婚約者は犬

アソビのココロ

第1話

「ダリウス、そなたが欲しがっていた犬だ」

「ちちうえ、ありがとうございます!」

「名はクリスだ。そなたの半身と思って可愛がるのだぞ」

「はい!」


 僕がまだ三歳くらいだったか。

 その頃のことは他に何も覚えていないけれど、父陛下から犬を受け取ったことだけは鮮明に思い出せる。

 クリス、か。

 その生後何ヶ月かの黒犬は、すぐに僕の良き相棒になった。


 夏の暑い時以外は一緒に寝ていた。

 クリスは冷たい床をよく知っていた。

 僕も熱くて寝苦しい夜はクリスを探して近くで寝た。

 クリスはしょうがないなあ、って顔をしていた。


 勉強がつまらなくて逃げ出した日も、クリスと一緒だった。

 あの日は雪がちらついていて寒かった。

 耐えられそうになかったから、帰ろうかなと思ったくらいだ。

 クリスはついてこい、って顔をした。


 行き先は馬小屋だった。

 あっ、藁がたくさんある。

 藁があってもふもふのクリスがいたから、寒い夜も我慢できた。

 あんまり眠れなかったのは寒かったからじゃない。

 藁がちくちくしたせいだ。


 次の日はすごく怒られた。

 王城の皆で僕を探してたみたいで。

 でも勉強ばかりじゃなくて体を動かすことも課程に入れられることになった。

 その日メチャクチャ雪合戦したのはいい思い出だ。


 山道で出会い頭に親子連れのクマに遭遇したこともあった。

 言うまでもなく、子連れのクマは気が立っていて危険だ。

 あれは怖かったなあ。

 ヒヤッとしたが、クリスが果敢にクマに吠えついて、応援が来るまで凌ぐことができた。

 ありがとうクリス。


 そんなこんなでずっとクリスとは仲良しだったんだ。

 でも人と犬の寿命は違う。

 否応なく別れの時は来る。


          ◇


「よしよし、僕がついてるからね」


 息が荒い。

 クリスももう一四歳だ。

 寿命だとわかってはいる。

 頭を撫でてやることしかできない。


 もふもふだった毛も大分抜けてしまったなあ。

 それだけ長い間一緒にいたんだね。

 目を閉じれば、まだ元気だったクリスの駆け回っている様子を思い出せる。


 使用人達も遠巻きで僕とクリスを見ている。

 それでいい。

 僕がクリスを看取るから。

 最後の瞬間くらい二人きりでいさせて欲しい。


 クリスがいなくなってしまうのは悲しい。

 でも楽しいことはたくさんあった。

 せめて最期くらい、笑顔で送ってやろうじゃないか。

 クリスが未練を残さず天国へ旅立てるように。


「あ……」


 荒い息がピタッと止まり、動かなくなった。

 逝ってしまった。

 寂しい……いや、寂しがっちゃいけない。

 クリスよ、安らかに眠れ。


 と、突然横たわるクリスの辺りから魔力が強くなる。

 な、何だ?

 急な魔力光!

 視界が遮られる!


 徐々に目が見えるようになると、一人の女の子が横たわっていた。

 何これ? クリスの亡骸はどこ行った?

 まさか女の子に変化した?

 使用人達も驚いて固まってしまった。

 女の子が目を開き、そして上半身を起こす。

 ……可愛い子だな。


「この姿では初めてお目にかかります、ダリウス殿下。わたくしはベレスフォード辺境伯家の娘クリステラと申します」

「クリス……テラ?」

「今まで通り、クリスと呼んでくださって構いませんよ」


 今まで通り?

 クリステラと名乗るこの子の髪、クリスの若い時と同じ、艶のある黒だ。

 クリスの生まれ変わりなのか?

 いや、そんなことないよな。


「どういうことかな。説明してくれるか?」

「いずれ陛下から詳しい話があるかと思いますけれども、わたくしはダリウス殿下の婚約者なのでございます」

「「「「「「「「えっ?」」」」」」」」


 一同総ビックリ。

 辺境伯令嬢というのが本当なら不思議ではないか。

 僕の婚約者候補という話が今まで出なかったのも、内々で決まっていたと考えると当然に思える。

 しかし僕に知らされなかったのは何故だ?


