最終話 帝国の太陽と月の物語

 アルタクス様は見事神聖帝国の帝都ヴィーリンを陥落させたのだそうですけど、略奪をしただけで占領はしなかったし神聖帝国皇帝を捕縛する事もしなかったのだそうです。


「あんな陰鬱な都市はいらん。寒いしな」


 なんて言っていましたけど、帝国にとってヴィーリンを確保し続ける事は害多くして利が少ない事を考えての事だったのでしょう。


 しかしヴィーリンを完全に攻略したことが西方世界に多大な衝撃を与えた事は間違いありません。皇帝自ら守ったにも関わらずヴィーリンを失陥して略奪(しかも教会関係の施設のみ略奪したのだそうです)を許した事で、神聖帝国皇帝の権威は失墜し、聖地を異教徒に(まぁ、帝国式大女神教でもヴィーリンの井戸は聖地なのですけど)荒らされたことで、神聖帝国内の宗教改革派から激烈に非難されているのだそうです。


 そんな状態では神聖帝国としては帝国と対立し続けている余裕はありません。アルタクス様が使者を送って要求した和平交渉に直ぐさま応じ、帝国の要求を丸呑みする形で和平は成立しました。


 神聖帝国皇帝はベルマイヤーをローウィン王国国王に承認し、ローウィン王国は文字通りエルケティア王国になったのです。私の実家は王族となり、私は国王の姉となったわけですね。


 その上でローウィン王国とルクメンテ王国の宗主権が帝国にある事が確認され、神聖帝国は干渉しないという約束も成されました。ハウンドール王国は元々帝国に貢納する形で臣従していますので、これで帝国と神聖帝国の間にある三王国は帝国の傘下に入った事になります。


 三王国には帝国軍が駐屯し神聖帝国に睨みを利かせる事になります。帝国軍とは言っても現地で雇った兵士を駐屯させる事になるでしょうね。お金も各王国に出してもらえば帝国に負担は掛りません。


 三王国を手中に収めた事により、帝国は西方世界との間に広い緩衝地帯を持つ事になりましたから、西方世界が昔のように大連合軍を結成して侵攻して来る事を恐れずに済むようになりました。三王国、特にルクメンテ王国は豊かな穀倉地帯ですので、ここの穀物に依存していた神聖帝国は事実上帝国から穀物を購入しなければならなくなりました。関係が悪化すれば帝国は穀物輸出を禁じますので。神聖帝国は迂闊に帝国に敵対することも出来なくなったのです。


 帝国の平和にとって、今回の西征、ヴィーリン攻略成功は非常に大きな出来事だったのです。もっとも、帝国の敵は神聖帝国だけではありません。ルクメンテ王国の北にはロシェール王国。内海の向こうにはハン国があり、三王国を傘下に収めたことでこれらの国は帝国と接近する事になりましたから、警戒した各国との関係の調整は簡単ではありませんでしたよ。


 しかし、いろんな意味で帝国の脅威だった神聖帝国との関係に決着を付けたのです。この成果は今後三百年、アルタクス様、サルニージャ、そしてその子孫の代に至るまで残るでしょう。偉大な功績です。


  ◇◇◇


 アルタクス様が西征から帰還して一年後、私は第三皇子であるエイマークを産みました。


 これで私の息子は三人という事になりました。レンツェンは予定通り処刑しましたので、その子供のロイマーズは私の息子という事になったからです。今のところ三人ともスクスクと育っています。成人すればハーレムを出て地方の太守を任され、その功績によって次代の皇帝が誰になるか決まるでしょう。


 ただ、アルタクス様はまだまだ元気いっぱいで、次代の事なんて考える必要は無さそうです。西征から帰って来てからもバックーガと共に南部の騒乱を鎮めに行ったり、海上国家との会戦に挑んだりしていましたからね。


 アルタクス様が平気で帝都を後にして遠征に出掛けられるのは、私が帝都を守っているという安心感があるからだそうです。今や私に逆らう者などいませんからね。逆に、私がさすがに臨月の時は政務が出来ずハーレムに閉じこもったわけですけど、その時にはアルタクス様も大臣達もてんてこ舞いになってしまったそうです。おかげで私は出産翌月には出仕しなければなりませんでしたよ。


