいるんだからさー」
「そんなジャンルはない。星の数ほどいるどころか、そんな宇宙が存在しない」
とは言っても、今回に関しては、別に華乃に何かをされたわけでもないのだ。
僕を貶めて楽しむことへの異様な執着を除けば、保科華乃は一介のビッチ高校生でしかない。当然、闇ノ宮美夜とは何の関わりも持たない。
今回華乃が僕にしたことは、ネット上で巻き起こっていた騒動を、いち早く僕に伝えに来たというだけ。全ては華乃がいなくても、遅かれ早かれ僕を襲っていた悲劇だった。
ギャルの幼なじみが実は隠れオタクだったとか、そんなラノベめいたことは現実に起こるはずもなく。現実のギャル幼なじみは、ただただ僕を貶めるために必要なオタク知識だけを頭に入れている――オタク文化との関わりはその程度の人間だった。
要するに、別に美夜のことについて、こいつへの怒りはない。というか怒り以外の感情もない。ただただ邪魔だ。
でも、こいつの存在が邪魔だなんて状況は子供の頃からもう慣れたものだし、決して万全ではないが最善の対処法は熟知している。もちろん、無視だ。
「うぷぷ、ざんねん、闇ノ宮美夜の歌動画でもかけたげよーと思ったのに、公式の動画全部消えちゃってるじゃーん。まるで引退したみたい。あ、引退したのか、パコバレで♪」
「……………………無視無視、っと…………」
「面白いよねー♪ あんたが絵でシコってる間にも、闇ノ宮美夜はイケメン大学生彼氏と裸でイチャイチャラブラブして彼氏のちんぽしゃぶって精液飲んで、そのお口であんたらにアイドルソング聞かせてさー♪」
「ぶっっっ殺すぞ、クソビッチ!! これは正当防衛だからな、あぁん!?」
「きゃっ♪ 犯されちゃう♪ わたしの初めて、シコらされ系バチャ豚さんに奪われちゃう♪ グミあげるから許して……♪」
脳を破壊されかけたので正当防衛に打って出ようとしたが、ビッチが体をくねらせて、わざとらしく艶めいた声を出すせいで、僕は身を引かざるを得なかった。
くそぉ、胸元だとかお腹だとか生足だとか出しやがって! 反応しちゃったらどうしてくれるんだ! こんな時に不謹慎極まりないだろ!
僕は絶対華乃だけではシコらないと決めている。シコったら絶対バレる自信があるからだ。バレたら最後、一生そのネタで強請られ続ける自信があるからだ。
美夜と出会ってからは、そもそもそんな欲求すら全く湧き出てはこなかったんだけど……。
「あの絵でシコりまくってたもんね♪ わたしの胸とかチラ見しないようになっちゃって寂しかったなー……♪」
「思考盗聴やめろ」
「これからは絵NTRでシコるの?」
「帰ってください」
「シコるの?」
「考えなきゃいけないことがあるんだよ。一人になりたいんだ。この3日間ずっとね!」
「じゃ、グミ食べたら帰ったげる♪ お腹いっぱいなっちった♪」
華乃が「あーん♪」と言って伸ばしてきた手からグミを奪い取り、自分で口に放り込む。
パウダー付きのグミはその懐かしい甘酸っぱさで僕のノスタルジーを刺激し、昔の光景を鮮明に思い出させた。小さな僕は小さな華乃に泣かされていた。小さな華乃は大爆笑していた。そしてやっぱり小さな華乃と夏祭りに行ったことなどなかった。ぶっ殺すぞこいつ。
「ほら、約束通り食べたんだから帰れよ、いい加減」
「もーっ、つまないなー包茎くんは。じゃ、また明日ねー♪」
そうして、華乃はついに部屋を出ていった。理不尽な存在ではあるが、自分で提示したルールは必ず守る、そんな性格を僕は知っていた。デスゲームものの運営かよ、あいつは。剥けるし。
「ふぅ……」
やっと一人になれて、深くため息をつく。シコったわけではない。
考えなくてはいけないのだ。このネットの海から美夜を見つけ出してあげる方法を。手を差し伸ばしてあげるための術を。美夜とまた、出会える場所を。
引退したからといって、あのぼっちで引きこもりでネット弁慶な美夜がインターネットの世界から離れられるわけがない。承認欲求だって、まだ残されているはずだ。生活費を稼ぐ術だってネットにしかないはずで。
