殺戮の舞踏者たち

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殺戮の舞踏者たち

 夜の街。

 寂れた駐車場があった。

 周囲には街灯も少なく、人通りもない。

 そこで男は、3人の暴力団員に囲まれていた。

 男の細い長身は少年のようであるが、決して若くはない。

 その顔はやつれたように憔悴し、眉間には深い皺が刻まれている。目の下には黒い隈ができており、深夜まで起きていることが窺えた。

 男の腹に、暴力団員の一人が蹴りを叩き込む。男は腹部を圧迫されて、一瞬で呼吸ができなくなる。

 だが、男は言った。

「オレは、ヒーローだ」

 男は錆びた声で言うと、拳を振りかぶった暴力団員の腹に膝蹴りを放つ。

 予想外の攻撃に暴力団員は腹筋に力を籠める間もなく、もろに受けてしまった。

 まるで鋼柱でも打ち付けられたような衝撃が全身を走り抜ける。激痛とともに体が宙に浮き上がったと感じた次の瞬間には、男に頭を掴まれていた。

 頭髪だけでなく頭蓋すらも掴む力は凄まじく、万力のように暴力団員の頭を締め上げる。

 頭蓋骨が砕ける音が聞こえそうなほどの圧力だ。暴力団員は頭皮越しに男の指の感触が伝わり、顔面に食い込んだ爪先は唇までをも切り裂きそうになっている。

 頭を鷲掴みにされたまま、暴力団員は目の前にコンクリートの壁が急速に迫って来るのを見た。まるでジェットコースターにでも乗ったかのように顔面に風圧を感じながら、そのまま顔面を壁に叩きつけられる。

 脳漿と血をまき散らす。

 男は暴力団員の頭を握り潰していた。まるで果実を叩き潰すようにあっさりと頭蓋骨を砕き、脳漿を飛び散らせる。

 あまりに現実離れした光景に、暴力団員達は動けなかった。

「言っただろ。オレはヒーローだ、お前ら悪党をやっつける者だ」

 男は2人になった暴力団員に向かって言った。彼らは叫び声を上げることも、絶叫することもなかった。

 面子を保つには、相手を殺すしかない。

 だからこそ暴力団員達は、動き出していた。

 2人同時に男の体に向かって襲いかかる。

 1人が白鞘から刃渡り30cmのドスを抜く。

 もう1人は、中国版トカレフ・五四式自動拳銃を引き抜く。

「刃物に拳銃だと。正に悪党が使いそうな武器だな!」

 男は自身こそ、武器を使わない正義の人間であることを自覚しながら怒鳴った。

 そして、男はスプリンターのクラウチングスタートのように膝を曲げると、正面の五四式自動拳銃を構えた暴力団員に向かって突っ込んでいく。

 拳銃という武器を知らないのか、それとも効かないと思っているのか。男は迷わずに、五四式自動拳銃を持つ奴に向かって行く。

 五四式自動拳銃を構えた暴力団員は、男との2mを切る距離で引き金トリガーを引く。

 3発を射つ。

 一発目こそ外したが、二発目と三発目は胸と腹部に命中する。

 五四式自動拳銃を使った暴力団員は内心勝利を確信していた。致命傷には届いていないが、それでも肋間を射ち抜いて内臓を痛めつけた。

 暴力団員達の勝ちだった。

 2人はそう思ったが、男は止まらない。

 男は歯を食いしばり、眉間に血管を浮かび上がらせながら走る速度を落とすことなく突っ込むと、細腕の先にある手を握りしめて拳とし、そのまま五四式自動拳銃を持つ暴力団員の胸に叩き込んだ。男の拳は暴力団員の胸に、めり込む。

 男の腕には皮膚を突き破った骨の感触がある。

 だが、それでも男は腕を止めることなく、そのまま右肘まで押し込んだ。まるで胸の中に腕が飲み込まれていくように感じる光景だった。

 殴られた暴力団員は、爆風でも食らったように勢いよく吹き飛び、駐車場を転がって動かなくなる。

 暴力団員は口だけでなく、鼻や目からも血を流しながら痙攣し、絶命した。

「野郎!」

 残った暴力団員はドスの柄尻に掌を当てながら男に襲いかかる。

 男の目の前まで迫ったところで、暴力団員は腹の中が後ろに引っ張られる感覚と猛烈な吐き気を感じた。

 肺から酸素が失われ、背骨が折れると思うほどの衝撃に意識が飛びそうになる。何事かと思い、視線を落とすが、視界はすでに日が落ちるように明度を失っており、暗闇しか映らなかった。

