チキンでもヒヨるなかれ

山樫 梢

チキンでもヒヨるなかれ

 小さな森の中央に立派なケヤキが生えていた。冬を迎え自身の葉をすっかり落としきったその木の枝のあちこちに、団塊状だんかいじょうの茂みができている。それはケヤキに寄生している植物の枝葉だ。

 寄生植物はヤドリギと呼ばれており、ある種の者たちにとっては特別な意味を持つ存在であった。


 幼い少女がケヤキに登り、やっとのことでヤドリギの茂みにたどり着く。少女はサロペットスカートのポケットからヒヨコのぬいぐるみを取り出すと、その体に花柄のハンカチを巻いた。

 少女の顔は涙でぐしょぐしょに濡れている。今まさにハンカチを必要としているのはこの子の方であったろうに。

「かならずむかえにくるからね」

 少女はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて頬に口づけを落とすと、ヤドリギの茂みの中に押し込んだ。落ちてしまわないように、しっかりと中央へ。

「ぜったいに、わたしのことまっててね。ピーちゃん」

 作業を終えた少女は愛しいぬいぐるみに別れを告げ、そろそろと木から下りると、名残惜しげに何度も振り返りながら森を後にしていった。


 ◆★◆


 広大な森の中にひっそりとたたずむログハウスがあった。獣人の店主が獣人のために営むBarバー<とまりぎ>である。

 そのカウンターに突っ伏して、今日も今日とてひとりのニワトリ獣人がくだを巻いていた。

「どーせよー、オレなんてよー……」

 鶏獣人はぐずぐずと自虐を続けながら、時折顔を上げては目の前の杯を翼の手で器用に持ち上げ、中の果実ジュースをくちばしに流し込む。幾度いくどかそれを繰り返したのち、空になった杯をカウンターの向こうに突き出した。

「おかわり!」

「ホントいいかげんにしなさいよね、アンタ」

 常連の態度に怒るより呆れをにじませて、店主の犬獣人が両前足を腰に当てた。トゲつきの首輪を着けた勇ましい見た目に似合わず、その所作はどら息子に呆れる母親といった様子である。

 これがお説教の始まる前触れであると学習している鶏獣人は、再び頭を伏せ翼で耳朶じだを覆おうとした。

 そこへ――


 カラン カララン


 ドアにつけられた木製のドアベルが音を立てる。

 犬獣人の注意がそちらへ向くと、小言を締め出す構えだった鶏獣人も顔を向けた。

「お迎えが来たっす!」

 喜び勇んで飛び込んできたのは熊獣人だ。満面にしまりのない笑顔を浮かべている。

「あらおめでとう、クマちゃん」

「クマちゃんじゃなくて『カムイ』っす! ご主人に名前を貰ったっす!」

「まあ、素敵なお名前じゃない」

 犬獣人が祝福する一方、鶏獣人はゲップのような鳴き声をあげた。カムイと犬獣人は一瞬真顔になって鶏獣人を見たが、無視してすぐに会話に戻る。

 挟まれた非礼もなんのその、カムイはすこぶる上機嫌だ。

 犬獣人としばらく言葉を交わすと、カムイはぺこりと大きく頭を下げた。

「今までお世話になったっす! 犬さん、ついでに鶏さんも、早くお迎えが来るといいっすね!」

「ありがとう。ご主人様と仲良くね」

 ぶんぶんと両手を振って別れを告げるカムイを見送ると、店の中は一気に静かになった。


「あいつに話してなかったのか?」

 カムイが出ていった後、鶏獣人がぽつりと呟く。

「お前が捨てられたってこと」

「門出に水を差すことないでしょ。アタシの話なんてどうだっていいのよ」

 無遠慮な鶏獣人の言葉に気分を害した様子もなく、犬獣人が肩をすくめる。

「アンタこそ。捨てられてもいないくせに、いつまでここにいるつもり?」

 犬獣人はじろりと鶏獣人をにらむ。このやり取りも幾度いくど繰り返されてきたことか。

「お前でさえ捨てられたんだぜ。オレが受け入れられるはずがねぇ」

「そんなの、会ってみなきゃ分からないでしょ」

 鶏獣人は再びべしゃりと頭を伏せた。

「会わせる顔がねーよ。……あいつの可愛いヒヨコは、もうどこにもいねーんだ」


 ◆★◆


 一般の人々にはただの寄生植物の一種でしかないヤドリギは、ある種の者たち――魔法使いにとって特別な植物である。

 魔法使いとして一人前たりえる魔力を身につけた者は、獣をかたどった人形に己の魔力を宿し、ヤドリギの枝葉の中へ絡ませる。すると、その魔力に触発されてヤドリギは人形の中に実を植えつけるのだ。

