第29話 特別師範・クレール・2
思い切り体重をかけ、ぎい・・・と訓練場のドアを開く。
ほんの少しだけ、隙間が開いた瞬間、訓練場の中から大きな声、打ち合う音。
試合やカオルとシズクの立ち会いの時とは違い、色々な物が置いてある。
向こう側の壁には弓の的が並んでいる。
壁沿いには長椅子もいくつか置いてある。
柵で囲まれた所は、剣で打ち合いをする所だろうか?
声が聞こえた方角に顔を向けると、マサヒデとシズクが冒険者を打ち据えている。
周りには冒険者達がずらりと正座して並び、2人が冒険者に稽古をつける様子をじっと見ている。
打ち据えるたび、拍手やどよめきが上がる・・・
(嘘ー!? あんなに人がいるんですかー!?)
腹を括ったつもりだったが、人が多すぎる!
あんな衆目環視の中で、稽古!? 初めてなのに!?
さっと開いたドアの後ろに隠れ、そっと顔を覗かせる。
すっと打ち込みを流して、こん、と竹刀で頭を叩くマサヒデ。
拍手が上がる。
打ち込みを棒で受けながらくるんと回し、冒険者を地に叩きつけるシズク。
拍手が上がる。
(ひええ・・・)
あの中に入って行くんですかー!?
・・・と、ドアの後ろから覗いていると、1人の女冒険者がこちらを見ている。
じー・・・視線がしばらく交差する。
こくん、と小さく女冒険者が頷く。あれはカオルさんだ!
(は、はい! 行きます!)
クレールも頷き返す。
もう一度、女冒険者は小さく頷き、目をマサヒデ達の稽古に向ける。
隠れていたドアからそっと踏み出し、両手で、よいしょ、と重い扉を閉める。
「あ!」
ぎく!
「クレールさん! こっちですよ!」
マサヒデの明るい声。
振り向くと、マサヒデと周りの冒険者達がじっとこちらを注目している・・・
恐る恐る歩いて行くと、マサヒデとシズクの周りを正座して囲んでいた冒険者達が、道を開けてくれる。男も女も、人も魔族も、皆、いかつい者ばかり。
普段なら怖くもないし、例え襲われても魔術で簡単にあしらえるはずなのに、こうして見られると緊張してしまう。
「さあ、こちらへ。早かったですね」
おどおどしながら、マサヒデの隣に並ぶ。
「皆さん! こちらが本日の特別師範! クレールさんです!」
おおー! という声と、ぱちぱちと拍手が上がる。
顔が真っ赤になって、下を向いてしまう。
「先程ご紹介しました、私との試合で戦ってくれた、あの銀髪の死霊術師! 純粋魔術師! あの試合では私は勝つことが出来ましたが・・・実は、試合では本気を出していなかったことが判明しました! 本当は私より上かも!」
「嘘!?」「なんと!?」「トミヤス様よりも!?」
冒険者達が驚きの声を上げ、視線がクレールに集まる。
「稽古の師範役は初めてで、師範としては慣れない所もあると思いますが、腕は間違いなく超一流です! 是非『本物の魔術師』に稽古をつけてもらって下さい!」
「よろしくお願いします!」
「マ、マサヒデ様!」
たまらず、クレールが声を上げてしまった。
「私、師範役など、どうして良いか・・・」
「死なない程度に、痛めつけてあげれば良いだけです」
「それだけですか!?」
「はい。それだけです。あ、最後に私と一戦しますので、魔力の使いすぎだけ気を付けて下さいますと」
「わ、分かりました・・・このクレール、出来る限り、頑張ります!」
「わあ!」と冒険者達が声を上げる。
クレールはきりっと顔を上げ、
「本日、師範役として招かれました、クレールと申します! ご紹介頂きましたとおり、私、師範役は初めてでございますが、精一杯、務めさせて頂きます! 皆様、よろしくお願いします!」
腹から大声を出し、最後に優雅に稽古着の裾をつまんで、くいっと頭を下げた。
優雅な挨拶に「おお・・・」と小さく声が上がる。
マサヒデが頷いて、
「では、クレールさん。初めましょう。最初の方!」
「はい!」
1人の冒険者が手を挙げる。
魔族。耳がある・・・これは、獣人だ。
シズクは獣人は強いと言っていたが・・・
「では、クレールさん、こちらへ。あなたはここへ」
2人が位置につく。
「構えて下さい」
獣人が「ば!」と剣を出して構える。
我流だ。肉体の強さと速さで押すだけだろうが、これは強いはずだ。
構えの速さ、重心をぐっと前にしているのに、全く動かない身体の芯。
クレールは杖をひょい、と上げただけ。
相手を前にして腹が据わったか、先程とは目が違う。
あの、無心に近い目になっている。