 暴力団員が食らった攻撃。

 それは、男の突進を伴った頭突きである。

 暴力団員は、頭突きの衝撃が体内を突き抜け、背骨や肋骨をへし折られ呼吸さえできず、意識が遠退く。

 男の頭にドスが刺さっていたが、男は気にした様子もない。

 これでこの場にいた暴力団員達は全て無力化された。

 男は駐車場を見渡すと、眉を寄せた。

 なぜなら、自動車の影に糸を伴った赤い風船が浮かんでおり、それが小刻みに揺れていたからだ。

 男は、ゆっくりと歩き風船の持ち主を捜す。

 車の影に、小さなシルエットがあった。

 そこにウサギのヌイグルミを抱いた、小学生中学年くらいの女の子が居た。

 ウエストマークデザインの入ったTシャツワンピース姿の少女。

 高い鼻梁としなやかな眉、アーモンド型の大きな目。瞳は瑠璃るり色で、髪は黒色のロングヘアを胸元まで伸ばしている。

 繊細で上品な顔立ちは、西洋人形と言ってもいいだろう。

 未発達ながら胸から腰にかけては女性らしい緩やかなラインを描いており、白くきめ細かい肌が艶めかしい。

 彼女の姿は、まるで絵画から抜け出てきた美少女のようだった。

 少女はアスファルトに座り込み、手に持つ風船の糸を必死に引っ張っている。

 男はその様子を見て、血に染まった顔を歪めて笑った。

「どうしたんだい。こんなところで?」

 男は優しく訊いたが、その目は黒い欲望で濁りきっている。

「パ、パパと、ママを待って……」

 少女は男に怯えているのか、声を出すことができない。

 ただ、潤んだ瞳で男を見つめるだけだ。

 そんな少女の姿に男は思わず舌なめずりをする。

「そうなんだ。じゃあ、それまでオジサンが一緒に居てあげよう。オジサンはね、ヒーローなんだ。君みたいな子を助けるのが仕事なんだよ」

 男は優しい声で言うと少女に手を差し伸べるが、少女は身じろぐ。

 そこで男は気づく。

 自分の頭にドスが刺さったままだと。

「ああ。これが怖かったんだね」

 男は、平然と頭に刺さっているドスを引き抜く。ドスには血がベットリと付着しており、少女の頬にまで飛沫が飛んでくる。

 だが、それでも男の表情は変わらない。まるで痛みを感じていないかのようだ。

「さあ。これで怖くないよ」

 男は血に染まった手を少女に伸ばした。

 少女の手から風船が離れ、男の目が自然とそれを追った。

 それは隙。

 その瞬間、少女の右手にベレッタナノが握られていた。

 

【ベレッタナノ】

 全長:143mm 銃身長:78mm 重量:562g 装弾数:6+1発 口径:9x19mmパラベラム 銃種:自動拳銃オートマチック

 アメリカのベレッタUSAが2011年に開発した、ストライカー方式(スプリングの力で直接撃針ファイアリングピンを前進させて雷管プライマーを叩く機構)のポケットピストル。

 M8000の反省を活かし9000Sを制作するも重量バランスが悪く反動リコイルが強かった為マズルジャンプが大きく市場では受け入れられなかった。その経験を活かしベレッタナノは問題を改善。強烈な反動リコイルを感じないよう設計されている。

 自己防衛セルフディフェンスやコンシールドキャリー(外から見えない形で銃を所持する)用途を想定し、携行時に衣類等への引っ掛かりを防ぐため、外装式の操作レバーは基本的にすべて廃止されている。安全装置はグロックタイプのトリガーセイフティのみ。スライドストップの解除は直接スライドを引き直して行う。単列弾倉シングルカラムマガジンを採用し徹底的に凹凸を無くしたスナッグフリーのデザインとなっている。

 作動方式はショートリコイル、閉鎖方式はティルトバレル。

 トリガーはダブルアクションオンリーで発射する。弾倉マガジンの装弾数は6発だが、その代わり携帯性を重視したデザインとなっており、小さいのでハンドバッグにも入るサイズになっている。