「実はわたくしは、魂が半分に分かたれてしまうという症状に悩まされておりまして」

「ふむ?」

「わたくしの魂の片割れは殿下の愛犬クリスに入っていたのです」

「えっ?」


 クリスの魂はクリステラ?


「はい。殿下とともに生き、暮らした一生でございました。最期までありがとうございました」

「……」


 クリスの魂は生きている?

 肉体は滅びても、僕の婚約者として?


「クリスが天寿を全うしたことで、わたくしの分かたれた魂は元に戻りました。わたくしがこちらへ引っ張られた理由はわかりませんが、クリスの思いがそれだけ強かったからかもしれません」

「なるほど?」

「今までわたくしは魂が半分ないせいで感情というものを表現できず、殿下にお目もじすることがかないませんでした。しかし……」


 輝くような笑みを見せるクリステラ。

 ああ、間違いなくクリスの喜んでいる時の顔だ。


「これからは婚約者として殿下のお側に侍ることができます。嬉しいです」


 そうだ、犬をもらった時、既に名前が付いていたのをどうしてかな? と思ったものだ。

 『半身と思って』というのも、婚約者の魂を持つ犬だったからなのか。

 どうして……。


「……どうして父陛下は僕に全てを明かしてくれなったのだろう?」

「おそらく犬のクリスが亡くなった時、必ずわたくしに魂が戻るとは限らなかったからではないでしょうか?」

「……なるほど」

「陛下の御心はわかりませんけれども」


 犬の寿命は知れている。

 無事クリステラの魂が完全なものとなるならば、僕の婚約者に。

 そうでないならば異なる者を婚約者に、という判断だったのか。

 納得できる。


「荒唐無稽ではありますが、わたくしの話を信じていただけるでしょうか?」


 クリステラの上目遣いの顔。

 ああ、クリスもよくしていた表情だ。


「もちろんだとも」

「では、わたくしを婚約者だと受け入れてもらえるでしょうか?」

「ああ、改めてよろしくというのも変だが」


 何故ならクリステラは半分クリスなのだから。


「クリスと呼んでもいいかな」

「はい!」

「クリス」


 クリステラ=クリスを抱きしめる。

 ちょっと驚いたようだが、そっと抱きしめ返してくれる。

 ああ、クリスの体温を感じられて嬉しい。


「これからもずっと、君は僕の相棒だ」

「はい。よろしくお願いいたします」


          ◇


 ――――――――――クリステラ視点。


 わたくしと父様は陛下御夫妻に招待され、王城で歓待されておりました。


「ハハハ、見事にダリウスは騙されてくれたな」


 陛下が大笑いしていらっしゃいます。

 もちろんわたくしの分かたれた魂などというのは狂言です。

 ダリウス殿下の愛犬が亡くなったところで、転移魔法によってわたくしと入れ替えるという、陛下の案による大仕掛け。


 趣味が悪いなあと思いました。

 けれど、わたくしが婚約者として受け入れられるためには一番よいのではないか? と言われるとそんな気もしてきます。

 結局陛下の仰る通りにしてみました。

 ダリウス殿下に信じてもらえたのはよろしいのですけれど。


「クリステラ嬢は実に可愛らしいな」

「恐れ入ります」

「つまらん小細工をしなくても、ダリウスは気に入っただろう」


 ずっと辺境伯領にいたわたくしが王都に上ってきたのは、来春一五歳で貴族学院高等部に入学するからという単純な理由です。

 初等部は田舎でもいいですけれども、高等部は社交も重要になってくる年齢ですから。


 ダリウス殿下の婚約者に、という話は以前からいただいておりました。

 王都に到着したらお目通りすることになるのだろうなあと内心ドキドキしておりましたら、いきなりの陛下の悪ふざけです。

 わたくしの年齢と黒髪、クリステラという名前の類似から思い付かれたようですね。

 宮廷魔道士達も巻き込まれて大変なようでした。


 ……ひょっとしたらわたくしの緊張もほぐしてやろうという、陛下の気配りであったのかもしれませんが。 


 父様が言います。


「ダリウス殿下への種明かしはどうされます?」

「む? なくてもいいのではないか?」

「関わっている者の数が多ございます。絶対にバレますよ」

「ふむ……クリステラ嬢どう思う?」

「わたくしは……」


 何故陛下はわたくしの意見を求めたのでしょう?