 魔法使いの魔力により人形は血と肉を備えた体となり、ヤドリギの実は魂を宿した魔核まかくへと変化する。この魔核を心臓として誕生するのが、器となった人形どうぶつの特徴と人間の特徴を併せ持つ魔法生物まほうせいぶつ――獣人ツクモノである。

 こうして魔法使いが獣人ツクモノを生み出す儀式を「宿魂しゅくこん」、獣人ツクモノの作り主である魔法使いのことを「宿やど」と呼ぶ。

 人形うつわに十分な魔力が籠められていなければヤドリギは反応しない。宿し手になれるのは通常齢15前後を迎えた魔法使いである。

 ヤドリギの実が魔核に変化し、人形うつわが肉体を得るまでにはおおよそ3年ほどの時を要するため、宿し手は頃合いを見計らって自分の獣人ツクモノを迎えに行く。獣人ツクモノは迎えに来た宿し手と正式に契約を交わすことで契約獣人ツカイモノとなり、以降は主たる魔法使いの従者として仕えることになる。

 すなわち、魔法使いによって生まれ魔法使いのために生きるのが獣人ツクモノの宿命であるのだが――。


 鶏獣人は10年前に命を得た際、宿し手である魔法使いに会うことなく逃走していた。


 鶏獣人の宿し手が宿魂の儀を成功させたのは、なんと6歳の時分。破格の若さは秀でた才能の証。が、その若さが故に問題は起きた。

 そもそも契約獣人ツカイモノというは魔法使いの護衛を務める従者である。獣人ツクモノの能力はイメージが反映されやすいため、好まれるのは役立つ獣。狼や熊や獅子ライオンのような力の強い獣か、犬や猿やフクロウといった賢い獣が選ばれるのが常。

 しかし鶏獣人の宿し手が選んだ人形うつわは、よりにもよってヒヨコであった。

 いかに魔法使いとしての資質が高かろうと、思考は子どものそれ。宿魂しゅくこんの器にヒヨコを選んだ魔法使いの話など例がない。

 宿し手の才によるものなのか、さして体積のない形体であったためか、ヒヨコのぬいぐるみの“ピーちゃん”はわずか1年で獣人ツクモノへの変化を終えた。

 この異例の早さがまた悲劇を生んだ。

 ぬいぐるみのヒヨコは永久とこしえにヒヨコのままだが、ヒヨコ獣人は育つ・・。小さなヒヨコ獣人のピーちゃんは、宿し手の迎えを待つ間に大きな鶏獣人になってしまった。


 くりくりとした黒目は黄赤きあか虹彩こうさいに縁取られた炯炯けいけいとしたまなこに、ふわふわの黄色い毛はしっかりとした白い羽に変化し、頭には立派な鶏冠とさか、嘴の下に肉髯にくぜんたずさえた、雄鳥オンドリと人間の特徴をあわせ持つ成人男性サイズの鶏獣人。

