第15話スーパーヒーローと30年

お久しぶりです。


突然ですが、皆さんには【スーパーヒーロー】はいますか?


もちろんほとんどの人にとって両親はそうでしょう。

それ以外にもスポーツ選手、芸能人、芸術家…ひょっとしたら政治家なんて人もいるでしょう。


単純に憧れの存在であるヒーローではなく、自分の思想や人生に大きな影響を与えてくれた人こそが【スーパーヒーロー】だと思います。


私にはそのスーパーヒーローと呼べる人が二人います。

一人はサッカーに明け暮れていた時のまさに神の様な存在だった“ディエゴ・アルマンド・マラドーナ”


そして…30年前の今日、誰にも抜かれることなくまさに私達の目の前から居なくなってしまった、

“アイルトン・セナ・ダ・シルバ”


彼の命日です。


同じ時を生きた方々は彼がどういう人だったかは、多くの方がご存知でしょう。


日本人の多くに【音速の貴公子】と認知された三度のF−1ワールドチャンピオンであり、ホンダエンジンを駆って日本刀の様な切れ味の予選での走りと、先行逃げきりでライバルを寄せ付けない決勝での走り。

そして、女性を虜にしたどこか儚げで崩れてしまいそうな佇まいとヘルメット越しに見える鋭い眼…


今なお、多くの人の心に残っているのではないでしょうか?


私が初めて彼を知ったのは日本中がF−1ブームに沸き、まだフジテレビが全戦中継をする前の頃。


タバコブランドであるJPSの黒と金のマシンカラーのロータスに乗っていた頃でした。

とはいえ、F−1というレースカテゴリーの存在は多くの人が知っていても詳しい情報もまだ少なかった時代…幼き頃からの車好きだった私自身も中学生だった事もあり、身近に乗れた二輪の方に興味津々だったので、速いドライバーがいるぐらいの認識で名前を知っている程度でした。


その彼が所属していたロータスのメインスポンサーがJPSから同じくタバコブランドであるキャメルに変わってから彼の走りを実際に見る様になり、そしてホンダエンジンと繋がりを持ち、やがて皆さんが彼をイメージする赤白のマールボロカラーのマクラレーン時代へと進んでいくにつれ、私の中は彼の存在でいっぱいになっていきました。


’86年のメキシコワールドカップで伝説を刻み、昨シーズンに優勝するまでイタリアのナポリのセリエAでの二回の優勝すべてに絡んだマラドーナとほぼ同時期の頃、私にはセナというもう一人のスーパーヒーローが居ました。


セナの事を語れば尽きる事はない人はきっとここにも多いかと思いますし、当時の思い出に結びつく人も多いと思います。


三度全てのチャンピオンを鈴鹿で決めた事。

’84年のデビュー以来、勝ちたくて…でもどうしても勝てなかった母国で初めて勝てた’91年のブラジル


※どんどんギアが壊れ、6速のみで走ったレースです。MT車を運転した事のない人にはこれがどれほど信じられない事をしたか伝わらないと思いますので詳細は省きます。

ライバルチームのフェラーリが後日検証して“我々には不可能”と白旗を上げ、同郷であり、ライバルの一人で天敵のネルソン・ピケが『そんな事できる訳ねーだろ!またアイツはホラ吹きやがって!』と当初信じなかった話が残っています。

アップダウンやヘアピンなどのキツいコーナーのある雨で濡れた山道を5速ないしは6速のみでスムーズに走った経験のある人は教えて下さい。


あまりにも伝説となってしまった’92年のモナコでのマンセルとのデッドヒート。


故ダイアナ皇太子妃も観戦にお見えになられた雨のイギリスドニントンパークでの信じられないラインを通って自分より圧倒的にマシン性能の良いクルマをぶち抜いて優勝した’93年のヨーロッパグランプリ。


テスト走行で走るのを突然止めてピットに戻るなり、『エンジンの音がおかしい、これ以上走ると壊れるから調べてほしい』と言った彼に、ホンダのエンジニアはマシンからコンピュータに送られてくるデータに一切異常が無いことから、アイツ適当な事いいやがってと呆れながらエンジンをバラしたら本当に異常があり、あと数周走っていたら本当に壊れる所だった事。


次のサーキットまでの移動で、あるジャーナリストが取材がてらセナの運転に乗せてもらって高速を移動していると、セナはほぼ前を見る事なく助手席のジャーナリストの顔を見続けながら取材に応じつつ、ハイスピードでずっと他車を追い抜きながら運転していた等々…


