八俣智彦はわからない(オフサイドが)

夏休みが終わって、最初の日曜日。

九月の皮を被った八月が未だ猛威を振るうも、この日は風が強く、その暑さを和らげている。


「こんな所があったんだ」


羅観香からのお土産である青いかりゆしを風に揺らし、智彦は目の前に広がるグラウンドを見下ろした。

いつもより色の薄い青空。

流れる雲と同じ方角へと靡く、グラウンドの草々。

その向こうでは、ゆるやかに流れる河川がキラキラと光りを反射していた。


「元々はソーラーパネルが犇めいてたんだよ。それが無くなった後に整備されたのさ」


同じようにグラウンドを見下ろしていた縣が、智彦へと振り返り犬歯を覗かせた。

後ろで束ねた……春先から伸ばしている紫色の髪が、風に弄ばれる。


「ふーん?」


そう言えばそんなのがあったなぁと、智彦は目を細めた。

雑草が乱雑に刈られた跡で、草野球や、鬼ごっこをして……何時しか金網で入れなくなってたな、と

他にも幼い頃に自転車で……誰かと来た覚えがあったが、誰だったか思い出せない。


「中学頃から外で遊ばなくなったからなぁ。ココもご無沙汰だったけど、そんなことになってたのか」


「上村もだけど、お前もスポーツあまり興味ないもんな。勿体な……いや、やっぱソレで正解か」


こんな人間がスポーツ界に現れた、どうなるか。

阿鼻叫喚。

そんな生易しい言葉じゃ収まらないだろうと、縣はつい口角を上げてしまう。


剣道……相手は死ぬ。

柔道……相手は死ぬ。

野球……投手でも打者でも、下手すれば人が死ぬ。

バレーボール……こっちも人が死ぬし、床もボールも壊れる。

バスケット……ボールを持てばそのままゴールに飛んでいけるし、人も死ぬ。

陸上……世界記録が死ぬ。

水泳……こっちも多分世界記録が死ぬ。

その他に智彦がスポーツする姿を思い浮かべるも、実に相手が悲惨な結果となるイメージしか浮かばない。

縣はそれがおかしくて、声を上げて笑ってしまった。


智彦はその笑いの意味を理解し、眉尻を下げる。


「力は多分制御できる、んだけど……それって手を抜いてる感じで」


「だから相手に失礼かもって思うんだろ? 八俣らしくていいと思うぜ」


傲慢、では無い。

かと言って、目立ちたくないな肥大した承認欲求も持っていない。

ただただ単純に、その道で頑張っている人に遠慮しているだけなんだろうな、と。

縣は笑いを何とか押し込め、グラウンドへと歩を進めた。


聴こえてくる、歓声。

あまり整備されてはいないグラウンドではあるが、住民の利用は活発のようだ。

現に、今はサッカーにより熱気が篭っている。


「どっちのベンチ?」

「んっと……赤だな」


縣に追従しながら、智彦はグラウンドへと目を向けた。

赤と青のゼッケンのユニフォームが入り乱れる、戦場。

ボールが大きく飛ぶのを視線で追っている時に、自身を呼ぶ声が聞こえた。



「おぅ、縣君と八俣君、応援に来てくれたのか?」


声の主は、黒い髪を短く切り揃えた青年だ。

身長は180程で、陽に焼けた筋肉質な体躯。

声は厳ついが人懐こそうな笑みを、智彦達に向けている。


「あぁ、約束通り来てやったぜ」

「おつかれ野口のぐち君、今は休憩中?」


野口と呼ばれた青年が、あぁ、と息を吐く。

智彦が通う学校とは、別の学校の生徒。

縣曰く、高校サッカーではそこそこ有名な選手……らしいが。

そんな知名度など知らず、それでもあの日見た高潔さ……初めて出会った時を、智彦は思い出す。


夏休み前の、とあるシャッター街。

智彦と上村は、縣に連れられて個人経営の模型屋へと向かっていた。

そこで、悪漢達にワゴンに連れ込まれそうになっている女生徒を見つけたのだ。

縣が飛び出すその直前、暴漢のリーダーらしき男に頭に、サッカーボールが突き刺さった。

人数差を考えるよりも、まずは女生徒を助けようとした青年……それが、目の前の野口だったのだ。

そして、その時より、友人としての縁を持つに至る。


「……お礼参り、こなかったか?」


「いや、俺より自分自身を心配しろよ。でもまぁ心配してくれてサンキュ」


智彦同様に当時を思い出したのか、野口は白い歯を見せて縣からの問いに応える。

暴漢たちは、卑劣を嫌う縣が。

ワゴンは智彦の蹴り返したサッカーボールで文字通り鉄屑になった。

縣としては、その恨みが野口に行くのではと危惧していた故に、心の底から安堵する。


「お前は有名なんだからな、まぁこっちも対策はしたが」


「対策……? まぁ、軽率だったのは認めるよ。でも放っておけなかったんだよ」


(……そういや念入りに、自分の顔を見せながら手足を砕いてたな)


