第2話 検死
「さ、こちらです」
ぎい・・・とハチが重い扉を開けると、中はひんやりとしている。
「ん、随分と涼しいというか・・・」
「ええ、暑いと仏が腐っちまいますからね。
魔術のかかった壁を使って、こうやって冷やしてるってわけです」
「なるほど」
すたすたと廊下を歩き、小さな重い扉を開ける。
白いもやが扉から漏れ、廊下に垂れる。
涼しいというより、寒い空気。
「どうぞ」
真ん中に台が置かれ、その上に丸まった老人。
ばたん、と扉が閉められ、ハチが鍵を掛ける。
「それじゃあ、お願いします」
「任せな」
カオルはしわがれた声で返事をする。
ローブから出た手も、老人のようにしおれている。
耳の穴を覗く。
ハチの方を向き、カオルが手招きする。
「ちょいとあんた、耳の中の臭い、かいでみな。血の臭いはするかい」
ハチが近付いて、耳に鼻を当てる。
「いや、しませんね」
「そうか。ま、そうだわな」
「耳・・・もしかして、何か細いものをこう耳から突き刺して?」
「その通り。ま、念の為の確認てやつだ。人目もあったって話だし、胸を抑えてるしね。これはないわな。ちょいと、仏の服を脱がしてもいいかい」
「はい。お手伝いします」
ハチとカオルが、固くなった老人の死体の服を脱がせる。
「ん。これだね」
カオルが胸の辺りに目を向ける。
「これといいますと・・・どこで?」
「この胸の、心の臓の下に、ちっちゃいの。分かるかい」
マサヒデも近付き、ハチと2人で顔を寄せてみる。
なにやらあるような、ないような。
小さな染みのような・・・
「この、シミみたいな・・・あっ!」
ハチが声を上げる。
鼻を近付け、ふんふんと鳴らす。
「確かに、ここから血の臭いがしますね・・・転んだとか、掻きむしったって傷じゃねえ・・・しかし、こんな小さい傷で?」
「だね。ちょいと待ちな」
カオルが懐から包を取り出し、台の上に置いて広げる。
中には、また小さな包まれた物がいくつか入っている。
ひとつを手に取って、さらりと布を取る。
「多分、こんな感じの得物でやったんだね」
太い筆を「くい」と引っ張ると、中からやや太めの針のような物が出てきた。
5寸もない。
こんな物で人が殺せるのか?
心の臓は固い筋肉の塊だ。とても突き通せるとは思えない。
「こいつは・・・?」
「良く顔を寄せて見な」
顔を寄せて見てみると、針ではない。
横から見てみると、薄く、剃刀のように、両刃の刃が付いている。
これほど鋭い刃なら、心の臓も刺せるかもしれないが・・・
「む・・・しかし、こんなに薄い刃じゃ、折れちゃいませんか?」
「・・・」
カオルは応えず、指先を針の先に当て、くいっと引っ張る。
ぐっと刃が反れて、指を離すと、びいん、と刃が震える。
「お! これは・・・」
すごい弾力性。
「ううむ、すごいしなやかさだ・・・なるほど、これなら折れない」
「そういう事。こいつで素早く一突き、肉が閉まる前に一瞬で抜く。こんなに細くて薄っぺらいから、蚊に刺されるよりも軽いくらいの痛みだ。見ての通り、剃刀みたいに斬れ味がいいから、服もするっと簡単に抜ける」
「しかし御老体。そんな小さな傷で死にますかね?」
「ふふふ・・・死ぬんだな、これが」
「毒でも・・・いや、毒はなかったんですよね」
マサヒデがハチの顔を見上げる。
「ええ。毒はありませんでした」
「ほんの小さな傷が出来ればいいのさ。心の臓は休みなく脈打って、大きくなったり小さくなったりするだろ? その動きで傷がどんどん大きくなる。血が漏れ出す。空気が入る。何かおかしいって気付いた時にはもう手遅れ・・・」
ごく、とマサヒデとハチが喉を鳴らす。
「すぐには死なないから、倒れる頃にはもう下手人はいない。見ての通り、外には血も出ない。毒も使わない。見た目はただの心の臓の病。まあ、私らみたいな仕事には、うってつけっての得物ってわけだ」
「なるほど・・・」
「ま、間違いなくこんな得物だね。表の刺し傷は薄くて小さいから、すぐ閉まっちまって、外に血は漏れないってわけだ。けど、胸を開けば、中は血だらけだと思うね。心の臓をよく見てみれば、傷が分かるかもしれないね」