 意を決して言ってみます。


「わたくしも種明かしは必要ないと思います」

「おいおい、ダリウス殿下との信頼関係が崩れてしまうよ」


 お父様の言うことももっともなのですが。


「ふむ、クリステラ嬢。そなたが種明かしは必要ないと言う、理由を説明してくれるか?」

「はい。実はダリウス殿下の愛犬の魂は、わたくしの中にいるのではないかと感じるのです」

「「えっ?」」


 王妃様と父様が驚いていらっしゃいます。

 わたくしはどちらかというと人見知りの方です。

 陛下の言うがままお芝居をしていましたが、うまくやれる気はしませんでした。

 失敗したならしたで、陛下に全責任を押し付ければいいので気は楽でしたが。


 ところが実際にダリウス殿下のお顔を拝見すると、慕わしい気持ちで一杯になってしまいました。

 こんな経験は初めてです。

 陛下が興味深そうな顔をしていらっしゃいます。


「ダリウス殿下のことを、信頼できる人だと何故か思えてしまって。いえ、埒もないことを口走ってしまい、申し訳ありません」

「いや、クリステラ嬢の言うことには、根拠がなくもないのだ」

「えっ?」

「転移を行った宮廷魔道士の報告があってな。転移開始時と転移終了時の重量比較なんだが、犬の亡骸の重量が若干減り、その分クリステラ嬢の重量が増えているそうな。トータルの重量は変化がないと」

「……つまり魂がわたくしに移動した分、重量の変化が認められたと?」

「と、考えると説明は付くであろう? 魂に重さがあるかは知らんが」


 だから陛下は種明かしの必要はないと。

 そして体験者であるわたくしに意見を求めなさったのですか。

 頭のいいお方だなあ。


「もしダリウスに突っ込まれたら、転移のことはバラしていい。同時に魂の移動のことも話してやってくれ。どうせダリウスはクリステラ嬢に説明を求めるだろうからな」

「わかりました」


          ◇


 ――――――――――ダリウス視点。


「不思議な話だ」


 クリステラからクリス臨終の時の話を聞いた。

 父陛下の冗談だったと。

 まあそうだろうなと思ったからクリステラに聞いたのだが、同時におかしな点もあった。

 確かにクリスの振る舞いだと思える点もあったからだ。

 そうしたらクリスの魂がクリステラの中に移動したのではないかとのこと。


「騙していて申し訳ありません。でも本当なんです」

「いや、信じるよ。むしろクリステラの言う通りでないと、僕自身納得いかないことがあるんだ」


 でも父陛下のやることは絶対に信じない。

 いつも悪さすることばかり考えているんだから。

 クリステラの頭を撫でてやる。


「あ……」

「クリステラは可愛いな。撫でてもいいだろう?」

「はい。後頭部からうなじにかけて撫でられると気持ちいいということは、初めて知りました」

「クリスが好きだったんだ」

「そうでしたか。道理で」


 間違いない。

 クリスの魂はクリステラの中にいる。

 父陛下の悪さがなければこんなことも起きなかったんだろうなあ。

 ちょっとだけ感謝してもいい。


「クリス」

「はい」

「うん、君がクリスだ」


 恥ずかしそうにするクリス。

 相棒と愛すべき人の魂が同化するという、神の奇跡と言うべき事象。

 きっと神は父陛下みたいな悪戯好きなんだろう。

 でも構わない、嬉しい。

 僕はこれからもずっと、クリスと一緒なんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

婚約者は犬 アソビのココロ @asobigokoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る