第4話 キリマンジャロ・ハニーと僕
ラテとはイタリア語で牛乳という意味がる。
牛乳。つまりはミルクだ。
そんな当たり前のことを考えるところから本日の『コーヒーボーイ』は始まる。
今日は燦燦と晴れわたる太陽から逃げ込むようにカフェテリアに入った。こんな滝のような汗を流す僕にも、『コーヒーボーイ』は優しく迎え入れてくれた。
僕はカフェ・ラテが好きだ。『コーヒーボーイ』で飲むカフェ・ラテと過ごす時間が好きだ。
この時間、僕が何を考えているか。決まっている。それは紛れもなくカフェ・ラテのことだ。
僕はいつもカフェ・ラテに導かれた先で出会う彼女たちのことを考えていた。
改めて文字にすると、なんて節操がないんだとがっかりする。飲んだカフェ・ラテが女に見えるというのは、文字にしてみるとギリギリ法に触れてそうだ。
カフェ・ラテを飲むと、その豆の風味からひとりの女性が想起される。それは女性に例えたいと考えているわけではない。カフェ・ラテの香りに手を引かれて辿り着いたその先に女性がいるのだ。
おそらくコーヒーを飲めば、その先には男性がいるのだろう。ラテ(Latte)とは、僕の中にある女性への憧れや願望の上澄みにある象徴のようなものなのだろうと思う。
キリマンジャロ・ハニー
力強い甘みをホットでもアイスでも
まるで、今日という日に用意されたかのようなカフェ・ラテが僕の前に運ばれてくる。
キリマンジャロ・ハニー。愛しい人へ呼びかけるその音が、これほどまでに僕の胸に響くことがかつてあっただろうか。
誰しも一度は聞いたことがある山脈の名前も、コーヒーを絡めるとその意味をガラリと変える。力強い甘みを伴う世界最高峰の山脈とはいったいどのようなものなのか。想像しただけで舌が踊る。
ああ。それにしてもずるい謳い文句だ。ホットでも、アイスでも。そんな「わたしはどちらでも構わない」みたいな。服の袖を弱々しく掴んで呟くように言わないでほしい。僕は、そういうどっちつかずの言葉に弱い。優柔不断な男なんだ。
ストローに口をつける。舌の上でキリマンジャロ・ハニーを抱きしめる。力強い甘み。強烈な甘さは、苦味にもよく似ていた。
極めつけは、ぐるっと舌の上で転がるような風味。よく燻してあるのだろうと分かる。その香ばしさが安心する。浅煎りもいい。深煎りもいい。どちらも好きだ。どっちだっていい。でも、この香ばしさを僕にくれる彼女に僕は報いたいと思った。掛け替えのない時間をくれるのは君だけだよと伝えたかった。
キリマンジャロ・ハニー。それはペンを持つ手が美しい女性だった。
彼女は文芸の神に愛されていた。
キリマンジャロ・ハニーが書く詩やポエムは、スプーン一杯分に天国と地獄があった。人間の醜悪な習性とそれに抗おうとする理性。それらがせめぎ合い、決壊するその寸前を捉える、細かな言葉の機微。それは誰にも真似することのできない感性の領域だった。
彼女の詩はどれも一級品だ『氷点下の強盗』『残響チューリップ』『夜遅くまでスカートを履いて』どれも有名なコンクールで受賞している。
僕は言った。キリマンジャロ・ハニー。君が詩を書いているから、僕は小説を書いている。君が小説を書いていたなら、僕は詩を書いていただろう、と。
皮肉だ。キリマンジャロ・ハニー。
僕は君に嫉妬していた。それを理解して欲しかった。君が僕をこんなにも苦しめているんだ。才能とは暴力だった。生まれも育ちも違う僕らは、どうしてか出会ってしまった。逃げることもできない僕の苦しみを、君は理解して然るべきなんじゃないのか。
しかし彼女はそうは思わなかった。
「わたしは、どちらでも構わないわ」
温かい微笑みとも、冷笑とも見えるような表情で、僕を見据える。
キリマンジャロ・ハニー。それは僕にとって高嶺の花という言葉そのものだった。
甘くて、苦い。ありふれた矛盾を含んだ、キリマンジャロ・ハニー。彼女という存在は、誰の人生にも存在している。挫折や後悔は、強い苦みでもあるが、同時に時間というエッセンス(Latte)が混ざれば甘みへと変わる。
ストローに齧りついて飲んだキリマンジャロ・ハニーの甘みは、僕をパソコンへと向かわせる。
カフェ・ラテと、この書き続ける指先だけは噓をつかないと信じて。
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