 男は少女が、どこに拳銃を隠し持っていたのかと思ったが、転がったウサギのヌイグルミの背が割れていることに気づく。

 少女が持つ拳銃は、ヌイグルミの中に隠していたのだ。

 だが、男が驚いたのはそんな事ではない。

 少女がベレッタナノの銃口を、迷いのない冷徹な目で男自身に固定し引き金トリガーに指をかけていたからだ。

 男はベレッタナノを取り上げようと、手を伸ばすが間に合わない。

 少女は男の目を見ながら3発、発砲した。

 狙いは腹部だ。

 頭部を狙うこともできなくはなかったが、接近戦の場合、頭を外した場合、相手は無傷となり反撃は避けられない。かと言って心臓や肺では命中しても致命傷にならない。

 アメリカではハイウエイパトロールの警官が銀行強盗と遭遇。警官は強盗に38スペシャル弾で心臓を射ち抜かれながらも応射。6発全弾を射ち尽くして拳銃をホルスターへ収めた後、絶命した事例がある。

 心臓を射たれても、人間は即死しない。

 それは、頭も例外ではない。

 事実、レーガン大統領暗殺未遂事件の際、報道官ジェームズ・ブレイディは頭部に銃弾を受けるも即死はしていない。

 狙っても即死しないのならば、確実にヒットさせることが重要となる。腹なら外す確率は大幅に減る。人間の身体で最も大きく動きにくいのは腹部だ。腹を狙う事で命中率は飛躍的に上がるだけでなく、格闘技で臓器の巣窟に打撃を行うボディブローが効くように、どんなにタフな大男でも一撃で抵抗不能に陥る。

 FBIでは捜査官に必ず、腹部射撃ストマックシューティングを徹底させている。

 それだけ重要な箇所なのだ。

 少女は3発の9mmパラベラム弾を男に命中させる事に成功するが、それでも男は倒れなかった。

 男は痛みに呻きながらも、冷静だった。

「子供が拳銃を持つなんて悪い子だ。正義のヒーローであるオジサンが、お仕置きしないとな」

 男は口元を血で濡らしながら笑うと、少女を捕まえるために手を伸ばした。

 だが少女は、側にあった自動車の上を転がって男とは反対側に逃れると、すかさず3発目を発射する。

 射線は全て男の上半身に集中し、腕や胸を射つが男は怯んだ様子は無かった。

 血が爆ぜていることからボディアーマーを装備しているのではない。暴力団員が射った銃撃を含めれば、8発の弾丸を受けても平然としている。

 大型の動物はライフルで射たれても致命傷でなかれば平然と、その場から逃げていくこともある。男はそのような大型動物と思えた。

「PCPの中毒者ジャンキーとは聞いていたけど、まさかここまでタフとはね」

 少女は予想以上の不死身さに恐怖を覚える。


【PCP】

 フェンサイクリジン(フェンシクリジン、英語: Phencyclidine、略称: PCP)は、ベンゼンとシクロヘキサンとピペリジンが結合したアリルシクロヘキシルアミン系の化合物。

 静脈注射することによって作用を発揮する解離性麻酔薬であり、俗にエンジェルダストと呼ばれる。

 1952年にアメリカ合衆国の製薬会社パーク・デービス社により創製された全身麻酔薬。1963年に外科手術麻酔薬としてセルニールという名称で認可されたが、麻酔から覚醒する際に妄想や突発的な暴力などの副作用が起こることが判明したために1965年には人への使用が断念された。

 だが、幻覚剤として乱用されるようになった。60年代半ばから欧米の闇市場に流出。

 作用として精神が肉体や現実から遊離し、別世界にいる様な特殊な幻覚を経験。その効果はLSDなど足元にも及ばないと言われる。もともと全身麻酔薬として作られた薬の為、当然痛みを全然感じなくなる。

 しかも、意識は現実にあらずゆえ、錯乱した者は手に負えない不死身の狂人になるという。PCPの中毒者は、警官隊から20発以上の弾丸を喰らっても倒れなかったという噂もある。

 余談だが、映画『ターミネーター』の日本語吹替では、車のフロントガラスを素手でぶち抜くターミネーターを殺人ロボットだと知らない刑事は、その超人的パワーの原因を《麻薬》と言っている。

 だが、英語では《PCP》と言っており、ターミネーターをPCP中毒者と勘違いをしているシーンがある。

 