 西北に大きく広がった領域を治めるため、私はベルマイヤーと頻繁に連絡を取り合うようになりましたよ。西北国境で変事があった場合、まずはエルケティア王国が対処する事になっています。エルケティア王家は皇妃である私の親戚(次代からも帝室の係累という事になります)ですから、西北の三王国の筆頭という立場になっているからです。


 さすがにまだ若いベルマイヤーでは政務がやりきれず、お父様にかなりの部分を補佐してもらっているそうですけど、お父様はまだ若いし有能ですからね。ベルマイヤーが一人前になるまではしっかり国を治めてくれるでしょう。


 そんなですから、私の元にはお父様の筆跡の手紙がよく届きます。切ないですね。私は帝都を離れられませんし、お父様も王都を出る訳にはいきません。追放事件の誤解も解けて、私はお父様に会いたくて仕方がないのですけど、どうにも会う事が出来ないのです。


 実は、アルタクス様に里帰りを打診されたことはあります。馬車で往復三ヶ月も掛る旅になりますけど、行けない事は無いから行ったらどうかと。


 優しい夫の言葉が私には嬉しかったですけど、私は断りました。


 故郷は懐かしいですけど、良い思い出だけがあるわけでもありません。追放事件の事は未だに悔しくて夢に見ます。ケルゼン様には復讐出来ましたけど、王都にはあの時私を嘲笑った者達がまだ沢山いるのです。そんな連中を目にしたら、自分を抑えられる自信がありません。


 宗主国の皇妃が激昂して王国の貴族の処分を命じるような事があったら、ベルマイヤーも対応に苦慮する事になるでしょうし、帝国と王国の関係にも悪い影響を与えかねません。そう考えると、私は帰らない方が良いでしょうね。


 昔は復讐の為に絶対に帰郷するのだと息巻いていた私が、今は復讐をしないために帰郷をしないというのは、なんというか不思議な話ですよね。


 ただ、私は帝都の周囲を結構頻繁に視察するようにはなりましたよ。時には数日泊まり掛けで出掛ける事もありました。帝都の領域はドンドン広がっていて、帝都城壁の外側や海峡の向こう、それと帝都の北側にある大きな湾の向こう側にまで街が形成されていました。これに対する公共設備の充実がなかなか追い付かず、私は現地に行って指導監督をするようになったのです。


 帝宮は無論良いところですが、湾の向こうの新市街の海沿いは気持ちの良いところで、そこから帝都の旧市街の礼拝堂の高い塔や、丘の上の帝宮を海風に吹かれながら眺めるのは素晴らしい気分でした。あんまり気に入ったので、私は新市街の外れにアルタクス様にお願いして離宮を建てて頂いた程です。


 私はハーレムのシャーレ達を連れて離宮に遊びに行く事もしましたよ。これまではハーレムから出る事を固く禁じられていたシャーレ達ですけど、私はこれを少し緩めたのです。もちろん、厳重な監視と規制は必要でしたから、完全に自由な行動が許される訳ではありませんでしたけどね。


 アルタクス様の子供達も離宮に連れて行き、船遊びなどをして楽しみました。皇帝の兄弟は「鳥籠の皇子」としてハーレムに閉じ込められる定めですけど、今後はハーレムではなく離宮に隔離する処置でも良いかも知れないと思っています。アルタクス様もそうでしたけど、ハーレムに閉じ込められると外の情報に疎くなって、帝位をもしも継いだ時に困るからです。外の情報に触れ易い離宮にいた方が良いのではないでしょうか。


 他にも海峡を渡って数日旅をして、乾燥した草原地帯で遊牧生活をする者達を視察した事もありました。ラクダに乗ってね。帝都からそれほど遠くもない所にこんな所があるとはにわかには信じられない思いでしたよ。草原地帯はここから帝国の東や南の国境まで延々と続いているのだそうです。良いですね。いつか馬で駆けて何処までも行ってみたいですね。アルタクス様と一緒に。


 そんな風にして私は皇妃として、それからもずっと、忙しくも楽しい生活を送りました。故郷を追われ、奴隷身分に落ち、色々流転があった果てに素晴らしい夫と出会い、栄誉ある皇妃ともなり、皆に慕われ囲まれて、こんな幸せな生活を送ることが出来るようになるなんて。人生って本当に何が起こるか分かりませんよね。


