第一章 ~『ワイバーンの群れと魔女』~


 緊急事態宣言が発令されて砦が慌ただしくなる一方で、カインは魔道具によって投影された映像を冷静に見つめていた。


「さすが僕の部下たちだ」


 映像の向こう側では、陣形を組んだ騎士団が大砲を上空に向けていた。その動きに淀みはなく、訓練の成果が実践にも現れている。


「魔物は空から来るのですか?」

「遠視の魔術の使い手がいてね。敵の正体はワイバーンだと判明しているんだ」

「それは厄介な敵ですね」


 ランクCの飛行型の魔物で、口から火を吐くこともできる。並の騎士では太刀打ちできない強敵であるだけでなく、対空手段も求められるため、簡単には討伐できない難敵だ。


「もしかして、メアリーは戦ったことがあるのかい?」

「一度だけですが……」

「それでも経験者の意見は貴重だよ。是非、僕にアドバイスして欲しい」

「任せてください」


 かつてアイスビレッジ公爵領で戦ったワイバーンは、個体として強力なだけでなく、知能も高かった。


 獣だと見くびってはいけない相手だと伝えると、カインは唸り声をあげる。


「ワイバーンは知能が高いのか……なら、単純な砲撃では打ち落とせないかもね」

「砲弾が届かない高度まで上昇されてしまうでしょうね」

「ありがとう。戦略を変更するよ」


 通信用の魔道具でカインは遠く離れた前線に指示を送る。命令を受けた騎士たちは茂みの中に砲台を隠し始めた。


「砲台の存在をギリギリまで知らせないことで、撃ち落とす作戦ですね」

「さらにいくつかの砲台を高台へ移動させた。撃ち漏らしたワイバーンは上空へ逃げようとするはずだからね。そこを上からの砲撃で仕留める二段構えの作戦さ」


 瞬時に計画を練りあげるカインの手腕に舌を巻く。彼ならば、ワイバーンを撃滅できるだろう。


「失礼するぞ」


 扉がノックされる間もなく、領主のレオルが団長室に足を踏み入れる。彼の強張った表情から、ワイバーン襲撃をすでに知らされていると伺えた。


「カイン、状況は?」

「国境付近での配置はすでに手配済みですよ。それにワイバーンの数は三十体との報告を受けていますから。我々なら十分に撃退可能です」

「よくやった。さすがは俺の右腕だな」

「レオルさんの指導のおかげですよ」


 二人の表情に余裕が生まれたのは、互いを信頼しているからだ。緊迫する空気の中で、彼らの冷静さは救いだった。


「始まりますね」


 映像に映された国境付近の上空に、大きな翼を広げたワイバーンの群れが飛翔していた。太陽を鱗で反射させながら、自由自在に風を切っている。その姿は天空の王者のようであった。


「勝てるでしょうか……」

「僕の部下ならきっとね」


 不安を解消するかのように、茂みに隠れている騎士たちは上空に照準をあわせる。カインは彼らに魔道具で指示を送る。


「まだだ。もう少し引き付けたい……あと三秒、二、一、いまだ!」


 カインの合図と共に砲台から火が放たれる。轟音と共に砲撃がワイバーンに直撃し、爆炎が広がっていった。


 煙が晴れると、撃ち落とされたワイバーンたちが地面に落下していた。しかしすべてを撃滅できたわけではない。一部の個体が生き残っており、回避行動を取るため、上空へと舞い上がっていく。


「別働隊、いまだ」


 カインの合図と共に、高台の上から砲撃が放たれる。逃げ場を失ったワイバーンたちに砲弾の雨が降り注がれる。


 命中した砲弾が爆炎を広げ、ワイバーンを撃墜していく。作戦は成功したのだ。


「カイン様の勝利ですね」

「部下たちが頑張ってくれたおかげさ」


 一件落着だと喜ぶ二人。そんな雰囲気を打ち壊すように、魔道具で報告を受けたレオルが叫んだ。


「なんだとっ!」

「どうかしたのですか、お父様」

「新たな情報が俺の元へと届いた。どうやら先程のワイバーンの群れは先遣隊のようだ」

「つまり本体は別にいると?」

「ああ。その数は千匹を超えるそうだ」


 団長室は重々しい空気へと変わる。ランクCの魔物は一体でも脅威だ。それが千匹もいては、国が滅びかねない。


「お父様でも倒せないのですか?」

「剣が届く範囲にいてくれれば倒せる。だが上空にいるワイバーンの群れをすべて倒しきるのは無理だ」


 レオルは対人戦なら世界最強だ。近接魔術なら他に類を見ない威力を誇り、剣術と組み合わせれば右に出る者はいない。


 しかし遠距離系の魔術は不得手だった。相手が数匹ならともかく、千匹のワイバーンを一掃する魔術を持ち合わせていなかったのだ。


(私なら……)