裏話も含めたら伝説だらけで、日本では聖人の様な扱いを受けていますが、結構彼はダーティーな事もやっています。


有名なのが最大のライバル、アラン・プロストとの所謂“セナプロ対決”と言われた確執。

スタート直後の鈴鹿の1コーナーで衝突して、二度目のチャンピオンを獲ったあのレース。

後にセナ本人が【ワザとぶつかりにいった】と認めたレース。

彼は自分に仇なす者(当時はプロストであり、F−1を管轄していたFISA)には牙を剥き出しにしていました。

あのクラッシュはFISAに対しての怒りだったと言われていますが、ヨーロッパの排他的な思想の集まりであったF−1において余所者のセナは色々やられていた話もありますし、我が日本のホンダも色々ヤラレていたそうです。


結構気難しくクセの強い人でもありました。


まぁ、そんな人じゃないとF−1でチャンピオンにはなれないそうですけど。

言われてみれば、プロストもミハエル・シューマッハもネルソン・ピケもナイジェル・マンセルもフェルナンド・アロンソもルイス・ハミルトンもセバスチャン・ベッテルもクセ強いです。笑


でも、そんなクセ強セナに私が惹かれたのは仕事への姿勢でした。


自分や自分のチームの共通の目標である優勝とチャンピオン獲得の為には何をすべきなのか、F−1はチームスポーツです。

いくら自分が最強ドライバーであっても、マシン開発が駄目だったら、エンジンが弱かったら、整備するメカニックが能力が無かったら、戦略を臨機応変に即断するストラテジストが無能だったら、勝てません。

セナはよく完璧主義者だったと言われていますが、彼はレースにおいて自分は当然ながら、チームの全員にも最善を要求した事で知られています。


しかし、周りにそれを求めても普通は言う事聞いてくれませんし、反発されます。

彼は自分自身が周りを信じ結果を出し続ける事で、周りに影響を与え、圧力をかけ続けました。

優勝する事で、予選で圧倒的速さでポールポジションを獲る事で。

これは後にミハエル・シューマッハもフェラーリ移籍後に似た様なスタイルでチームを掌握しました。


学生生活を終え就職していた私はこの話に深い感銘を受け、後の自分の仕事に多大な影響を及ぼしました。

先ずは自分が誰にも文句を言われない仕事をし、部下にもそれを求めていくスタイルは間違いなく彼からの影響です。

もちろん長い時間はかかりましたし、憎まれた事もありましたが貫き通しました。


まさに人生において一番影響を受けたといっても過言ではない、今においても私のスーパーヒーローです。


そんな私が色々凹んだり煮詰まったり、己を奮い立たせる時に聴く曲があります。


T-SQUAREさんのFACESという曲です。


オールドF−1ファンの方はご存知の方も多いと思いますが、フジテレビの中継でセナが優勝した時のみにかかる曲です。


自分に力が欲しい時、必ずこの曲を聴きます。

あのヘルメット越しの鋭い眼、頭にこびりついている鈴鹿を走る彼のエンジン音、シフトの音…色んな彼の姿が蘇ってきて背中をガツン!と蹴っ飛ばされる感じがして気合が入るんです。


あの’94年センシティブで難しい車だったといわれるウィリアムズをなだめながら運転しながらも、この年最終的に初のチャンピオンになったミハエル・シューマッハに結局予選で一度も前に行かせなかったアイルトン・セナ。


今から丁度30年前のまさに今の時間帯…テレビの前で友人たちと固まってしまったあの日。

あのコーナーで自身で制御できなくなったマシンであの速度でコースから飛び出してしまったらどうなるか…皆がわかっていました。

誰一人、一言も発する事ができず、画面の向こうマシンの右側がえぐれてしまったウィリアムズルノーFW16のコクピット内に収まったままの私のスーパーヒーロー…その頭が一瞬…ほんの一瞬だけ息をついたかの様にコトリと動いた瞬間…彼が居なくなったのだと自分が悟った瞬間でした。


当時の彼の年齢を遥かに越えてしまった今も彼を追いかけ続けています。


T-SQUAREさんのFACES…

凄くカッコいい曲です。動画サイトにもアップされていますので是非聴いてみてください。


セナ…あなたの走りでまた酒が飲みたいです…

友人達と語らいたいです…


私の心はまだ吹っ切れていません。












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