第12話 俺にとってこのVTuberの動画は全てNTRビデオレター

『私は陰性だった=^-ω-^= そっちは本当に大丈夫?』

『何かあったら絶対教えてね』

『心配かけないように黙っておこう、っていう気遣いは余計だから、私には』

『だって、丈太の人生でただ一人の彼女だし=^-ω-^=』


 真っ暗な部屋。

 布団から顔と手だけを出している俺は、京子からのラインを涙ながらに見つめ、そして長々と考えた末に、『ありがとう、大丈夫』とだけ返信する。


 新型コロナに感染したかもしれないという嘘で部屋に閉じこもって、今日で3日目になる。つまりあのバックヤードでの第2回会議から3日目ということだ。


 目の前のノートパソコンから、甘ったるい囁き声が聞こえてくる。


『こーらっ、動かないのっ、我慢して。ママだってくすぐったいんだから……』


 大人気VTuber、セレスティア・ティアラの膝枕耳かきASMR動画である。再生回数は10万を超えていた。つまり、最大で10万人もの人間がセレスティア・ティアラに膝枕されていることになる。


「俺だけの……っ、俺だけの膝枕……っ」


 あ、ダメだ、また……


「……ふ……っ」


 ――危なかった……。


 乱れた呼吸を何とか整える。

 ほんの一瞬だが、また気を失いそうになっていた。

 俺は昔から、血液検査などで腕に注射針を刺すと、目の前が真っ白になってしまいがちだ。迷走神経反射といって、反射的に血圧が下がることで起きてしまう現象らしい。

 この3日間、それと似た感覚が、ある特定のタイミングで俺を襲ってくる。

 セレスティア・ティアラが、京子の声で、視聴者にティアシコさせようとしているのを見たときだ。



 あれから俺はセレスティア・ティアラチャンネルの動画、生配信のアーカイブをひたすらに見まくっていた。

 中には健全なものもあったが、再生回数が多いものは全て、ティアシコを誘発させるような卑猥な内容であった。


 ASMR動画は全て、ママだったりお姉さんだったり義妹だったり恋人だったりと、妙に聞き手との性的関係を匂わせる設定で甘い声をかけてくるし、何か妙に思わせぶりな調子で応援してきたりするし、ゲーム実況ではゲーム展開に興奮する度に例の喘ぎ声のような絶叫をまき散らしていた。


 特に卑猥だったのが、フィットネス系ゲームだ。専用コントローラーを操作するプレイヤーの動きがゲーム内のキャラのアクションに反映される仕組みのアレである。

 ゲーム内のキャラの向こう側にセレスティア・ティアラの存在があって、そのさらに向こう側にセレスティア・ティアラの中の人がいるというのは何とも入り組んだ構造だが、とにかく、ゲームクリアのために激しい運動を要求されたセレスティア・ティアラの乱れた呼吸は、ベッドで乱れたときのそれをどうしたって連想させた。ていうか、セレスティア・ティアラ側が明らかに狙っていた。


 雑談配信でも、セレスティア・ティアラは明け透けに性的な話をしていたし、視聴者からの卑猥なコメントやお便りに爆笑しながら、それらを上回ってくるような酷い下ネタで返したりしていた。


 ――セレスティア・ティアラの動画は俺にとって、NTRビデオレターに等しかった。


 そんなわけない、そんなわけがないと、最初は思っていた。自分に言い聞かせていた。京子がこんなことするわけないと、俺を裏切るわけなんてないと信じようとしていた。

 実際、動画を洗い始めた序盤は、心臓がバクバクしながらも、これは京子ではないと信じられていた。もはや確信していた。


 しかし、様々な動画を見ていくほどに、その気持ちは揺らいでいった。その理由は、単に卑猥な情報が増えていったから、というだけではない。


 セレスティア・ティアラチャンネルのトップページにアクセスすれば、動画は配信日時が新しいものから順に並んでいる。俺はその順番通りにチェックしていった。

 だからこそ最初は希望を持ててしまったのだ。セレスティア・ティアラは京子ではない、と。

 動画が新しくなればなるほど、セレスティア・ティアラの声は京子のものから離れていたからだ。

 つまり、最新動画から過去に遡っていくほどに、セレスティア・ティアラの声や口調は徐々に京子のようなものに近づいていったのだ。


 俺が保科さんに反論した通り、「セレスティア・ティアラの中の人」は身バレを防ぐために自分の声にフェイクを入れようとしていたのだろう。しかし、その声を確立するために時間と経験を要した。

 先日、保科さんに見せられた戦争ゲームの切り抜き動画、その元となる配信は初期のものだったからこそ、あんな声だったのだ。中の人の素に、近い声だったのだ。


 京子だ。


 セレスティア・ティアラは、京子だ。


 今俺が見てる動画では、喘ぎ声を除けば、通常時の声はまだまだ京子の声と完全一致するとは言えない。

 いや、それすらも俺の願望が入った感想なのかもしれない。もはや今の俺に客観的な判断など不可能だ。頭も心も感覚器も完全に狂ってしまっている。


 一つ言えるのは、時間が経てば経つほどに、保科さんの推理の妥当性が身に染みてきているということだ。あれを否定しようだなんて、どう頑張ったって無理がある。


 もはや、終戦だ。

 京子は、俺を裏切っていた。


「うぅ……っ、ううぅ……!」


 残りの動画はあと3つ。初めてのゲーム実況。初めての雑談配信。そしてセレスティア・ティアラのデビュー配信となる、初めましてのあいさつライブ配信。

 時間を巻き戻すほどに、京子に近づいていくセレスティア・ティアラ。この3つの動画を見終えたとき、この確信は、もはや揺らぎようのない、事実に変わってしまっているのかもしれない。


「うぐぐぐぅ……っ、京子……っ! なんで……何でなんだよ、京子……!」


 辛い。辛すぎる。3つの動画を合わせたら5時間超。そんな責め苦にはもう耐えられそうにない。まさに地獄だ。


 もう、さっさと楽にしてほしい。引導を渡してほしい。


「京子……愛してたのに……っ!!」


 そうして俺は、2つの動画を飛ばして、セレスティア・ティアラの、京子のVTuberデビュー動画をクリックしようとして――


「――――…………ん?」


 セレスティア・ティアラの巨乳が卑猥なそのサムネイルをクリックしようとして――


「え? ん? いや……え? …………あ。あ。あ。………………あぁっ!!」


 3日間、計54時間、セレスティア・ティアラの過去配信を隅から隅までチェックし続け、そしてデビュー配信にまでたどり着いた今、俺は気づいた。やっとのことで気づいてしまった。気づいたときには拍子抜けしてしまった。


 まさに盲点だった。


 こんなことは、動画なんて1秒も見ることなく気づけたことだし、セレスティア・ティアラについて調べるつもりなら、何よりも先にチェックすべきところだった。ショックの大きさと配信活動に関する知見のなさのせいで見落としてしまっていた。が、視界に入れてさえしまえば、何てことはない。


 一瞬で、答えは出ていた。


 ――京子は、セレスティア・ティアラなんかじゃ、ない。

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