第27話 令嬢、到着


 シズクから魔族の話を聞いていると、からから、と玄関が開けられた。


「おはようございまーす!」


 聞いたことのない男の声。何か魔術師協会に陳情だろうか。


「私が出ますね」


「はいよー」


 奥からマツとカオルが顔を出したが、マサヒデはこくん、と頷いて玄関へ向かう。

 職人風の姿だが、忍独特のあの冷たい空気が、男から漏れている。

 レイシクランの忍が、何か報せでも持ってきたのか。

 しかし、今まで、レイシクランの忍が、マサヒデの前に姿を見せたことはない。


「お待たせしました。レイシクランの方ですか?」


「は」


「何か危急の報せですか?」


「いえ。お嬢様がそろそろホテルをお立ちに。半刻内にはこちらへ」


「おお、そうですか! お知らせ感謝します!」


「では」


「あ、ちょっと」


「何か?」


「昨晩お聞きでしたでしょうが、不都合がなければ、いつでも遊びに来て下さい。うちにもカオルさんがいますが、姿を出して普通に暮らしています。あなた方もクレールさんの身内。玄関から訪ねて来られた際は、家臣ではなく、家族、友人といった感じで過ごしていって下さい」


「は。お言葉有り難く承りました」


「お引き止めしてすみません。お仕事、お疲れ様です」


 マサヒデは頭を下げた。


「失礼致します」


 男も頭を下げ、玄関を閉めて去って行った。

 マサヒデも立ち上がり、皆に報せに行く。


「シズクさん。もうすぐクレールさんが来ますよ。半刻内ですって」


「うう、ついに来るのか・・・」


 執務室前。


「マツさん。もうすぐクレールさんが来ます。半刻内です」


「え! 本当ですか! わあ!」


 カオルの部屋の前。


「カオルさん」


「は。聞いておりました」


「うん。では、一区切りした所で、お茶とお菓子を用意しましょう」


「は」


 台所に行き、お盆と急須、湯呑だけを並べて、マサヒデは居間に戻る。


「ふふ、シズクさん。さすがに寝転んだままはやめて下さいよ?

 印象が今よりもっと悪くなっちゃいますよ」


「しないよ! もう!」


「ははは! クレールさんに茶菓子を食べられないように、注意して下さいね」


「うーん、クレール様になら譲る・・・」


「あははは! 譲りますか!」


 怒ったり笑ったりしょげたり。シズクは顔がころころ変わって面白い。


「時間もまだ早い。クレールさんが来たら、私達3人でギルドに行きましょう」


「え? 私も行くの?」


「訓練場で、腕を認めてもらうんですよ」


「ああ! あれか! よーし、頑張るぜ!」


「これから一緒に暮らすんですから、仲良くしてほしい。

 いつも緊張してる家なんて、嫌ですからね」


「だね! 落ち着いて寝られないよ」


「ふふ、そういう事です」



----------



 それから少しして、門の前に馬車が止まる音。


「お、来ましたね」


 奥からさらりと襖を開ける音がして、マツとカオルが出てくる。


「私が出迎えますから、お茶の用意をお願いします」


「は」


 カオルは台所に行く。


「ふふふ。シズクさん、あまり緊張してると、逆に嫌われてしまいますよ」


「う、うん・・・」


 正座してかちかちになっているシズク。


「マツさんも行きますか」


「はい!」


「ちょっとちょっと、私がここで待ってるの!? いいのそれ!?」


「良いんですよ。さ、マツさん、行きますか」


 玄関の向こうに、クレールの小さな姿。

 向こう側に、両手にカバンを下げた執事の影。

 からからー・・・と、控えめに玄関が開けられる。


 冒険者姿のクレール。朝日に銀色の髪が輝く。

 目に不安の色が見えたが、マサヒデを見た瞬間、喜びの色に変わる。


「あ、マサヒデ様!」


「おはようございます。馬車の音が聞こえたので、出てきた所です」


「クレールさん、おはようございます。

 小さなあばら家ですけど、我慢して頂けますか」


 マツが手を付いてクレールを迎える。


「あ、あ、あっ! こちらこそ! よろしくお願いします!」


 ば! とクレールが頭を下げる。


「ふふ。堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。さあ、上がって下さい」


「はははい!」


 恐る恐る、と言った感じで、クレールが上がっていく。

 様子を見ていたマツが、くす、と小さく笑った。

 マサヒデは後ろの執事に声をかける。


「おはようございます。荷物はそれだけですか」


「マサヒデ様、おはようございます。あと、土産にワインをいくつか」


「これはどうも。では、その荷物は私が。ワインをお願いします」


「え、いや、それは」


「構いませんよ。さあ、荷物を」


「は・・・」


 執事の手から荷物を受取ると、執事は馬車の方へ戻って行った。

 む。この重さ、着替えだけではない。何か、重い物が多く詰まっている。

 宝飾品の類もいくつかは入っているだろうが、金か?


