武蔵日記
ほりかわ しおり
おもいつき
天才
世の中には天才と呼ばれる人々がいる。
手前味噌ながら、先日、私も会社の先輩に「あなたみたいな天才」と言われるなどしたが(実際はそんなことはないのだが)、本当の天才を何人か知っている身として、私自身は軽々に「天才」ということばを使う気にはなれない。まあ、あえておちゃらける文脈で使う場合は、この限りではないのだが。
きょう、どういう風の吹き回しかわからないが、かつての友人の名をGoogleで検索した。すると、数年前に頭脳優秀者のひとりとしてテレビに出演していた。なんでも、彼が進学した旧帝大で、首席卒業したとか。
それが、私の知っている天才の一人目だ。
彼とは中学で同じ部活で活動していた。成績はもちろん圧倒的ナンバーワンだが、物事に対する考え方が、常に私の5年、いや10年先を進んでいた。きわめて人格者であり、ときに暴走する部長の私を戒め、また学年集会では、教員とは異なるアプローチで素行の悪い生徒を諭すなどしていた。
二人目は、高校で知り合った知人。常に文系の成績では首位を誇り、大学でも常に成績優秀者に名を連ね、当たり前のように首席で卒業していった(私も同じ大学の同じ学部に進学していた)。今は弁護士として活動しているらしい。
三人目は、大学での知人。同じゼミに所属し、3回(年)生で知り合った。国家公務員総合職試験で、とある省に3位で合格。今もキャリア官僚として、華々しい経歴を積んでいるらしい。
これらの天才と一定の期間、一緒に過ごしたり活動した身からすると、自分はとてもその域に達することはできないと感じる。彼らに共通するのは「優れた人格」であることと、「努力では追いつけない」と感じさせられることである。
「勉強はできる人」はほかにもいっぱい知っている。ただ、それらの中には、人格に難のある人物も一定いるものだ。だが、彼らは違う。勉強はすごくできたうえで、さらに人格も非の打ち所がないのである。常に適切なバランス感覚を持って人々と接している。
「努力すれば夢は叶う」などと、何かで成功した人物が語っているのはもう飽きるほど見たが、それは生存者バイアスであると思っている。環境や努力の方向、それからタイミングなどを間違えれば、どんな努力をしても報われない。これは運頼みなところがある。
だが、彼らのパフォーマンスは、私にそれらの条件がすべてそろったとしても、到底追いつけないと思わされるものがある。どれだけ時間をかけて物事に取り組んでも、私はおそらく彼らの領域にはたどり着くことができない。なぜかと言われると返答に困るのだが、彼らにはそう思わされるだけのものがある。
残念ながら、人というものは他者と常に比べてしまうものであり、私は特にその傾向が強い。それら天才と自分を比べても何も得るものはなく、また追いつくことができるわけでもないのだが、自分の現在地を見つめなおしてみると、少し惨めな気持ちになってしまう。
僕はどうして生きていこう?
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