14.フラッシュバック、そしてフラッシュバック

 ある夜、ホールで本を読んでいると、背後で雑談していた女性の患者さんがフラッシュバックを起こしたようで、突然ヒステリックに叫び始めた。


 私は環境音に弱いため普段からヘッドフォンで音楽を聴いて過ごすことが多く、それでも耐えられなさそうになった時のために耳栓も常備している。

 易刺激性いしげきせいでダメージを受けそうになった時には、耳栓の上から『イヤフォンガンガン伝言ゲーム』よろしくヘッドフォンで大音量の音楽を流し、目を瞑ってひたすら静まるのを待つ。(自分で書いてみて、まるで修行僧みたいだと思った。)


 しかし、その時は真後ろでことが起こったのと、目立った予兆は感じられなかったことから、無防備状態で易刺激性のスイッチがバチコン押されてしまった。

 そして、ドミノ倒しのように私もフラッシュバックして泣き始めた。


 苦手な怒鳴り声・叫び声の中でも、私は女性のヒステリックに叫ぶ声が特にダメだった。

 元来、女性に対して苦手意識があるからなのか、辞めた会社の上司たちが漏れなく女性だったから苦手に拍車がかかったのか、理由はよく分からないけれど、怒られていた当時のが蘇りやすい。

 男性の怒鳴り声の場合は単純な恐怖心で動けなくなるから、やはり後者が大きく影響しているのだろうか……


 それはともかく、ヒステリーが治らないその患者さんに夜勤の看護師総がかりで対応している後ろで、私は遅ればせながらのヘッドフォン×耳栓をしながら地味にシクシク泣いていた。


 学生時代から憧れていた職業。その職業だけを見据えてひたすらに追い続けてきた。

 私はこの業界に命を捧げるのだと腹を括って、夢を叶えるためになら何だって差し出す覚悟を決めていた。

 念願叶ってその職業についてからもそれだけでは満足せず、より大きな野望を抱えて「今はどんなに辛くても経験を積む期間だから」と耐え抜く自信があった。


 ——いや、つもりだった。

 全部『つもり』に過ぎなかった。


 夢を掴み取った結果がだ。

 覚悟も自信も全て『持っているつもり』で中途半端にやっていたからなっている。


 もはや『前職』となってしまった憧れの職業を夢見てよく聴いていた曲のMVを観ながら、ずっと自分を責めて泣いていた。




 フラッシュバックは、どこにそのトリガーがあるのか自分でもよく分からないのが最も厄介な症状だと思っている。


 前述の女性患者さんのヒステリーから数日後の夜、今度は夜勤の看護師さんが低血糖を起こしたようで倒れ、応急処置として空いている病室に運び込まれた。


 低血糖。私も何度も経験した。

 朝なかなか起き上がれずに何とか身体を引きずって駆け込んだ満員電車の中で、車内アナウンスの声が遠くなって視界が白くなっていく。

 勇気を出して目の前に座る人に「具合が悪いのでちょっとだけ座らせてくれませんか」とお願いして席を譲ってもらったり、そうもいかない時には、どこかしらの駅に着いた途端に電車を飛び降りて椅子に座り、またすぐに来る電車に備えて息を整えたりしていた。

 いつの間にか、あの時のように呼吸が速くなっている。


 そして、祖父の納骨の一件があったからか過度な想像も頭を過ぎる。

「また目の前で、私は何もできないまま誰かがいなくなってしまうのか」

 冷静に思えば、たかが低血糖なのだし、患者のお前が何もできないのは当たり前なのだが、、


 病室に戻りクローゼットの中に閉じこもると、大好きな祖父母と映った写真を握りしめて泣いた。

 倒れた看護師さんが入った病室はすぐ近くの個室のようで、心電図を測る機械音がクローゼットの中まで聞こえてくる。

 祖父のお見舞いに行った時にも聞いた音。

 10年以上前にも、植物状態の祖母を見ているしかできない病室で聞いていた音。

 耳を塞いでも聞こえてくる。


 暫くして、倒れた看護師さんが「もう大丈夫そうです」と他の看護師さんに謝る声が聞こえ、私の病室の前を通り過ぎる足音がした。


 大丈夫だったのか。でもこの目で見ないと安心できない。

 というか、看護師が体調不良(しかもただの低血糖)でこんなに患者を不安にさせて……。

 ひとこと言ってやらないと気が済まない。


 ナースステーションの扉をノックすると、すっかり元気になった当の本人が出てきた。

 写真を握りしめながら泣いている私を見て、驚いていた。


雨季うきさんどうしました……?」

「どうしましたじゃないですよ……もう大丈夫なんですか」

「あぁ、血糖値低かったみたいで。いっぱいご飯食べてきたんですけどねぇ」

「もう! おかげでおじいちゃんのこと思い出しちゃったじゃないですか!」

「あーそっか、おじいちゃんのこと思い出させちゃったか…… 患者さんに心配されるなんて、まだまだボクも看護師として三流ですね(爽やかスマイル)」


 そう、倒れた看護師とは、『神戸ショコラ』だった。

 私とも歳が近く、仕事が好きで熱心に働いているのを知っているからこそ、自分の当時を思い出したことは言えなかった。

 もし彼もあんな辛い思いをしてるのなら、その可能性を感じたくなかった。


「……眠前のお薬ください!」

 私をあしらうように笑っている彼を睨みつけてそう言い、神戸ショコラは私の薬を取りにステーションの中に戻った。

 私も強がっているが、まだ膝が笑っている。本当に怖かったのだ。


「はい、雨季日向ひなたさん、寝る前のお薬」

 神戸ショコラが薬包を開き、私の手のひらに錠剤を落とす。

 ありがとうございますと薬を飲んで、「おやすみなさい」と言う彼を振り返って去り際に言ってやった。


「無理しないでくださいね! (神戸ショコラ)さんのせいでまだ膝が震えてます!」

「え!? ボクまだ震えてますか?」

「私のです!!」


 呆れて「おやすみなさい!!」と言い捨てて病室に戻った。


 数日後にまた夜勤に現れた彼に「今日は倒れないでくださいよ」と声をかけると、

「今日は大丈夫ですよ! いっぱいパン持ってきたんで!」

と自信満々に返してくれた。

 パンて……。それでいいのか看護師よ。


 そういえば彼は今日、いつものオシャトートバッグと違うリュックサックを背負って出勤してきていた。

 あそこに『いっぱいパン』を詰めて来たのか。

 ……遠足かな?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る