「はじめ!」
合図と共に獣人の冒険者が怖ろしい速さで走り出したが・・・
「うお!?」
魔術で作られた地面の穴につんのめり、ばちーん! と、もろに顔を叩きつけた。
勢いが強い分、転んだ衝撃もすごい。剣を離してしまったが、すぐ顔を上げる。
・・・目の前に水球が浮かんでいる・・・
「うっ・・・」
「そこまで!」
クレールは一歩も動いていない。
おお! と歓声が上がり、次いで拍手が上がった。
「中々の師範ぶりです。この調子で」
マサヒデは軽く笑って、クレールに顔を向ける。
は! とクレールが顔を上げる。
「はい!」
答えた瞳は、無心の瞳ではなく、喜びにきらきらと輝いた瞳。
「次の方!」
「はい!」
得物は槍。今の地面の穴は見ていたはず。
気を付けて一歩踏み込めば、槍は届く。
「構えて下さい」
ぴ、と槍を水平に構える冒険者。
す、と軽く杖を上げるだけのクレール。
「はじめ!」
ば! と冒険者が後ろに飛んだが、後ろの地面すれすれの空中に小さな水球。
その小さな水球が浮いた片足に当たり、冒険者は空中でバランスを崩して、背中からもろに倒れてしまった。
上から水がざばっと落ちる。
「そこまで!」
また、クレールは一歩も動いていない。
ごほ、と冒険者が咳き込む。
一手で勝負を決めている。最後の水はおまけだ。
拳よりほんの小さな水球がたったひとつ。それだけで、完全に動きを奪った。
先程よりも大きな歓声が上がり、次いで拍手が上がった。
「あなたは着替えてきて下さい」
「はい」
びしょ濡れになった冒険者が、すごすごと準備室へ向かっていった。
「次の方!」
「はい!」
お。この冒険者は中々の腕と見た。
稽古の参加者に、クレールの本領を少しだけ見せてやっても良いだろう。
「ふむ・・・クレールさん。皆さんに、得意の死霊術でもお見せしてあげては」
「分かりました」
ごく、と冒険者の喉が鳴る。
「構えて下さい」
冒険者はまっすぐ上段、蜻蛉の構えのように、剣を上に上げる。
死霊術と聞いて少し緊張しているのか。
だが、悪い緊張の仕方ではない。身体は固くなっていない。
クレールはひょいと杖を上げただけ。
「はじめ!」
クレールの稽古着の袖から、蝶がひとひら、ふわ・・・と静かに舞っていく。
「?」
構えた冒険者はクレールから目を離さないが、周りの冒険者はおお、と小さな声を上げた。蝶が、まっすぐ上に上げられた剣の先に止まる。
またひとひら。袖からふわふわと飛んで、冒険者の剣に止まる。
またひとひら・・・
動かない冒険者。
動かないクレール。
ふわふわと飛んでいく蝶。
しばらくして、歓声と拍手が上がった。
冒険者の剣の刃の上に、隙間なく蝶が止まっている。
それでも、冒険者はまだ動かない。剣もぴたりと止まっている。
(この冒険者、中々やる)
少しづつ増えてきたとはいえ、稽古への参加者はそう多くはない。
今回はマサヒデの特別師範参加、という呼び掛けで、大勢集まった。
今まで参加していなかった者の中に、これほどの腕の者もいたのだ。
また、蝶が袖からひとひら。ふわふわ・・・
冒険者の鼻先に止まる。
(これでまだ動かないのか)
とマサヒデが思った瞬間。
剣に止まっていた蝶が、ふぁさ~っという感じで、冒険者の顔を覆う。
完全に視界を奪っている。
「う」
と、小さく声を出し、冒険者がほんの少しだけ右につま先を向けて、ぴた、と止まった。
地面に穴が開いている。上に薄く砂の屋根があるから、見た目は分からない。
(よく気付いた。だが、どうかな)
「・・・」
クレールが杖をちょい、と軽く動かすと、砂の屋根がさらーっと落ちていった。
冒険者の足の真下以外、周囲が穴になっている・・・
さーっと蝶がクレールの袖の中に入っていき、冒険者は足元を見て、剣を下げた。
「ま・・・参りました・・・」
「そこまで!」
もう一度、クレールが杖を振ると、空いた穴の底から地面が盛り上がり、元に戻っていく。
大歓声と拍手が上がり、冒険者は剣を収めて下がっていった。
「ふふ、クレールさん、中々の師範ぶりじゃないですか。大喝采ですよ」
「そ、そうですか!?」
きらきらとした瞳で、胸の前でぐっと拳を握って嬉しそうにするクレール。
この顔を見れば、とても、あんな魔術を使うとは思えない。
「ええ。この調子でお願いします。では、次の方!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます