閑話 宮廷の皇妃様  ユイッチャーマ視点

 私、ユイッチャーマは皇妃様の書記を務めております。


 皇妃様は宮廷において、皇帝陛下の代理として政務に携わっておられます。「書記」は皇妃様のそうした政務の補佐をする役職です。ちゃんとした官職でして、給料も手当も支給されますよ。


 私はハーレムのシャーレでした。そもそもは北の方にある国の農村で生まれまして、子供の頃に野盗に攫われまして、紆余曲折を経てハーレムに入って今に至ります。


 ハーレムでは先帝陛下の御代から女官として働いていましたが、先帝陛下にも今上陛下にもご寵愛を頂く事が叶いませんで、先年年季明けを迎えました。年季が明ければシャーレはハーレムを出る事が出来ます。普通、年季が明けたシャーレは商人などの伝手を辿って婚活をします。結婚してハーレムを出て行く訳ですね。


 私も婚活を始めていたのですが、その頃に皇妃様がハーレムを出て政務をする際のお世話係を探していらっしゃったのです。


 これに何人かのシャーレが応じましたが、私は最初は応じませんでした。自分はもうハーレムを出るのですし、婚活の方が大事だったからです。今更皇妃様に忠節を尽くしても意味がないとも思っていました。


 ところが、一ヶ月後くらいにハーレムの全シャーレに衝撃を与える出来事が起こります。


 皇妃様のお世話係としてシャーレ身分を抜け、ただの女奴隷として宮廷に出仕していた者が、なんと大臣の一人に見初められて夫人として大臣の家に迎え入れられたというのです。


 当然、結婚に伴って奴隷身分からは解放され、皇妃様はその者を祝福して褒美を与え、快くハーレムから送り出しました。


 私もびっくりしましたよ。そして、これはチャンスかも知れないと思いました。


 ハーレムで商人の伝手を辿って婚活をするよりも良縁に恵まれるチャンスは多いように思えたからです。商人の伝手では相手は平民の商人ですが、大臣なら貴族です。しかも家格も高い大貴族である事が多いです。そこの夫人、第一夫人は無理でも、第三夫人か第四夫人かに潜り込めれば、商人の夫人よりずっと恵まれた生活が遅れるのではないでしょうか。


 そう考えた私は皇妃様に志願してシャーレ身分から外れ「書記」になりました。シャーレのままだとハーレムを出る事が出来ないからです。その代わり、皇帝陛下のご寵愛を受ける事も出来なくなりますが、年季が明けている私にはそもそも関係のない話です。


 皇妃様は私が書記になったことを喜んで下さいました。というのは大貴族に教育されてからハーレムに献上された女官の方が(そうでない女官もいますが)、下働きのシャーレよりも教育程度が高いからです。


 書記のお仕事には字を読んだり書いたり、計算したりするお仕事があります。辿々しくしか字が読めない下働き出身の者には任せられなかった仕事も、女官出身の私になら任せることが出来ます。私は皇妃様に重宝されるようになりました。


  ◇◇◇


 皇妃様のお仕事を手伝い始めて驚いたのは、皇妃様が恐ろしく博識で記憶力も抜群で、しかも判断も決断も早い事です。


 なにしろ皇妃様のお仕事は物凄く多いのです。皇妃様は朝、謁見室にお入りになると、そこで大臣から様々な案件について奏上を受けます。大臣は二十人くらいいて、一人頭二、三件の案件を奏上してきます。ですから最大五十件前後の政治的な案件が皇妃様には毎日持ち込まれるわけです。


 これを皇妃様は次々裁いていきます。書類を読んだだけで即決して許可却下の判断を下す場合もあれば、保留して大臣に相談室で説明させた後、改めて決済する場合もあります。


 そして保留した上で皇妃様の執務室に持ち帰り検討する場合もあります。この場合、皇妃様は私を含む書記に命じて内廷の資料室やハーレムの図書室から資料を集めさせ、検討材料を探させるのです。


 これはなかなか大変でしたよ。なにしろ資料が帝国語ではなく、古典語や訳の分からない文字で記されている事も多かったからです。私に読めない文字も皇妃様は平気で読みこなします。それに異常に記憶力が良いので「ハーレムの図書室にこういう資料があった筈だから取って来なさい」と命ずる事もあって、読めない文字と格闘しながら資料を探さなければならない事も多かったのです。


 ですから、書記達は暇を見つけては古典語や西方の言葉の勉強をしなければなりませんでした。婚活などしている場合ではなく、私はちょっと当てが外れた思いでおりましたね。


 しかし、皇妃様のお仕事の手伝いは、これまでやっていた女官としての仕事よりも知的好奇心を刺激されますから面白く、毎日毎日忙しく働いていましたら段々とお仕事が楽しくなって参りました。ですから私は特に不満を持つ事なく、書記のお仕事に邁進いたしましたよ。


 皇妃様もそんな私を信頼してくださり、私を側近として宮廷を連れ歩いて下さいました。何年もハーレムの中に閉じ込められていた私でしたから、特に活気ある外廷に出られた時にはその活気に感激しましたね。


 それに外廷に出ますとね、物凄くチヤホヤされるのです。外廷には官僚ですとか軍官僚、軍人が沢山います。男性ばかりなのです。元々は女人禁制だったそうで、皇妃様や私たちが例外として認められている、大変珍しい存在なのです。


 ですから私たちは大注目を集めていましたよ。最初はあんまり注目されるので怖かったくらいです。しかし、段々慣れてきますと、注目されるのが気持ち良くなってきました。何かの機会に会話をしますと、若い官僚などは真っ赤になって照れてしまいます。どこでも丁重に扱われますし、今までこのような扱いを受けた事が無かった私は実にいい気分でしたね。


 ただ、皇妃様は自分の部下が男性達に乱暴されないよう大変気を使って下さっていました。私たちは常に宦官の兵士に守られ、男性とは二人きりにならないようにと言われていました。それでも中には身体を触られたりする者もいたようですね。私はなぜかそのような事はありませんでしたけど。


 宮廷に出仕なさる時の皇妃様のスケジュールは、朝起きて湯浴みをして皇帝陛下と朝食を摂って、お二人で並んで黄金の廊下を通過して宮廷に向かいます。この時、宮廷側でも官僚や宦官達がお出迎えをしますので、私たちは同行しません。少し遅れて黄金の廊下を通ってこっそりと内廷に入ります。


 内廷に入ったところにお出迎えの間がありますが、私たちにはお出迎えなどありません。そのまま広間を横切って、これまた窓の無い専用通路を通って皇妃様の執務室に向かいます。暗いので蹴躓かないように気を付けねばなりません。皇妃様の執務室はそれほど遠くはありませんけどね。この通路と皇妃様の執務室はハーレム内として扱われるのでシャーレでも通ることが出来ます。


 皇妃様の執務室はお風呂やベッドまで用意された立派なお部屋です。ですけど、そこには書類や資料が山をなしていまして、かなり雑然としています。お部屋の整理担当の者が片付けてお掃除をして、私たち書記は昨日の残りのお仕事をします。


 皇妃様の最側近はハーシェスという黒髪の元女官で、皇妃様が女官だった頃からのお付き合いだそうです。無口ですがテキパキなんでもこなす方で、この皇妃様執務室の室長みたいな立場でした。


 ハーシェスは私たちに指示を出すとすぐに皇妃様の補佐に向かいます。ハーシェスはほとんど皇妃様の側を離れません。皇妃様もハーシェスを強く信頼していまして、傍目からは二人は姉妹のように見える事もありましたよ。


 午前中は謁見室で皇妃様は大臣達から案件の奏上を受けます。この謁見室は大変豪華なのですが、中では一言も喋ってはいけないことになっていまして。皇妃様は大臣とお話になる際に手話という手の形で意味を伝える術を用います。


 目まぐるしく手を動かして会話をする皇妃様と大臣を最初に見た時には面食らいましたが、私たちもこれは覚えさせられましたよ。謁見室ほどではなくても、内廷では沈黙が尊ばれるからです。


 そんな内廷の中で、例外的に会話が許されるのが相談室と呼ばれる窓の無いお部屋で、この中では会話が許されます。皇妃様はここで大臣や高級官僚と案件について議論を交わします。


 ところがこの相談室、窓がないため熱も匂いも籠るので大変不評でした。ついつい議論が白熱すると、大臣も皇妃様も汗だくになり、年嵩の大臣などは水気が切れてのぼせてしまう事もありました。


 なので夏場はわざわざ外廷まで皇妃様が出向いて、そこでお話する事の方が多くなりましたね。資料を用意する私たちは遠くまで運ばなければならず、大変でしたけどね。


 お昼は、皇妃様は一度執務室まで下がってお食事をして、暑い時期には水浴びをして(相談室を使った場合は毎回でしたね)、軽くお昼寝をします。私たちも別室で食事をして休憩します。この時、熱心に婚活に励んでいる者は、宮廷内を出歩いて男性に目を付けられるようにしていたようです。私はしませんでしたけど。


 皇帝陛下が宮廷内にいる場合は、皇妃様と一緒にお食事をして、その後お散歩をさなる事もありましたね。お二人は非常に仲睦まじく、お供をしていると私もあてられてしまって、早く結婚したいなぁなんて思ってしまいましたね。


 午後は外廷に移動します。まず、大謁見室で各地から来た、それほど身分の高くない陳情者達を謁見します。この時は皇妃様はただ座って、陳情者が何か言ったら「大義でした」とお言葉を返すだけです。私たちもお側に控えているだけで、皇妃様の汗を拭いたりお水を差し出したりする以外にやることはありません。


 しかし時間は長いし砕けた姿勢も出来ませんので大変は大変です。皇妃様は休憩を挟みながら二時間も三時間もじっと座っています。ハーシェスも直立不動で控えています。ですけど私たちは隙を見て交代して控え室に逃げたりしていました。


 謁見が終わると今度は来訪者と接見をします。これは皇妃様が貴族の方々と面談をするのです。お酒や軽食を用意する場合もあるので、接待と言う方が正しいかもしれません。接見は豪奢なお部屋で行われる事もあれば、暑ければ屋外の風通しの良い東屋や木陰にテーブルを出すなり絨毯なりを敷いて行う事もありました。


 この時は、書記はお話の内容をメモしなければなりません。板に蝋を塗ったタブレットというものに、貴族が話した内容をメモするのです。貴族は様々な内容の要望を皇妃様に伝えるために帝宮に来ています。出された要望を後で検討するために、漏れのないようにメモしなければなりません。


 皇妃様は楽しげにお話をしながら貴族達から要望を引き出し、場合によっては即決で案件の実行をお約束し、ほとんどの場合は持ち帰って検討しました。接見に来る貴族には地方の領主様が多くて。持ち込まれる内容はよく分からない事が多かったからです。


 ですから持ち帰った案件を検討するには、その地方の資料が必要で、それを集めるために私たちは宮廷中を走り回る事になるのです。


 帝都から遠く離れた東の草原の外れでの、領地争いの仲裁を皇妃様が頼まれた時なんかは大変でしたよ。その地方の資料なんて全然なくて、百五十年前の領地配分の決定書類を資料庫の奥から発掘した時には、一緒に探してくれた官僚共々歓声を上げたものでした。


 この接見は一応定員が決まっているのですが。大貴族が申し込んできた時などは仕方なく優先したり、話し込んでしまって時間が押したりしますから、終わるのはいつも夜になってからでした。


 ですけどこれで終わりではありません。皇妃様は執務室にお帰りになると、食事もせずに昼間に受け取った案件の検討に掛かります。私にも意見を聞きつつ、時に深夜までお仕事をするのです。


 ちなみに、皇帝陛下は皇妃様とハーレムにお帰りになりたくて、陛下の控え室でお待ちになっているのですが、皇妃様が忙しい時には先に一人でお帰り頂く事も多いですね。ハーレムには夫人も寵姫もいるのでお世話には問題ありません。それでも陛下は皇妃様と一緒が良いとギリギリまで粘るのですから、お二人は本当に仲良しです。


 こんな仲良しのお二人ですから、皇妃様に対する皇帝陛下の信頼は絶大で、皇妃様が判断なされた政治案件は、大臣が皇帝陛下に直接抗議しても絶対に覆りません。陛下の意見と違っていても「皇妃が正しい」と自分のご意見を取り下げる程です。


 皇妃様に無礼な態度を働いた大臣が解任された事もありますし、大貴族が皇妃様を侮辱した際には問答無用で首が飛びました。皇妃様も皇帝陛下もなかなか気性の激しいところがございますからね。いつしか大臣や貴族達もお二人を畏れて心服するようになっていきました。もちろん、お二人が有能かつ真摯に政治のお仕事に取り組んでいる、その事が評価されているからでもあるでしょう。


 皇帝陛下は西方へ遠征を計画なされているそうで、そのため宮廷のお仕事はほとんど完全に皇妃様に丸投げされていました。それを普通にこなしてしまう皇妃様の有能さは恐ろしいものがありますが、もちろん簡単ではなく、補佐をする私たちの仕事は増える一方で、執務室にはシャーレも含めて女性達が何人も詰めるようになり、いつしか「内廷は女の方が多い」と揶揄されるくらいになってしまいましたね。


 女性の出入りが多くなれば、当然ですが男女の出会いも多くなります。何人かの者が男性との縁を見付けて結婚しましたよ。そして奴隷から解放されてハーレムから出て行きました。


 この時、ハーレムを出るけど皇妃様のお側には仕え続けたいと願った者もいまして、皇妃様は喜んでそういう者を「女性官僚」に任命して宮廷で召し抱えました。これまで政治には男性しか携われなかったのですからこれは驚くべき事なのです。


 ただ、そういう女性官僚は身分的な問題で内廷には立ち入れませんので、外廷に皇妃様外廷執務室を置いてそこに所属させました。彼女達は宮廷に通って来て、そこで皇妃様のために働く事になります。


 女性官僚への道が開けた事で、婚活市場は活性化しました。自分の妻を皇妃様外廷執務室の女性官僚に出来れば、当たり前ですが皇妃様に近付く事が出来ます。皇妃様が可愛がっている者を妻にするのですから、皇妃様の覚えもめでたくなるでしょう。そう考えた大臣や高級官僚が何人も皇妃様のところから妻を迎え入れ、皇妃様は彼女達を女性官僚をしました。


 ……なぜか私には縁がなかったのですが。


 おかしいです。私だってシャーレに選出されるくらいですから見目麗しい女性だと思うのです。皇妃様からも強く信頼されていますし、教養もあるし、なんなら歌も踊りも得意ですよ? 妻としては優良物件であると自負しておりますのに。


 私がある時そう愚痴りますと、皇妃様はちょっと困ったような顔をなさいました。


「そうねぇ、貴女は、その、背丈がね」


 私は驚きました。背? 背の高さが問題なのですか?


「ある程度の背の高さはむしろ好まれるのだけど、貴女はちょっと高過ぎるから、敬遠する男性が多いのだと思うの……」


 私は愕然としました。いえ、その、私の背が高いのは事実です。シャーレになった十五歳の時はそうでもなかったのですが、それからグングンと伸びまして、二十三歳の今では確かにハーレムの中で群を抜いて背が高いと思います。


 皇妃様も背が高いのですが、それよりも頭一つ分は高いのです。そういえば、宮廷で私よりも背の高い男性は見た事がありません。長身の皇帝陛下でも同じくらいなのです。


 し、知りませんでした! 男性が背の高い女を嫌うものだなんて! 皇妃様曰く人による、との事でしたけども、これまで私が男性からのアプローチを受けなかったのはそういう事なのでしょう。


「ま、まぁ、その内大臣の誰かに良縁を世話してもらうから、それまで頑張って」


 皇妃様は仰って下さいましたが、私はなんだかやる気を失いました。……こうなったらもう良いです。男なんて知りません。私は皇妃様のお仕事を手伝ってこのままハーレムと宮殿で一生を終えるのです!


 ……と思っていたのですが……。


 ある日の接見で、皇妃様のお側についていた時の事です。接見室の扉が開くといきなり大きな声が響きました。


「おお! 皇妃様! おひさしゅう! お会いしたかったですぞ!」


 私は思わず飛び上がりましたよ。なんというでかい声ですか。


 入って来たのはとんでもない大男でした。熊かと思いましたよ。故郷で仕留められたのを見た事があります。なんと背丈は私よりも大きく、そして腕や肩の逞しいこと! 顔には豊かな髭があり、意外と愛嬌のある顔は満面の笑顔です。


「久しぶりですねバックーガ。元気そうで何よりです」


 この方はバックーガ様というそうです。地方の領主様で、非常にお強い武将なのだとか。今回は皇帝陛下と遠征の打ち合わせをしに帝都に来たそうですね。


 バックーガ様はなんでも、前回皇妃様とお会いした際に無礼を働いて、皇妃様に投げ飛ばされたそうです。こんな熊みたいな男を? 皇妃様も大概只者ではありません。それ以来バックーガ様は皇妃様に絶対の忠誠を誓い、同時に崇拝しているそうです。


 バックーガ様は皇妃様と大きな声で楽しそうにお話をしていたのですが、ふと、皇妃様の横に立っている私に気がつきました。


「おお? なんと! 男かと思ったら女か! これは、随分と背が高い」


 私の気分にビシリとヒビが入りました。うぬぬぬぬ。気にしている事を! この男にはデリカシーというものはないのですか!


 ところが、バックーガ様はそれからマジマジと私を見詰めました。な、なんでしょう? そしてなんだかウンウンと頷いています。


「立派な体格なのに何とも美人だし、賢そうだ。ふむ。立ち方も良いな」


 褒められ……、たのでしょうか? するとバックーガ様は視線を皇妃様に戻してこう言いました。


「気に入った。この者、私に下さらぬか。妻にしたい」


 はー⁉︎ 私も皇妃様も仰天しましたよ。


「ご冗談を」


「いや、冗談ではない。私には妻はまだ二人しかおらぬからな。三人目の妻に迎えたいのだ」


 帝国式大女神教では。妻は四人まで娶っても良い事になっています。


 バックーガ様の表情は真面目で、いい加減な事を言っている風ではありませんでした。後から知りましたが、彼は大きい女性が好みで、二人の妻も大女でした。太さもありましたけど。彼を満足させるような大女はそんなにいないそうで、私を見て即座に気に入ったそうです。


 皇妃様は弱った顔をしてしまいました。


「この者は私の側近です。貴方に遠方に連れて行かれては困ります」


「なに、それなら帝都の屋敷に残して帝都の妻という事にすれば良い」


 バックーガ様はそう提案しました。彼には帝都屋敷があって、そこを守る者が欲しかったので丁度良い、そこから宮廷に通えば良いと仰います。


「……どうする? ユイッチャーマ?」


 皇妃様は諦めたように私に判断を委ねました。


「必ず大事にすると誓おう。是非、私の妻になってくれ」


 バックーガ様は熱心に私を誘いました。まぁ、この時彼には、皇妃様の側近たる私を娶れば、皇帝陛下ご夫妻により近づけるという下心もあったようですね。この時は西征が間近に迫っていましたから、軍の将軍として良い役目を振られるための布石だったのだと思います。


 私は考えましたが、この熊のような大男は私を気に入ってくれたのですし、私も本音を言えば結婚したいです。それにバックーガ様は大貴族で、その夫人になれるのなら願ったり叶ったりですし、帝都に住んで宮廷に通えるのなら、皇妃様の助けに今後もなれます。


「……私としては、バックーガ様のご希望に添いたいと思います」


 私が言うとバックーガ様は手を叩いて喜び、皇妃様は顔に手を当てて天井を見上げてしまいましたね。


 こうして、私はバックーガ様の第三夫人になる事が決まったのでした。西征が迫っている事から、結婚の手続きだけはして、帝都屋敷に入るのはバックーガ様が西征からご帰還なされた後、という事になりました。


 ついに決まった結婚。しかも大貴族への嫁入りに、私が浮かれていなかったと言ったら嘘になります。もちろん、お仕事の手を抜くような事はありませんでしたよ。


 しかし、そんな私を見ながら、皇妃様は大きなため息を吐きつつこう仰いました。


「貴女ね。身体を鍛えて、それと体術をある程度身に付けておいた方が良いわよ? あの男は牛をも絞め殺すらしいからね?」


 ……牛? 牛は故郷で見たことがありますけど、怒ると大人をも跳ね飛ばす、あの大きな牛を絞め殺すですって?


 ……ちょっと怖くなってまいりました。なにしろ、そんな方と私は閨に入らなければならないのです。人間との行為の仕方は教育で学びましたけど、牛をも絞め殺すあの方とシたら、私は一体どうなってしまうのでしょう?


 ……私はそれから嫁入りまで、時間を見付けては皇妃様から大きい相手を受け流し投げ飛ばす体術を熱心に学ぶことになるのでした。

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