 愛らしいヒヨコのぬいぐるみの面影など欠片もない。


 成鳥した自らの姿を湖面に映して初めて目にした時のピーちゃんには絶望しかなかった。

 かろうじて残った共通点といえば花柄のハンカチぐらいだが、ヒヨコには大きすぎたそれも成鳥後の体では鳥足に巻くのが精一杯という有様。

 せめて雌鳥メンドリであったならばとピーちゃんはなげく。

 ――獣人ツクモノは繁殖せず、卵を産むこともないので、雌鳥であったとしても実質大差はなかったろうが。


 可愛いヒヨコ獣人に会うことを期待して訪れたあの子が、こんな姿を見たらどう思うだろう? きっと泣き出すに違いない。

 ピーちゃんは宿し手の少女に拒絶されることを恐れて逃げ出した。それからずっと逃げ続けている。


 ◆★◆


 鶏獣人ピーちゃんは翼の隙間からちらりと犬獣人をうかがった。

 精悍せいかんな顔立ちに、鋭い赤の瞳。屈強な体躯たいくの二足歩行の黒犬。見た目は魔法使いのしもべとして十分な貫禄かんろくを備えている――けれども、この犬獣人でさえ捨てられてしまったという。

 犬獣人の宿し手は自分の契約獣人ツカイモノに「雄々しさ」を求めていたらしい。


 魔法使いの用意した人形うつわにどんな魂が宿るかは宿魂を終えるまで分からない。

 獣人ツクモノと化すのに成功したとて、必ずしも宿し手と相性の良い性質を備えているとは限らないのだ。


 ――犬獣人こいつでさえ捨てられるなら、鶏獣人このオレはどうなる。


「どうなるかなんて実際に会って確かめなさいよ」

 思考を読んだかのように犬獣人がたしなめた。

 自分は捨てられたというのに、犬獣人はいつも鶏獣人に宿し手を捜すよう勧めてくる。それが同じ目に遭えという陰湿な巻き添え願望ではなく、純粋な気遣いからであるというのは理解しているのだが……。

「オレは見た目がこれな上に中身までこんなんなんだぜ」

 ふわふわした体にふさわしいふわふわした魂を宿していたとしても、いつまでもピヨピヨしてはいられない。結局育てば鶏なのだ。


 犬獣人の経た苦汁を知った時、鶏獣人は逃げ出して正解だったと確信した。

 あの子も今頃16歳。分別のついた少女は過ちに気がつき、宿魂の儀をやり直したかもしれない。

 今更のこのこと顔を出して、別の契約獣人ツカイモノはべらせた主人から「鶏獣人とかダサッ、マジいらないんだけど」とでも言われようものなら、ショックで魔核しんぞうが潰れてしまう。

 この選択で間違いない。そう、思うのに。

 <とまりぎ>がある森にはヤドリギの寄生した木が多く、ここでは他の獣人ツクモノや魔法使いと顔を合わせることも少なくない。自ら逃げることを選択したというのに、迎えが来て去っていく獣人ツクモノを見るたび鶏獣人の心はささくれ立つ。