 レオルと違い、メアリーは遠距離や大群を相手にする魔術が得意だった。彼女が本気を出せば、ワイバーン千匹を一掃することも可能だった。


(ですが、もし私が倒したと知られたら、また魔女だと恐れられるかもしれません)


 親密になった仲間たちにも畏怖されてしまうかもしれない。そんな恐怖が彼女を臆病にしていた。だが彼女の心情を見抜いたかのように、カインが手を添えてくれる。


「僕が傍にいる。だから恐れなくてもいいんだ」

「カイン様……」


 彼はメアリーがワイバーンを恐れているのだと誤解していた。しかしその優しさが、彼女の背中を押してくれた。


(カイン様が私を畏怖するはずがありませんね)


 意を決し、メアリーはカインを見据える。


「あの、この砦で最も高い場所に私を案内してくれませんか?」

「まさか……」

「私がワイバーンの群れを一掃します」


 その言葉には、説得力のある力強さが含まれていた。真っ先に信じたのはレオルである。


「この言葉は嘘じゃない。父親の俺が証明する」

「ワイバーン千体ですよ?」

「それを可能にするのがメアリーだ。だろ?」

「親バカですね」

「良く言われるよ」


 窮地を脱するため、メアリーに希望を託すと二人は決断する。


「メアリー、僕についてきてほしい」

「私を信じてくれるのですか?」

「君が誰よりも優秀だと知っているからね。なにせ幼馴染だ」

「カイン様……ありがとうございます」


 カインに連れられ、団長室の側にある石階段を登る。息を荒げながら、屋上へ辿り着くと、そこには見晴らしの良い青空が広がっていた。


「見事な快晴ですね。これなら私の魔術の力を十全に発揮できます」

「それで、どうやってワイバーンを倒すんだい?」

「私は寿命、即ち他者の生命力を視認できます。この力を応用すれば、相手の生命力を奪うことも可能です」

「つまり視界に入れた相手の寿命を奪うと?」

「はい。そしてこの力は私が魔女と畏怖された原因でもあります」


 視認しただけで相手の寿命を奪い尽くし、絶命させられるのだ。それは彼女との対峙が、首元にナイフを突きつけるに等しい。だからこそ皆がメアリーを恐れたのだ。


「でも僕は怖くないよ。君が人命を奪うわけないと知っているからね」

「カイン様……あなたのその言葉だけで、私は救われます」


 彼の言葉のおかげで躊躇いがなくなる。瞳に魔力を集め、魔術を発動させる。


(見晴らしが良いおかげで、遠視の魔術もスムーズですね)


 望遠鏡を覗いているかのように、視界は遥か前方のワイバーンの群れを捉えていた。一体一体は空に浮かぶ点だが、光魔術によって、寿命が視認できた。そのすべてに命があるのだと否が応でも直面させられる。


(あなたたちに恨みはありませんが、私の大切な人を守るためです……ごめんなさい)


 光魔術が炸裂し、ワイバーンたちは生命力を失っていく。雄叫びをあげて墜落していく彼らの死因は老衰や心臓麻痺など多岐に渡る。一体の例外もなく、そのすべてが大地へと激突した。


「殲滅完了です……」

「ご苦労様、よく頑張ったね」


 倒れ込みそうなメアリーをカインが支える。部下からも状況報告が届いたのか、ワイバーンに撃ち漏らしがないことを知って、彼は改めて驚愕する。


「君はこの国の英雄だよ。きっと皆が感謝する」

「それは最初だけですよ。平和が戻れば、多くの人が私を恐れるはずです」


 カインや親しい者たちは変わらないでいてくれるだろう。だが面識のない者たちはメアリーを恐れるはずだ。仕方ないと分かっていても、その事実が悲しかった。


「なら僕がやったことにすればいい」

「ですが、それではカイン様が恐れられます」

「多少怖がられるくらいの方が、騎士には箔が付くさ。それに僕らを救ってくれた君の助けになりたいんだ。受け入れてはくれないだろうか?」

「まったく、あなたは相変わらず優しい人ですね」

「メアリーには負けるさ」


 なんだか可笑しくて二人は笑い合う。それは子供の頃から変わらない見慣れた笑顔だった。


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