 少女が使用している弾丸は9mmパラベラムだが、ホローポイント弾だ。

 これは先端に空洞(ホローポイント)がある弾頭。

 元々は大型の動物を狩猟する際に開発され、人体や動物などの水分の多いソフトターゲットに命中した際に、先端の空洞により貫通力が減って急減速することで弾頭が急膨張・爆発する事で、対象に弾丸のエネルギーを効率よく伝える。

 少女はベレッタナノの弾倉取り出しマガジンリリースボタンを押し弾倉マガジンを抜き、Tシャツワンピースの裾を大胆にたくし上げ白い脚を見せる。彼女は腿のベルトに装着した予備弾倉スペアマガジン銃把グリップ装填孔マガジンウエルに叩き込んだ。

 男は車の影から、ゆっくりと姿を現わす。

 7発もの弾丸を生身の身体に受けたにも拘らず、まるで気にした様子は見せなかった。

「オレはヒーローなんだ。悪党に負けるわけにいかないだろ?」

 男は自分の力を見せ付けるかのように、ゆっくりと少女に迫る。

 そのセリフに少女は苦虫を嚙み潰したような表情で吐き捨てる。

「何がヒーローよ。お前は中毒者ジャンキーになったことで、何人の人間を殺していると思っているの。今、この場に転がっている様な奴らだけじゃない、平凡な生活を送っている一般人を惨殺した事もあるでしょ。アンタは正義の味方を演じて越に入っているだけの殺人鬼よ」

 少女は怒りの形相で叫んだ。

 少女はフリーランスの殺し屋だ。

 組織に属していないだけに、自分の懐と気分次第で依頼を受けるのも断るのも自由。

 そして、金さえもらえればどんなに汚い仕事でもやる。

 それが少女矜持きょうじだ。

 この男の殺しの依頼を受けた時、その所業の詳細は依頼人から聞いていた。

 職場での上司や同僚を殴り殺し、路上では子供連れの夫婦を惨殺。その惨状は凄まじく、夫は顔面がミンチのようになり、妻は身重だったが、腹を執拗に殴られことで胎児が飛び出していたという。

 その話を聞いた時、少女の中では血が沸騰するような怒りと、全身を震えさせるほどの嫌悪を抱いた。

 だからこそ中毒者ジャンキーに引導を渡すために、この場所に現れたのだ。

 男は少女の主張を笑い飛ばした。

「オレはヒーローだ。正義の味方なんだ。正義は悪を滅ぼすんだよ」

 そう言うと男は両手を広げ、少女を抱擁ほうようしようとするが、少女は銃口を向けると躊躇なく引き金トリガーを引いた。

 少女が引き金トリガーを引くと同時に男は地面を蹴り走り出す。

 3発目のベレッタナノから発射された9mmパラベラム弾は男の胴体に命中したが、全く効いている様子は無かった。

「クソ!」

 少女は舌打ちをする。

 少女は殺し屋ではあるが、その得意分野は幼女という姿を利用しターゲットに警戒感を持たせること無く接近することで、確実な殺しを行う暗殺だ。

 よって正面から行う戦闘は不慣れであり、接近を許せば追い詰められる。

(まったく。とんだアマちゃんね)

 少女は自分をさげすみつつ逃げることも過ぎったが、仕事へのプライドから戦う選択を選んだ。フリーランスだけにマイナス評価を食らうような真似はできない。

 だが、少女の考えは甘かった。

 PCPによって痛覚が麻痺した男は痛みを意に介さず動き続ける。そして少女は自身の甘さを痛感することになる。

 少女がベレッタナノを向けると同時に男は物凄い勢いで飛びかかり少女に襲いかかると、あっという間に組み伏せたのだ。

 地面に押しつけられ、小さな身体に馬乗りになられる形となる。体重の差からどう足掻いても抵抗できない状態に追い込まれてしまった。

 しかも最悪なのは、その男が噛みつきと凶暴な肉食獣を連想させる凶悪な笑みを浮かべていたことだ。

 少女はその表情を見た瞬間に死を予感した。

(ここまでなの……)