 それでもヤドリギのある場所に居着いてしまうのは、獣人ツクモノサガなのだろうか。


 鶏獣人の態度に、犬獣人が見下げたように鼻を鳴らす。

「アンタってホントどうしようもないわ」

「どーせオレは臆病者チキンさ」


 ◆★◆


 鶏獣人がいつものようにカウンターに突っ伏して愚痴っていた日のこと。


 ガラン ガララン


 乱暴にドアが開けられ、ガラの悪そうな狼の獣人ツクモノが店に入ってきた。見るからに強者ツワモノ感をかもし出している。

「よぉ、久しぶりだなぁワン公」

 どうも彼は犬獣人と顔見知りのようだが、店に入り浸っている鶏獣人には覚えがない。

 カウンターに頭を乗せたままじろじろと様子を窺う視線を察して、狼獣人も鶏獣人に値踏みするような視線を返す。

手前テメェは迎え待ちか?」

「来ねーよ、んなもん」

「なんだ、手前テメェ野良獣人ノケモノかよ」

 手前テメェもと言うからには、相手は野良獣人ノケモノなのだろう。犬獣人のように、宿し手から契約を拒まれた寄る辺なき獣人ツクモノ

 実際のところ鶏獣人は明確に捨てられたわけではないのだが、相手は鶏獣人を同類と受け取ったようだった。

 狼獣人は顔色に邪悪さを浮かばせてにんまりと笑う。

「なら手前テメェも一口乗るか?」

「待って、この子は……」

 犬獣人に割って入られ、狼獣人はやれやれとばかりにあごを高く上げる。

「おいおいワン公。仲間外れにしちゃあ気の毒だろ? 心配すんな、今度の獲物は上玉だ。多少分けてやってもお釣りが来る。もっとも、取り分は働き次第だがなぁ」

 なにやらきな臭い雰囲気に鶏獣人が半目になる。

「仲間って何のだよ?」

「決まってんだろ、魔法使い狩りよぉ」

 狼獣人から出た予期せぬ言葉に、鶏獣人は大きく目を見開いた。

「魔法使い狩り!?」

「なんだ手前テメェ、知らねぇのか。ワン公も獣人ヒトが悪りぃなぁ。教えてやんなかったのかよ」

 鶏獣人の驚きに、狼獣人は冷笑をたたえる。

「しょうがねぇ。俺様が説明してやらぁ」

 狼獣人は鶏獣人の隣の席に腰を下ろして足を組む。鶏獣人が不作法な体勢を続けているのにも構わず、話を始めた。

「俺様たち獣人ツクモノが宿し手の魔法使いとしか契約できねぇのは知ってんな?」

 鶏獣人がカウンターに乗せたままの頭で頷くと、狼獣人が続けた。

「ヤドリギの実を魔核に変えたのは宿し手の魔力。それを維持するにも魔力が必要だ。契約すりゃあ宿し手から魔力が供給されるが、野良獣人ノケモノはそうはいかねぇ。儀式の時に結ばれた仮契約を一方的に解かれりゃ、1年もたずに魔力が尽きて死んじまうんだよ」

「んなはず……」

 頭を上げて否定しかけた鶏獣人の嘴を、カウンター越しに前足を伸ばしてきた犬獣人が押さえつける。

「ショックなのは分かるが、タメになる話をしてやってんだから黙って聞きな、世間知らず。いいかぁ、この死を回避する方法がひとつある。魔力の補充に、魔法使いを殺して肉を食うんだ。そうすりゃ、ちょいとばかし寿命を延ばせる。魔力量の多い魔法使いを食えば、その分延びる寿命も長くなるって寸法すんぽうよぉ」

 くちをきけない状態の鶏獣人だが、見開いた目から非難の意図は伝わったらしい。狼獣人は不快そうに鼻面にしわを寄せた。

「おいおい、何を渋ることがある? そのナリだ。どうせ手前テメェもロクでもねぇ理由で捨てられたんだろうがよぉ」

 勘違いを続けたまま、狼獣人は忌々しげに自分の腰を叩く。

「俺様はなぁ、元は魔女に作られた人形だった。だが、そいつが半端に手作てさくなんてしたもんで、尾をつけるのを忘れやがったのよ。あのクソアマは獣人ツクモノになった俺様に尾がねぇのを見ると、失敗したとか言って捨てて行きやがった」

 語り口調こそ軽いものの、狼獣人の目は強い憎悪を浮かべてギラついていた。

 過去を思い返して虚空を睨みつけていた狼獣人が、鶏獣人に視線を戻す。

「で、手前テメェはどうするよ? 俺様たちの仲間になるか?」

 つっぱねようにも、鶏獣人の嘴は犬獣人に押さえつけられたままだ。

「この子はいいわ。まだ気持ちの整理がつかないでしょうし」

 見当違いの返事をして、犬獣人が狼獣人に確認する。

「獲物はどこに?」

「すぐそこの北の街道だ。森に入る前にやるぞ。契約された後だと面倒だからなぁ」

「後から行くわ。先に行っておいて」

「分け前が欲しけりゃさっさと来いよ」

 狼獣人はドアを開けて外へ出ていく。

 その姿が見えなくなってからようやく解放された鶏獣人は、飛び起きて犬獣人に向かいまくし立てる。

「なんで好き勝手言わせてんだ!? あんなんデタラメだろ!! 契約せずに10年経ってもオレは死んでねー!!」

「アンタが死んでないのは、アンタの宿し手がアンタを見捨ててないからよ」

 犬獣人が鶏獣人を睨み据えた。怒られたことなら何度もあるが、その眼光はかつてないほど冷ややかで鋭い。

「仮契約をそのまま残して、自分の傍に居もしないアンタの為に魔力を送ってくれてるの。何度も言ったでしょう? 会いに行くべきだって」

「なっ……」

「会ってどうなるかなんて分からないわ。アタシみたいに、内面が理由で捨てられるかもしれない。けれど、少なくともアンタには今もまだアンタを待っていてくれるご主人様がいるのよ」

