第一章 ~『水魔術と魔女』~


 国防の要であるシルバニア辺境伯の屋敷には、いつでも籠城ができるようにと、敷地の傍に広大な麦畑を所有していた。


 いつもなら黄金の稲穂を実らせる畑だが、連日、日照りが続いているため大地がひび割れ、稲穂が干からびていた。


「酷い有り様だね」

「天候によるものとはいえ悲惨ですね」


 畑で麦を育ててきた農夫たちの気持ちを思うと心が傷んだ。


「とはいえ、周囲に誰もいませんから。修行には好都合です」


 カインは魔術の達人ということになっている。実は素人だと知られないためにも人目には注意しなければならない。


「それで、この麦畑で何をするんだい?」

「水魔術を習得していただきます」


 干上がった大地を潤すこともできて一石二鳥だと、趣旨を理解したカインは大きく頷く。


「では私が手本をお見せしますね」


 メアリーは手を広げて、指先から淡い輝きを放つ。魔力が大気に満ち溢れ、空気中の水蒸気が集まって水滴へと変化していく。


 次第に水滴が数を増し、局所的な雨となって大地を潤す。透明な水が光を反射し、幻想的な光景を作り出していた。


「人の役に立てる素晴らしい力だね」


 カインが賞賛の拍手を送る。


「あなたならすぐに使えるようになりますよ」

「本当かい?」

「なにせ、カイン様には水魔術の才能がありますから」


 魔術師はそれぞれ適性を持ち、得意とする属性を有している。彼には水を操る才能があった。


「ちなみにカイン様の得意属性は水と炎です。二種類の適正を持つ人は珍しいのですよ」

「君は見ただけで適性が分かるのかい?」

「秘匿している魔術師相手だと難しいですが……それ以外の人なら判別は簡単です」


 体を纏う魔力の色で適正は診断できる。カインの魔力には微細な赤と青が混ざり合っているため、炎と水の適性を有していると見抜くのは容易だった。


「メアリーも水の魔術を使えるよね。なら君も適正持ちなのかい?」

「いえ、私の適正は光だけですよ。これはあくまで才能ですから。適性がなくても、努力さえすれば習得できるのです」

「上達スピードが遅いけど、努力すれば覚えられるということだね……なら僕も光魔術を使えるようになるのかい?」

「残念ながら光魔術だけは例外で、適正者にしか扱えないのです」

「だから使い手が少ないんだね」


 光魔術の希少性は努力で会得できないことに起因している。限られた力を持つからこそ、メアリーは魔女と恐れられたのだ。


「では早速、カイン様に水魔術を習得していただきましょう」

「魔術書でも読むのかい?」

「いえ、それよりも効率の良い方法があります。私の手を掴んでください」


 手を差し出し、カインに握るように伝えると、彼の頬が赤く染まった。


「君と手を握るのはなんだか恥ずかしいね」

「必要なことですので、我慢してください」

「我慢はしてないけど……頑張るよ」


 頬を掻きながら、カインは手を掴む。互いの手の平から体温が伝わり、否が応でも意識させられた。


(美しい手ですが、触れるとゴツゴツしていますね)


 剣を振ってきた努力の結晶が反映されていた。きっと彼ならば魔術の分野でも大成できるだろう。


「では私の魔術の術式を流し込みます。少し違和感を覚えるかもしれませんが我慢してくださいね」


 魔術は術式と魔力を掛け合わせることで発動する。その術式を第三者の肉体に無理矢理馴染ませるのが、彼女の編み出した修行法だった。


 カインの肉体に術式の含まれた魔力が満たされていく。彼は黙ってそれを受け入れ、新たな力を覚醒させていく。


「はい、これで完了です。水と炎の初級魔術なら、今すぐにでも使えますよ」

「こんな簡単な方法で会得できるとは思わなかったよ」

「でも欠点もありますよ。この手段だと会得できるのは初級魔術だけですから。中級、上級、超級の魔術を習得するには、この後、血の滲むような努力が求められます」

「魔術師の頂きは遠いね」


 剣の道と同じだと笑う彼は、努力を恐れてはいなかった。そんな彼の姿が眩しく映る。


「本当に素敵な殿方になられましたね」

「そ、そうかな」

「領内の女性たちに慕われている理由が分かりました」

「僕としては他の誰でもない君に好きになってもらいたいのだけどね」

「ふふ、好きですよ。親友なのですから、当然ではありませんか」

「気長に頑張るしかなさそうだね……」


 はぐらかされてもカインが気にした素振りはない。


 修行に意識を集中するため深呼吸すると、彼は手の平に魔力を集めた。


「まずはメアリーを真似てみるよ」


 手の平から魔力を放ち、水の塊を発生させる。空中に浮かんだ水はそのまま畑に落下し、大地に溶け込んでいった。


「失敗したかな?」

「いえ、最初の第一歩としては十分です。あとは水を細かく分解し、雨のように散らすことができれば、より広範囲の畑を潤すことが可能になります」

「頑張ってみるよ」


 魔術は使用するたびに魔力を消費する。だがカインに疲れた様子はない。


(カイン様の魔力量は多いですから。初級魔術で尽きることはないでしょう)


 訓練が始まってから、カインはひたすらに水の魔術を使い続ける。練度は徐々に上がり、みるみる内に上達していく。


 夕焼けが空を染める頃には、メアリーと同じく水を散らせるようになっていた。達成感を表情に滲ませる彼に、メアリーは拍手を送る。


「一日でここまで魔術を使いこなせるとは思いませんでした」

「でも君にはまだ勝てないだろ」

「それは……」

「本気の君の魔術を見てみたい。駄目かな?」

「そこまで言うなら……少しばかり本気を出してみましょう」


 光魔術で視界に広がる小麦畑の生命力を確認する。枯れ果てた大地はそのほとんどが力尽きようとしていた。


「では、参ります」


 指先から魔力を放ち、雨雲を呼ぶ。


 大気中の水蒸気を凝結させて雲を形成し、乾燥した土地に雨を降らせていく。天候を操る彼女の力は、まるで神の所業だった。


 死んでいた周囲一体の大地が、恵みの雨で癒やされていく。念の為、光魔術で生命力をチェックするが、作物を収穫するのに十分な肥えた大地へと回復していた。


「これがメアリーの魔術か……」

「いまのが上級魔術です。光魔術と応用させることで、雨に癒やしの効果も付与してあるのですよ」

「さすが僕の師匠だね」


 カインはパチパチと賞賛を送る。瞳をキラキラと輝かせながら、彼は尊敬の眼差しを向けるのだった。

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