 少女は己の死を覚悟したが、男の様子は予想外のものだった。

 クグモッた重い銃声。

 それと共に、男はハンマーで殴打されたように転がった。

 少女は何が起きたのか理解できなかった。

 男も想定していなかった攻撃だったのだろう。自分が攻撃されたことで呆然としていたが、すぐに正気を取り戻すと、伏せていた顔をゆっくりと上げる。

 その先に、オーバーダイデニムジャケットを羽織った、青年が居た。

 身長は平均より少し高いぐらいで、体格的にも華奢な感じがある。

 だが、よく鍛えられているようで、腕や足などはしっかりと筋肉がついているのが分かる。

 顔立ちは綺麗と言っても良い部類だが、髪型に特徴はなく、無造作に伸ばしていた。

 手には、自動拳銃オートマチックHヘッケラー&Kコッホ HK45を両手で構えていた。


【H&K HK45】

 全長:115mm 重量:785g 装弾数:10+1 口径:45口径 銃種:自動拳銃オートマチック

 2005年にアメリカ軍のSOCOM(合衆国特殊戦統合軍)で行われたベレッタM9の後継拳銃のトライアルに出品するため、H&K USPの後継版であるH&K P30をベースとしてトライアル条件に合致するよう、45口径を装備したモデル。


 45口径は弾丸が重く、弾速が遅いため人体抑止力マンストッピングパワーに優れている。その威力は、ハンマーで殴られたように人体のどこに当たっても相手が吹っ飛ぶ。

「来い!」

 青年の呼びかけに、少女は驚きつつもベレッタナノを手に立ち上がり走り出す。その間も、青年は銃口を男に向けたままだ。

 少女は自身が殺し屋という職業上、突然現れた青年を信用することはできなかったが、状況から見て青年が男から助けてくれたことは理解できた。

 そのこともあり、とりあえず青年に従うことにしたのだ。

 それは合理的な判断だったと言えよう。

 少女は「来い」とは言われたが、青年の近くには行かなかった。距離を置き、青年にも男にも銃口を向けられるように立つ。

「俺の目的は、あの男を殺すことだ。譲ってくれないか?」

 青年の言葉に、少女は首を横に振った。

「できないわね。あいつは、私の獲物でもあるのよ」

 少女の反応に青年は肩を竦めた。

「……なら協力しないか?」

 青年が訊く。

 その瞬間、男が青年に襲いかかった。

 血に染まった顔面を更に興奮させ、犬歯をむき出しにして襲いかかってきた。

 そこを狙って、少女はベレッタナノが火を吹いた。

 男の脚に命中した。

 しかし、男は止まらなかったが、複数の銃撃の一発は男の膝に命中した。

 薬物によって痛覚が死んでいると言っても、流石に膝を打ち抜かれれば痛みは感じないが動作は鈍る。

 それが少女の答えだった。

「決まりだな」

 青年は言った。それから冷静に周囲を見渡し、男の動きを読み取ろうとしていた。

「あいつ、まだ動けるわ」

 少女が叫ぶ。

 男は痛みに耐えながらも前進し、凶暴な笑みを浮かべながら二人に迫ってくる。その動きは明らかに鈍り始めていた。

 だが、そんな中、男はオフロードカーのバンパーを掴むと、それを引きちぎった。

 男はバンパー、大きく振りかぶって青年に向かって投げた。

 スピードが乗ったバンパーが、青年に迫る。

 だが青年は身を低く屈め、バンパーを回避。

 動けないでいた青年に向かって男は接近すると、青年の頭部を狙って蹴りを放つ。蹴りは正確に青年の頭部を狙うが、青年は男の動きを正確に読み取った上で後方に飛び退いてかわすと、そのまま側転しながら男と距離を取る。

