第一章 ~『魔物肉と魔女』~
数日後、手紙の内容が貴族コミュニティに広がり、アンドレアの評判は悪化したとの知らせが届く。冷ややかな目で見られ、影で馬鹿にされているそうだ。
(私に同情してくれる人も多いようですね)
メアリーはアンドレアの友人たちとも交友関係を築いていた。つまり彼の友人は、メアリーの友人でもあるのだ。
その彼女を理不尽に婚約破棄した上に、恥知らずな贈り物の返還まで要求したのだ。アンドレアを貴族にふさわしくないと責める者まで現れる始末だ。
(この調子だと孤立しそうですが……アンドレア様の自業自得ですね)
溜飲を下げたメアリーは、かつての婚約者のことを頭から振り払う。楽しいことを考えながら生きる方が建設的だと、気分を入れ替えるために屋敷を散歩していると、食欲をそそる香りが漂ってきた。
(誰かがお肉を焼いているようですね……)
匂いを追うと、調理室へ辿り着く。調理台には様々な肉の部位が丁寧に並べられており、それを前にしたカインが唸り声をあげていた。
「なにか、考え事ですか?」
「メアリー……実はね、低ランクの魔物肉をどうにかして美味しくできないかと悩んでいてね。試行錯誤していたんだ」
調理台には塩に胡椒、さらにはスパイスやハーブまで用意されている。魔物肉の臭みを取るために用意したが、効果は薄かったとカインは続ける。
「僕らは治安維持や訓練のために魔物を狩っている。でも命は無駄にできないからね。折角なら食べられるようにしたいんだ」
「でもそう上手くはいかないと?」
「ああ。なにせ魔物肉の調理を試した人は過去にもいたはずだからね」
食文化は食材をどのように美味しくするかの積み重ねだ。長い歴史の中で、低ランクの魔物肉を食べられるようにしようと挑戦した者は数多くいたはずであるが、その手法は確立されていない。困難な道であることは疑いようもなかった。
「でも工夫すれば味に変化はあるんだ。特にオーク肉は豚と味が似ているからね。強い臭みさえなくせれば、きっと美味しくなるはずさ」
カインが努力する理由は、騎士団の仲間たちに食べさせてあげたいからだろう。そんな彼の優しさに報いるため、メアリーも頭を捻る。
「お酒に浸けたりするのはどうでしょうか?」
「試したけど駄目だったね。他には果物を利用したり、茹でてみたりもしたけど臭みが消えることはなかった。きっと魔力を失って、肉の鮮度が極端に落ちてしまうからなんだろうね」
「肉の鮮度ですか……」
高ランク帯の魔物肉が美味なのは、魔力が残留し、肉の鮮度が保たれるからだ。だとすると、解決策も簡単だ。鮮度を取り戻せばいいのだ。
「私の光魔術を試してみましょう。肉の鮮度を生きていた頃のように蘇らせるんです」
調理台の上に置かれたオーク肉に癒やしの光を浴びせてみる。すると、赤身が鮮やかな紅色へと変化し、光沢を放ち始める。
「見た目は大きく変化したね」
「味も変わったはずですよ」
「確かめてみようか」
魔道具のコンロから火を出して、フライパンでオーク肉を焼いてみる。手際の良い調理でステーキを完成させると、上から塩胡椒を振りかけた。
「シンプルな味付けですね」
「塩胡椒だけなら味の違いが判断しやすいからね。さっそく食べてみようか」
カインはナイフとフォークで切り分けたステーキを口の中に放り込む。味を確かめるように数度咀嚼した後、彼の口元に笑みが浮かんだ。
「美味しいよ。豚肉に負けない味だ」
「私も頂きますね」
メアリーも一口サイズに切り分けて、その味を堪能する。臭みはなく、舌の上で広がる脂の旨味は高級肉にも負けていない。絶品の味わいだった。
「この味なら騎士の皆さんも喜んでくれそうですね」
「光魔術の使い手がほとんどいないからこそ、今まで発見されてこなかったんだろうね……でも、だからこそ、残念なこともある」
カインは調理室の奥に設置された冷蔵室へと移動する。そこには凍った魔物肉が大量に吊るされていた。
「この肉すべてに光魔術をかけるには、少なくとも数百人単位で魔術師が必要になる。それだけの人員を集めるのは非現実的だし、諦めるしかないね……」
「いえ、私なら一人でできますよ」
「魔力切れにならないのかい?」
「私は並の魔術師ではありませんから。魔力量だけなら誰にも負けません」
魔力は幼い頃からの訓練や戦闘で増加し、十代の中頃で成長が止まる。魔物との闘いを生き抜いてきたメアリーだからこそ、他に類を見ないほどの魔力量を保有していたのだ。
メアリーは冷凍室に癒やしの光を放つ。輝きに包まれた魔物肉は、色合いが鮮やかとなり、艶を取り戻していく。
「すごいね。冷凍肉の状態でも質が良くなったのが分かるよ」
「ふふ、貢献できたようで何よりです」
魔女のメアリーと畏怖されてきたからこそ、魔術で人に感謝されて悪い気はしない。自然と頬も緩むのだった。
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