それこそ小説投稿サイトだとかSNSだとかで名前を変えて活動しているんじゃないか。誰かに見つけてほしいと小さな声で泣いているんじゃないか。
さすがに配信活動にはトラウマが残っているだろうけど……。またあの声が聞きたいが、美夜のためを思うならそれは諦めなければいけないのかもしれない。
「美夜……っ」
それでも、僕は君を探し続けるよ。何日だって、何か月だって、何年かかったって。
遅くなっちゃったらごめん。その時はまたいつかみたいに、拗ねた顔で可愛く怒ってほしいな。
実はさ、今だから正直に言うけど、君の前でたまに他のVを褒めたりしていたのは、君に嫉妬してほしかったからなんだ。あははは、ごめん。ごめんって。何度だって謝るからさ、謝るから。伝えるから。伝えたいことがまだまだたくさんあるから。照れて言えなかったことが、たくさんたくさんあるんだ。
「好きなんだ、美夜……!!」
「…………っ!! まさか……本当に……」
時間は、かからなかった。
YouTubeのトップページ。おすすめ動画にはいつも通り、VTuber関連のサムネイルが並ぶ。その中に、見慣れぬ女の子の姿を見つけ――僕の手は自然とそこに伸びていた。
美しい金色の長髪。天使のような微笑み。輝くティアラ。全く違った見た目なのに、その奥底に、輝く目の光に、僕はどこか、探していたものの面影を見つけた。
自然と伸びた手は、自然とその出会いの入り口をクリックしていて。
彼女の名前のその響きに、君との共通点を見出して。
心臓が、高鳴る。脳内に、麻薬めいたものが溢れ出してくる。
これは、運命だ。
YouTubeのアルゴリズムがたまたま引き寄せただけだって? それでもいい。僕と君が紡いできた時間は決して無駄なんかじゃなかった。僕と君の繋がりが残ったこの公園は、どんな悪意にも燃やすことなど出来なかった。そういうことなんだ。
あんなにカッコつけて僕が探し出すなんて言ったのに、結局君の方から会いに来てくれちゃったね。
いつだって僕はカッコをつけられなくて、それでも君はそんな僕を笑いながら受け止めてくれる。
デビュー配信と銘打たれたその待機所には、配信開始まで残り数分だというのに、僕を含めて一桁の人数しか集まっていなかった。
きっと宣伝を怠っていたのだろう。君らしいや。でも、これからは事務所のサポートなんて受けられないんだから、しっかりやらなきゃダメだよ。分からないことは僕がサポートしてあげるから、頑張っていこうね。
――配信が、始まる。
「美夜……っ」
いや、違うか。
――セレスティア・ティアラ。
新しい姿に生まれ変わった、最愛の女の子が、そこには立っていた。
『…………聞こえてる? 大丈夫ですか? こほん、えーと、緊張しています、はい、よろしくお願いします……ふぅー……』
「…………っ」
間違い、なかった。
震えているけど、自信なげにボソボソとしているけど、ずっとずっと聞いてきた、ずっとずっと聞きたかった――僕が愛した、君の声だ。
彼女は、長く長く深呼吸をして、そしてついに、大きな大きな一歩を踏み出した。
『初めまして、天上の国の第三皇女、セレスティア・ティアラと申します! 以後、お見知りおきを!』
立派で、誇らしい、セレスティア・ティアラの第一声だった。
だから僕も、彼女にこの言葉を返す。
震える手で、美夜に、いやティアラに。ティアラにとって初めてのコメントを、僕が送る。大事な大事な、記念の言葉だ。初めてもらったコメントをティアラだって忘れるわけがない。
ティアラの歴史に、人生に、その心と体に、この四文字を。いや六文字を。僕という存在を。深く深く、刻み込むのだ。
:「見つけた」
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ここまでが第二章です! 次回からの第三章も毎日投稿していくので、引き続きお付き合いよろしくお願いします!
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