 男も即座に反応して追撃に向かう。

 二人の戦いが始まった。

 男は青年の顔面を狙って連続で拳を繰り出すが、青年は風となって躱す。

 一歩間違えば顔面に直撃するパンチを危なげなくかわす青年の動きは鮮やかだった。

 その動きを見れば青年が銃だけでなく格闘にも長けていることが分かる。

 格闘戦に入ったことで、青年はH&K HK45を射つことができない。それは少女も同様で、迂闊な射撃は青年を巻き込む可能性がある。

 だが、男の動きに乱れが生じ始めたことで状況は変化してきた。

 青年の左手による掌底が男の顎を捉えた。

 貫通する様な一撃に男はよろめき、そのまま崩れ落ちそうになる。

 だが、男は歯を食いしばる。

 一瞬の隙を突き、男の腕が青年の首に伸びる。

 男の勝ちだ。

 男の力を以てすれば人間の喉を一気に握り潰すことも、脛骨をへし折ることも簡単だった。

 だが、その瞬間、男の肘が破壊される。

 少女のベレッタナノが射ち抜いたのだ。

 青年は男の懐に潜り込むと、H&K HK45の銃口を男の腹に押し付ける。

 銃声。

 弾倉マガジン内の弾を全て撃ち尽くすまで、青年は引き金トリガーを引き続ける。

 男が膝をつく。

「下がって!」

 少女の指示が飛ぶ。

 青年は地を転がって男との距離を離すと、ベレッタナノを構える。

 銃把グリップを両手保持し照門と照星と合わせて狙いを定める。

 ベレッタナノはダブルアクション、オンリーの拳銃だ。シングルアクションと比較するとトリガーストローク(撃発までのトリガーの引きしろ)が長く、トリガープル(引き金を引ききるのに必要な力)が重くなっており、銃が動揺しやすい欠点がある。

 その為、拳銃を保持する姿勢を正しく保つことが重要であり、それを行うために少女はベレッタナノを両手で構えているのだ。

 手にしているのは近代工場が生み出した量産品ではあるが、少女が射撃を行う精神集中は弓術などにおけるせいの弓引きと同じ。自身の心を殺し、無の境地まで高めれば外すことはない。

 乱れ髪の向こうで少女の瞳の色が、瞳孔の拡大により碧眼から黒色に変化する。交感神経が有利になり、血流が増大し、体内でアドレナリンとノルアドレナリンの分泌により心臓拍動と体温が上がる。

 風が流れ星の輝く天空では、雲が流れ始めた。

 雲が高速で動き空を黒一色へと染める中、少女が引き金トリガーをゆっくりと絞った。

 撃針ファイアリングピン雷管プライマーを叩く。

 その衝撃は雷管プライマー内部の火薬を燃焼させ、薬莢ケース内の火薬パウダーに引火して激しく燃焼。発生した燃焼ガスにより内部圧力(腔圧)が高まり、弾頭が押し出されて銃身バレルの中で加速し発射された。

 弾頭が前進すると同時に、薬莢チャンバーには後退する力が発生し、反動を受けて遊底スライドが後退し、排莢孔エジェクションポートから空薬莢エンプティケースが吹き飛ばされた。

 9mmパラベラムは銃身バレルに施されたライフリングにより回転しつつ、時速約2200kmのスピードで射出されると、男の外耳道の鼓膜を突き破り、頭蓋ずがい後下部の脳幹に到達。

 ホローポイント弾であることで、弾頭はマッシュルーム状になって潰れ、威力を減少させることなく脳幹内部で効果を発揮した。

 空中を舞っていた空薬莢エンプティケースは金色の軌跡を残しながら、甲高い金属をアスファルトで鳴らし、地面に転がった。

 瞬間、男は膝から崩れ落ちた。

 中枢神経系を構成する器官集合体・脳幹を破壊されたことによって電源を落とすように動かなくなった。

 ピクリとも動かなくなった男を見た少女は、思い出したように青年に視線を移すとベレッタナノを向けたまま訊いた。

「どうして私を助けたの。自宅警備員?」

 少女の冷徹な瞳と言葉、青年・加藤真之まさゆきは両手を上げることなく答える。少女は青年のことを知っていた。異国にて少年兵として戦い、帰国後に引きこもりになりつつも、その高い戦闘スキルを活かして様々な依頼をこなす始末人スイーパーがいるということを。

 それが、この自宅警備員だ。

「……昔、女の子を助けられなかった。それが例え《殺人ドール》の異名を持つエリスであっても、同じ年頃の少女を見殺しにできなかっただけだ」

 その答えを聞いた少女・エリスは眉をひそめる。

 陳腐な答えだが、目の前にいる男が本気であることは理解できた。

 殺そうと思えば、あのPCP中毒者に組み伏せされたときにできたはずだ。

 なのに、この男はそれをしなかった。

 ならば、少なくとも現時点では敵ではないのだろう。

 裏社会は、犯罪組織が取り仕切る法の支配が及ばないアンダーグラウンドな社会だ。

 弱肉強食が法であるこの世界で、甘いことを言っていればたちまち食い物にされる。

 その世界では生き残れないのだ。

 その為、真之の答えはエリスにとって滑稽なことであり、不愉快でもあった。

 でも、どこか微笑んでいる自分がいることに気付いた。

 エリスは青年にベレッタナノを向けるのを止め、ウサギのヌイグルミを拾うと拳銃を仕舞った。

「貸しね。いずれ返すわ」

 エリスが言うと、真之は苦笑しながら肩をすくめていた。

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