「じゃ、じゃあお前は?」

 <とまりぎ>がいつからあるのかは知らない。

 少なくとも、鶏獣人がこの森に来てから既に5年。

「お前は……食ってんのか? 魔法使いを」

「……野良獣人アタシたちは、そうしなきゃ生きていけないの」


 鶏獣人は今になってようやく、犬獣人がなぜここに居を構えているのか理解した。魔法使いを狩るのであればヤドリギの側ほど適した場所はない。

 自分の獣人ツクモノを迎えるために、未契約ひよっこ魔法使いえものが向こうからやって来てくれるのだから。


 鶏獣人の脳裏に、お迎えが来たとはしゃいでいたカムイの姿がよぎった。

「お前、まさか、熊の時も……?」

 カムイだけではない。ここに来てから何人もの獣人ツクモノを見送った。店で交流した者も少なくない。

「気に入ってる子やその宿し手を傷つけたりはしないわ。……少なくとも、アタシはね」

 犬獣人こいつはそうでも、狼獣人あいつは?

 鶏獣人は先程までこの場にいた狼獣人の荒々しい姿を思い起こす。

 捨てられた身の上は気の毒ではある。けれども、彼らが長らえるためにこれまで一体どれだけの無関係な魔法使いたちが犠牲になってきたのだろう。


 呆然としている鶏獣人を置き去りに、犬獣人が店を出ていく。

 ねつけるようにドアが閉じられ、追い打つごとくドアベルの音が響いた。


 ◆★◆


 ひとり店に残された鶏獣人は翼で顔を覆って苦悩する。

 魔力を送ってくれているということは、あの子はまだ探しているんだろうか。いなくなってしまった“ピーちゃん”を。


 ――かならずむかえにくるからね。


 あの言葉を何故信じることができなかったのか。

「鶏冠にくるぜ。オレはどうしようもねー臆病者チキンだ……」

 宿し手から見捨てられていないと知っても、どうすればいいやら。戻ろうにもすべがない。逃げに逃げ続けたせいで、魂を宿したうまれた場所がどこだったかも覚えていなかった。この期に及んで、まだ続いているらしい絆が会うことで絶たれてしまう可能性も恐ろしい。


 それよりも、差し迫った問題はあの野良獣人ノケモノたちによる襲撃計画だ。

 この森の中には、今か今かと宿し手の迎えを待つ獣人ツクモノたちがいる。現れた魔法使いを狩ろうと舌なめずりして待ちかまえている者たちがいるのも知らずに。

 放っておけば犠牲が出てしまう。

 かといって、行ったところで何になる? 獰猛どうもうな肉食獣を相手に、被食者にすぎない鶏ごときが。

 けれども、狼獣人のような野良獣人ノケモノを野放しにしておいたら、自分の宿し手だっていつ襲われてしまうか分からない。

 これから起きることを看過して、いつかあの子と再会できた時に顔向けができるだろうか?


「くそっ、いつまでもヒヨってる場合じゃねー……!」


 ◆★◆


 意を決した鶏獣人が駆けつけると、狼獣人が赤いローブを着た一人の魔法使いと対峙たいじしていた。


 ――犬獣人あいつはどこだ?


 辺りを見回し、鶏獣人は魔法使いの背後の茂みに隠れている犬獣人の姿を見つける。隙をついて今にも襲撃する構え。

 狼獣人に気を取られている魔法使いは気付いていないようだ。

「やめろ!!」

 身を潜めていた犬獣人が踊りかかった刹那せつな、ばっと飛び出した鶏獣人は覆い被さるように魔法使いをかばった。

 直後、臀部でんぶに激痛が走る。

「アンタ……!」

 鋭い歯で尾羽を食いちぎった犬獣人が驚愕きょうがくの声を上げるのが聞こえたが、そちらを振り向くことなく。痛みをこらえ、鶏獣人は両翼の内側にかくまった魔法使いを見下ろした。