「とりあえず、荷物はここに置きますね。後で部屋に運びましょう」


 居間の隅に、荷物を置く。

 クレールは驚いて、


「あ、マサヒデ様が運ぶなんて・・・」


「ふふ。クレールさん。これからこういう生活になるんですよ」


「は、はい。そうですね、そうでした」


「ふふ」


 玄関に戻ると、執事がワインの入った箱を持って立っている。


「さ、お上がり下さい。これからしばらく、クレールさんと離れて暮らすんです。すぐ近くとはいえ、あなたもお寂しいはずだ。お顔を見て行って下さい」


「は。ありがとうございます」


 執事と2人で居間に戻り、座布団に座る。

 カオルが皆の前に茶を出してくれる。


「クレールさん、我が家へ・・・いや、マツさんの家ですけど、ようこそ」


「はい!」


「ふふふ。そう気張らないで下さい。案内したい所もありますから、今日は忙しくなりますけど、明日からのんびりと過ごしていって下さいね」


「はい!」


「うふふ。クレールさん、今日からここはあなたの家ですからね。お客様じゃないんですよ。さ、お茶でも飲んで」


 す、と皆が湯呑を取って、ずー・・・と啜る。

 マサヒデはまんじゅうを取って、口に入れる。


「うん。美味い」


 は! とクレールがマサヒデの手のまんじゅうを見て、湯呑の横のまんじゅうを見つめる・・・上手くいったようだ。ごくり、とクレールが喉を鳴らす。マツとカオルがくす、と笑う。


「い、頂きます・・・」


 小さな口で、一気にまんじゅうを食べきるクレール。

 この勢いの良さは、見ていて気持ちが良い。

 ・・・この量なら。

 ぐぐーっと茶を飲んで「ぷひゃー!」と息をつく。


「ははは! やはり、クレールさんの食べ方は、元気が良いですね!」


 あっ! という顔をして、真っ赤になって俯いてしまうクレール。

 カオルが笑顔で茶を注ぐ。


「良いんですよ。こういう顔を見せるのが、家族ってもんです」


「家族」


 今まで離れて暮らしていたので、やはりこういう感じが薄いようだ。

 2、3日もすれば慣れるはず。


「ふふ。ところで、クレールさんにお聞きしたい事があるんですが」


「はい! なんでしょう!」


 がば! とクレールが顔を上げる。


「クレールさん。先日、私と試合した時、本気出してませんでしたね?」


 え? という顔で、マツが一瞬こちらを見たが、ああ、そういう事か、と湯呑に口をつける。


「お聞きしましたよ。レイシクランの方々は、すごい力をいくつも持ってるって。あなた、魔術だけで戦ってたじゃないですか」


「あ、あ・・・あの、すみません!」


 クレールが頭を下げる。

 マサヒデはにやにやした笑いをクレールに向ける。


「ふふーん。ホテル暮らしが暇で、私の試合には、暇つぶしに参加したって感じでしょうか? どうです?」


「う・・・」


 図星だったようだ。ぴく、とクレールの身体が固まる。

 執事も、一瞬だけ、ぎく! とした顔をする。


「当たったようですね。さて・・・では、後でクレールさんには『本気』を見せてもらいましょうか? もちろん、良いですよね?」


「は・・・はい・・・」


「その力、どれも使うとすごくお腹が空いてしまう、と聞きました。これ、間違いありませんか?」


「その通りです・・・」


 マサヒデは一口茶を啜る。


「ふふふ。とっておきの力というわけですね。しかし、冒険者ギルドでは、空腹を気にする事はありません。ブリ=サンクのレストランや、三浦酒天よりは味は落ちましょうが、無料でいくらでも食べられます」


「ほ、本当だったんですね!? いくらでもって!」


 ぱあーっと瞳を輝かせるクレール。


「そうです。あなたの口に合うかは分かりませんが、あの食堂は、貴族向け・・・我ら平民にとっては少々高額な品も揃えています」


「うわあ・・・」


「毎日たくさん食べる必要はないとはいえ、そのとっておきの技、使えば身体中の力を多く使うはず。試合で使わなかった、ということは、動けなくなるくらい空腹になってしまうのでしょう?」


「あ、その・・・はい・・・」


「それほどの力、是非見てみたい。ギルドを案内したら、訓練場で稽古でも。軽く数本こなして、身体を慣らしたら・・・」


 マサヒデは静かに湯呑を置き、クレールをじっと見る。


「今回は、本気で」


 さあ、と風が吹き、ちりーん、と風鈴が鳴る。


 マサヒデの声は静かだったが、部屋中が、しーん・・・と静まり返る。

 急須をマサヒデの湯呑に近づけていたカオルの手が、ぴた、と止まる。

 かちかちになっていたシズクも顔を上げ、マサヒデを見つめる。

 執事の額に、つー・・・と冷や汗が垂れていく。


 マツは、カゲミツに立ち合おう、と言われた時の空気を感じた。

 カゲミツと違い、静かな物言い。怖ろしい目つきでもない。だが・・・

 クレールも、きっと同じものを感じ取っているはず。


 断れない・・・クレールは、こくん、と小さく喉を鳴らし、


「はい・・・」


 と小さく頷いた。背中を冷たい汗が流れていく。

 マサヒデは、にこ、と笑う。


「ふふ、何も真剣でやろうってんじゃないんですよ? 皆さん、そんなに緊張なさらないで下さい。ただの稽古。木刀でもない。竹刀ですから」


 にこにこしているマサヒデと対象的に、部屋中の皆がぴりっとした緊張感に包まれた。

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