「こりゃすげえ・・・世の中にこんな怖ろしい得物があったとは・・・」
「やった奴は間違いなく『本物』だね。素人に扱える得物じゃない。人目の中、一瞬で、服の上から骨の間を縫って、心の臓を突いて抜く。そのまま人混みを歩いておさらば。私らみたいな稼業の者か、手練れの忍。間違いなくどっちかだね」
ううむ、と唸ってマサヒデは腕を組む。
「しかし、一介の金貸しを、そこまで腕の立つ者を雇ってまで、殺そうとするでしょうか? かなりの金が必要になるはずだ。ただ殺しが目的なら、ならず者にでも、金貨を数枚渡せば済む」
「たしかにそうだ。恨みにしたって、ちと綺麗に殺しすぎだ。そもそも恨みを買うようなお人じゃねえし・・・こりゃどういうこった」
「理由までは知らないよ。そこを調べるのは、あんたら同心の仕事じゃないか」
「や、仰る通りで」
「じゃ、帰っていいかい」
「助かりました。御老体、トミヤス様、ご足労ありがとうございました」
ハチが鍵を開けて、扉を開ける。
冷えた廊下を通り、建物の外に出ると、涼しい所にいたせいか、暑く感じる。
ハチは門まで送ってくれて「ありがとうございました」と頭を下げた。
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奉行所からの帰り道。
「カオルさん、さっきの得物、我々に見せても良かったんですか?
見せてはいけない得物だったりとか」
「いえ、そんなに珍しい物ではありません。別に構いませんよ」
「え、珍しい物じゃないんですか?
私は、見たことも聞いたこともありませんでしたが」
「私共や殺しを稼業とする者には、よく使われる物ですよ」
「・・・そうですか・・・」
忍の世界では普通に使われる得物なのか・・・
「ふふ。ご主人様も、名も顔も広がりました。人混みではお気を付け下さいね」
「ええ、そうします」
「まあ、ご主人様ならすぐに気付かれましょう。もし刺されても、すぐには死なない得物なので、治癒師にかかれば問題ありません。そう怖い物ではありませんよ」
「あ、確かに・・・いや、もし毒でも塗られてたら」
「そんなに簡単に、毒塗りの刃でご主人様を始末出来るなら、とっくにされていると思いますよ。それに、毒で殺すなら、飛び道具を使った方が安全ですし」
「ううむ、そうですね。ところで、あの仏の方って、もしかして・・・」
「ええ。おそらく、引退した忍あたりではないかと。
金貸しの元となった金も、引退前の仕事で稼いだものでしょう」
「酒の匂いがしました。酔ってうっかり何か喋ったりしたんでしょうか?」
「うーん、我々は酔わないように訓練を受けていますが・・・
長く離れていた者であれば、気を抜いて酔ってしまったのでしょうか」
「あ、もしかして引退してない忍の方だったのかも」
「引退していない?」
「前に聞きました。どの町や村にも、民の生活とか財政を調べる為に、忍が来ているって。この町の商業とか調べる為に来てた方だったとか」
「ええ。そういう忍もいます」
「財力もあって人気者。となると、おそらく商人ギルドとか商工会とか、そういう感じの所に深く関わっていたと思います。で、あまり知られたくない事を知ってしまった」
「そして、商人ギルドや商工会、またはそのメンバーの誰かに始末された、と」
「ありえそうだと思いません?」
「ありえますね。しかし、これ以上は関わらない方がよろしいかと。
明らかに、下手人は忍か暗殺者。
そういう者を雇い、平気で人を始末するような存在が、裏にいます。
こういった存在に関わるのは厄介の元です。もう十分に手助けはしました」
「そうしましょう。きっと、この件が解決しても後を引きます」
「それが賢明です」
「ふふ、ハチさんが『旦那! てえへんだ!』なんて、駆け込んで来るようになったりして。そんな後の引き方もありますよね」
「ふふふ。今でも忙しいのに、もっと忙しくなってしまいますね」
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