「おい、大丈夫か!?」

 魔法使いがうつむいたまま動かないので鶏獣人は焦る。

 恐怖で動けないのかもしれない。抱えて逃げられるだろうか。

「それ……」

 呼びかけが耳に入らなかった様子で魔法使いが呟く。

 相手が指差したのは、鶏獣人が左脚の蹴爪けづめの上に巻いている花柄のハンカチ。

「ピーちゃん、なの?」

 震えた声で呼びかけられて、鶏獣人の魔核しんぞうが早鐘のように鳴った。

 誰にも明かしてこなかったその名を知る者はこの世に一人しかいない。

 おそるおそるこちらを見上げてくる若草色の瞳。ローブのフードが外れ、あらわになった髪の色は薄い桃色。

 目の前の少女に、泣き虫だった女の子の面影が重なる。

「シャロン!?」

 名を呼ばれた少女の顔がくしゃりと歪む。あの日のような涙――ではなく、浮かぶのは憤怒ふんぬの形相。

「この、裏切り者!!」

 シャロンは低い体勢のまま、器用に鶏獣人の右脚を蹴りつけた。

 ただでさえ尾羽を失った尻が痛むのに、脚にまで容赦のない連撃をくらい、鶏獣人は堪らず悲鳴を上げた。

「おい! ちょっと! 待て!!」

「待っててって言ったのに! ずっと探してたのに!」

 ふたりの様子を見て関係を察した狼獣人が、憎悪に満ちた唸り声を放つ。

「ちくしょうが! 手前テメェ野良獣人ノケモノじゃなかったのかよ」

 鶏とはいえ獣人ツクモノの加勢。狼獣人は警戒して少し距離を取りはしたものの、敵意は一層増した様子。

 少しも怯むことなく、シャロンは立ち上がって狼獣人を睨みつけた。

「私は獣人ツクモノを捨てたりしない。ピーちゃんが私を捨てたのよ」

「捨ててねー!」

 鶏獣人は憤慨ふんがいする。

 逃げこそしたが捨てたつもりは毛頭ない。むしろ、捨てられるのではないのかと常に怯えて生きてきたのだ。全て宿し手を想うが故である。

 ――けれども、状況だけで判断するなら捨てたと思われても仕方がない、かもしれない。

「オレは……もうヒヨコじゃねー」

「だから何?」

 シャロンはいぶかしげに鶏獣人を見やる。

「この通り、可愛くなんてねーんだぞ」

「別にあんたは可愛くなくてもいいでしょ。その分私が可愛くなったんだから」

 鶏獣人は言葉を失い、胸を張ったシャロンを見つめる。


 動物寄りの姿を持つ獣人ツクモノだが、感性は人間に近い。美醜の判断もしかり。

 確かに、幼い頃から愛らしかった少女の容姿は成長して更に磨きがかかっているように見える。宿し手への贔屓ひいき目は眉を釣り上げて怒った姿であることで差し引きゼロとして、これまで見てきたどの人間より抜群に可愛らしいと思う。

 しかし。


 ――性格の方は可愛げがなくなったな。


 泣き虫で甘えんぼうだったあの頃のあどけなさは一体どこへ。

 鶏獣人は嘴まで出かかった言葉を呑み込んだ。自分だって相手のことを言えたものではなかったので。

「私と契約する気はある?」

 確認というよりは脅すような口調でシャロンが尋ねる。

「当たり前だろ」

 剣幕にひよったからではなく、心からの言葉で鶏獣人が返す。

 束の間睨み合うように見つめ合うと、シャロンはふところから出したナイフでてのひらを切った。血の滲む手を鶏獣人の胸元に押し当てる。


 宿し手が血を与えるのは、正式な契約の証。これにより獣人ツクモノ契約獣人ツカイモノとなる。


 シャロンに触れられると、鶏獣人の中の魔核しんぞうが熱を持った。淡い光を放って、そこから細長い木の棒――魔法使いの杖が現れる。

 体を通して杖が引き出されたというのに、鶏獣人に痛みや違和感はない。胸を占めるのは、自分と宿し手との間にある目に見えない強固な繋がりだけ。


 契約獣人ツカイモノの魔核から作り出される杖は魔力を効率的に集約するための道具であり、魔法使いには必須の代物である。

 魔法使いは獣人ツクモノ魔力いのちを与え、獣人ツクモノは魔法使いにちからを与えその身をまもる。

 それが魔法使いやどして契約獣人ツカイモノの共生の形。


 鶏獣人――ピーちゃんは抱え続けていた不安をとうとう乗り越えた。

 成長してどんなに変わってしまっても、シャロンを捨てようだなんて思わない。その想いはお互い様。

 今なら、今更ながら、迷いなく豪語ごうごできる。


 シャロンはオレのもので、オレはシャロンのものだ。

 こんな臆病者チキンを長年見捨てずにいてくれたこの尊大で健気な主人を置いて逃げ出すような真似まね、二度とするものか……!


 ◆★◆


 護衛の必要などないのではないかというぐらいに、杖を得たシャロンの力は圧倒的だった。

 狼獣人はあっけなく倒され、残るは項垂うなだれた犬獣人のみ。

 初撃でピーちゃんの尾羽を食いちぎって以降、犬獣人は戦意をくした様子だった。シャロンもそんな相手をどうすべきか対処に迷っているようだ。

「なあ、お前……」

 ピーちゃんが犬獣人に声をかけて近寄ろうとした瞬間、倒れていた狼獣人がぐばっと牙を剥きだし、ピーちゃんの腹部めがけて襲いかかってきた。

 シャロンも対応しようのない不意打ち。


 ピーちゃんは目と嘴を堅く閉じて覚悟を決めた。

 が、いつになっても痛みも衝撃も訪れず――。


 こわごわと目を開くと、そこには横腹を大きく食い破られた犬獣人の姿があった。一瞬思考が真っ白になったのち、庇われたのだと理解する。

 狼獣人の方はそれで力を使い果たしたようで、歯噛みして悔しがるその体はぐずぐずと崩れていく。

 ピーちゃんは犬獣人の傍にへたり込んだ。

「お前、なんで……」

「言った……でしょ。気に入ってる子……は、傷つけたり……しない、って」

「――っ、シャロン、こいつを……」

 言わんとする先を察して、シャロンは力なく首を振る。

「だめ、治せない。魔法で獣人ツクモノを癒せるのは、宿し手の魔法使いだけだから」

 ピーちゃんは絶句した。

 犬獣人は既に自分の魔法使いから契約を拒まれている。

 よしんばシャロンに犬獣人を癒す力があったところで、その先も生き長らえさせようとすれば、他の魔法使いを犠牲にし続けるしかない。

 その葛藤かっとうを察したように、犬獣人が自嘲じちょうの笑みを浮かべる。

「気にすること……ないわ。当然の……報い、だもの」

「お前……」

「アンタ……が、うら……やましい。アタシも……受け入れて、欲しかっ……」


 ああ、こいつはどんなに。


 ピーちゃんが肌身離さずハンカチを持ち続けていたように、犬獣人が身に着けているトゲつきの首輪も、まだ人形だった頃に魔法使いから贈られたものだという。

 捨てられた犬獣人に唯一残された宿し手との繋がり。

 なかなか迎えが現れず、<とまりぎ>にぼやきに来る獣人ツクモノはこれまでに何人もいた。けれども、ピーちゃんの知る限り犬獣人は一度だって魔法使いに対する不満に同意を示さなかった。自分を捨てた当人に対する恨み言さえ口にすることはなく。

 これまで迎えの来た獣人ツクモノたちや、みずから逃げ続ける自分を、どんな気持ちで見続けてきたのか……。

 耐えがたい煩悶はんもんに駆られながらも、ピーちゃんは犬獣人から目を逸らせない。


 シャロンが近寄ってきて、犬獣人の横にしゃがみこむ。

「あなた、名前は?」

「……グリム、よ。アタシが……宿ったあとは、一度も……呼んでもらえなかった……けど、ね」

 シャロンがそっと触れると、犬獣人の体が淡く光を放つ。

「グリム」

 名を呼ばれたグリムはまぶたを震わせながら目を見開かせ――うるんだ瞳から涙をこぼす間もなく、そのまま動かなくなった。

 シャロンが手で撫でるようにグリムの目を閉じさせるやいなや、狼獣人と同様にグリムの体も崩れて消え去る。残されたのはヤドリギの実と首輪だけ。

 シャロンはその首輪を拾うと、ピーちゃんに押しつけた。


 獣人ツクモノが息絶えると魔力でできた肉体は崩れさり、魔核まかくとしての性質を失ったヤドリギの実だけが残る。

 獣人ツクモノ魔核たましいを与えてくれたヤドリギへの礼として、この実はそのままにしておくのが習わしだ。

 一度魔力を帯びた種は強い生命力を秘めている。残された実をついばんだ鳥が運ぶことで、ヤドリギは生息域を拡大していく。

 ――これもまた、魔法使いとヤドリギの共生のあり方。


「墓でも作ってやるか……」

 埋葬する体はないが、せめて首輪だけでもとむらいを。ピーちゃんが物憂ものうげに首輪に視線を落としていると――聞こえるはずのない声が聞こえた。

『これ……どうなってるの?』

「首輪が喋った!?」

 慌てたピーちゃんがわたわたと首輪を持て余すと、シャロンが溜め息をついた。

「グリムの魂を首輪に移したの。あの状態から獣人ツクモノとして助けることは私にはできなくて……魂を移して魔道具まどうぐにするしかなかった。でも、魔道具はただ意識があるだけで、獣人ツクモノみたいに自由に動かせる体はない。同意を得ずにやっちゃったけど、あなたはそれでもいい?」

 ピーちゃんはの中の首輪を見下ろした。こんなトゲトゲの首輪として不自由に生きていけと言われたら、自分ならどうするだろう。いっそのことそのまま眠らせて欲しいような気もするが……。

『いいわ』

 首輪から苦笑したようなグリムの声が返る。

『もうしばらくアンタたちにつき合ってあげる』


 ◆★◆


 ――私、従者を裸のまま連れ回す気なんてないから。仕立屋したてやに行ってあんたの好きな服を作ってもらいなさい。


 シャロンからそんな宣告を受けて注文した服が仕上がった。

 獣人ツクモノにとって服などあっても動きづらくなるだけなのだが、魔法使い様シャロンのお気に召さないとあっては契約獣人ピーちゃんに拒否権はない。


『アンタって、オシャレのセンスがまるでないのねぇ』

「うるせー」

 姿見の前でまじまじと服装を検分していたピーちゃんに、呆れたような声で首輪グリムが話しかける。

「んなもん無くて結構だ。お前を着けてる段階でオシャレもなんもねーだろ」

 くびに巻いた首輪を翼ではたいて――もはや何度目か、りずにトゲで痛い目に遭ったピーちゃんがグエェとわめく。


 残念ながら、シャロンの魔法でも食いちぎられた尾羽は生えてこなかった。

 このダボついた服装はそれを隠すためでもあるという文句が嘴まで出かかったが、ピーちゃんはかろうじて堪える。首輪になってしまった相手をそこまで責めるのもあんまりだろう。


「ちょっと、服どうだったの?」

 ノックの音がしたかと思えば、返答も待たずにシャロンが部屋に入ってきた。

 振り返ったピーちゃんは無言で両翼を広げて見せる。

 トゲ型の金属鋲コーンスパイクスタッズつきの赤い首輪に、若草色のオーバーオール。

 シャロンの視線は、そのオーバーオールのデザインでひときわ目立つ胸当て部分のポケット――そこだけやや色褪いろあせたピンクの花柄に吸い寄せられた。

 何か言われるのではと身構えていたピーちゃんだが、シャロンは何も言わずにきびすを返して部屋を出ていく。

 ピーちゃんは緊張を追い出すように長く息を吐き出した。


『あの子、スキップしてたわね』

「言うなよ」

 からかうように報告してくる首輪グリムに鶏冠と同じぐらい赤くなった顔を見せまいと、ピーちゃんは大きく天井を仰いだ。

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