  ◇◇◇


 アルタクス様との関係はずっと良好でしたよ。彼はそれは皇帝でしたから、他のシャーレとも交わり、遠征もするし私も忙しいから毎日一緒という訳にはいきませんでしたけど。


 でも、一ヶ月に何日かは二人でお休みをとって、ハーレムで子供達と一緒にゆっくり過ごしたり、船で離宮までいって楽しく過ごしたりしました。


 そういう風に幸せに暮らしていると、たまに不安になってきます。


 アルタクス様の心変わりを疑う気持ちが湧いてくるのです。アルタクス様は皇帝というだけでなく素晴らしい男性ですし、選りすぐられた美しいシャーレに囲まれてもいます。


 私だっていつまでも若く美しいわけではありませんし、性格が良くないのはとっくに自覚しています。いつかアルタクス様に愛想を尽かされるのではないかという恐れはずっと抱いていました。


 ですけど、アルタクス様の愛情は何年経っても変わりがありません。夫人や寵姫たちにも「カロリーネに逆らう者は許さない」と仰っているみたいです。


 実際、私はレンツェンを処刑した他、増長著しかったシャーレを何人か嘆きの宮殿への幽閉処分にしましたけど、それに対してアルタクス様が異を唱える事は一切ありませんでした。中にはアルタクス様が結構お気に入りになった寵姫もいましたのに。


 不思議でしたし、不安でした。私はずっとアルタクス様一筋ですし、彼を失ったら生きてはいけません。何か問題を起こして、皇妃でなくなってただのシャーレに戻っても私はなんとも思いませんけど、アルタクス様に冷たくされたら自害するしかないでしょう。


 私はある夜、寝台の上であまりにも不安が募って、アルタクス様の変わらず逞しい胸に顔を埋めてこう言ってしまった事があります。


「アルタクス様、私をいつまでもお側に置いて下さいませね」


 すると彼は苦笑しました。


「ずいぶん弱気な事を言うではないか。もちろんだとも。君が、私の側にいたくないと言い出すまで、私は君の側にいよう」


 変なお言葉でした。


「その仰りようだと、私がアルタクス様のお側にいたく無いと言ったらどうするのですか」


「私は引き留めぬ。君のしたいようにすると良い」


 私は不安になってしまいました。


「ひ、引き留めては下さらないのですか?」


 それは私が居なくなってもアルタクス様は困らないという事では……。


 しかしアルタクス様は私をギュッと抱きしめると言いました。


「私の望みは、君に自由を与える事だった。私は、ハーレムにいた時から、君が自由になったらどれほどの事をしでかしてくれるのか、見てみたかった。だから君を皇妃にして自由を与えた」


 アルタクス様は胸を震わせて笑いました。


「その結果、やはり君は凄いことをやらかしてくれた。女奴隷だった君はすっかり帝国の大いなる月となった。私の見込んだ通りだった」


 別に凄い事をやらかしてなどいないと思うのですが。偉大帝とまで言われるアルタクス様の方が凄いのに。


「その君が、もしも私の元を離れたいというのなら、きっとその先でもっと凄いことをしてくれるだろう。私はそれを見てみたい。だから止めぬ。しかし……」


 アルタクス様は私の背中を愛撫して私の額にキスをしました。


「私を愛する君はきっと私の元に帰ってきてくれると、私は信じているよ」


 ……私だって信じていますよ。貴方がどんなに他のシャーレを寵愛しようと、どんなに遠くまで遠征しようと、貴方が私の元に帰ってくる事を疑った事などありません。


 私はアルタクス様の背中に手を回し、胸に顔を押し付けて少し泣いてしまいました。彼の愛情が嬉しくて、疑った自分が申し訳なくて。


 私は言いました。


「いいえ、私はアルタクス様の元を離れません。貴方の側こそ私が一番輝ける場所だと知っていますからね。今までも。いつもこれからも」


「それも良かろう。我が、月よ」


 私とアルタクス様は顔を見合わせて笑顔を向けあったのでした。


 窓の外には細い三日月が、西の夜空に鮮やかに輝いていました。



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PASH UP! にて「貧乏騎士に嫁入りしたはずが!」のコミカライズが毎月第一第三金曜日に更新されます! https://pash-up.jp/content/00002548 すっごく面白いので皆さん読んで下さいね! よろしくお願いします!

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