縣の言う対策・・を思い出しながらも、智彦は野口へとある種の敬意を払う。

もし自身が……富田村に囚われる前の自身であったならば。

ああいう場面で助けに入ることが、できただろうか。


答えは、絶対無理。

例えそれが当時の彼女であっても、絶対逃げただろうなと。

智彦は目の前の二人の談笑に耳を傾けながら、今は声すら朧げになった……この街から出て行った幼馴染を、ふと思い出した。


「てか野口、お前、汗の量ヤバくないか?」


ビーチパラソルで日陰が作られてるとはいえ、温度は高い。

縣の心配するように、野口の体はまるでサウナの中にいるように汗を噴き出していた。

足下には、ソックスとスパイクを通過した汗が、水……いや、汗溜まりを作っている。

明らかに水分不足になると、智彦でも一目で理解できる量だ。


「八俣、スポーツドリンク出してくれ」

「途中で買ってきて良かったね。今取り出」

「あぁいや大丈夫! これいつも通りなんだよ、平気だから!」


バッグを覗く二人を、野口は慌てて止める。

確かに、智彦が見る限り、野口の発汗を気にしているチームメンバーはいないようだ。

だったらせめてコレを舐めろと縣が投げやった塩タブレットに対し、野口は曖昧に笑った。


「これ、デトックス効果でね、体が軽くなるんだ。多分、あの子の作」


と、その時。

軽快な足音と共に、柔らかな女性の声が響いた。


秀一郎しゅういちろう君! お待たせ!」


心地よい風を背後に、智彦は声の主へと視線を移す。

ヨモギ色のジャージを着た、肩まで伸びた黒髪の女性だ。

身体を上下させるたびに、右耳に下がったアクアマリンのイヤリングが揺れる。

女性は智彦達に気付くと足を止め、浅く頭を下げた。


「八俣君、縣君、こんにちは」


智彦達は女性に……あの日、野口により悪漢から助けられた女生徒に。

あの後、野口と接する内に、いつの間にかその輪に加わった非公認のマネージャーへ、挨拶を返した。


「よぉ堂前どうまえ、今日もお世話頑張ってるようだな」


「こんにちは堂前さん。って事は、その手に持ってるのが汗の原因かな?」


堂前と呼ばれた女性は智彦が指摘した……右手に持った水筒を一瞥し、作り笑顔で返す。


「はい! 特製スポーツドリンクです!」


お二人には上げませんよとやんわり拒絶しながら、堂前は特徴的な垂れ目を野口へと移し、水筒を渡した。

ただ、挨拶をしただけ。

その意識にはもはや二人は存在せず、ただただ野口だけが存在している。


普通であれば失礼な対応だろう。

だが野口プラス堂前と数回接する内に、堂前という女性はこういう人間なのだと納得し、二人は逆にそれを楽しんでいた。


可愛く言えば、飼い主に尻尾をぶんぶんと振る犬。

悪く言えば、病的に野口にしか興味を抱けない人間。


(でもまぁ、危ない所を助けられたんだし、仕方ないのかもなぁ)


平和と信じていた日常が突如壊れようとした瞬間、そこから引き揚げてくれた存在。

それは当人からしたら、忠誠とか、心とか、恩以上の何かを捧げたくなるのだろうと、智彦は考えてしまう。


(もし富田村から助けてくれた人がいたら、男女関係なしに依存しただろうしなぁ、俺)


あの暗い世界で照らされる光は、さぞ強烈に網膜を焼いただろう。

まぁ今は過ぎた事だと息を吐くと、智彦は縣から肩を叩かれた。

縣が指差す方に目を向けると……。


「そんな発汗量で大丈夫なのか?」


「大丈夫、問題ないよ」


堂前の持ってきた水筒を片手に、再び汗を流す野口。

だがその量が、まるでシャワーを浴びた様相へと変わっていた。

さすがに心配した縣が声をかけるが、野口は心底さわやかに、汗を拭う。


「なんかいつものよりスーッとするなぁ」

「あ、わかってくれた? 薄荷をちょっと加えたんだ」

「へぇ、飲みやすくなったよ。……あー、コレ、なんだけどな」


縣から放たれる、疑いの目。

視線に気付いた野口はタオルに汗を染み込ませながら、縣と智彦に説明を行った。

なんでも堂前特製ドリンクは、体に溜まった疲労の原因を汗で外に排出し、代わりに特別な成分で体を整える……らしい。


「しかも汗が臭わないんだよ。一緒に角栓も流してくれるし」

「いや野口、これってドーピングにな」

「ならなかったよ。俺もそう思って最初に検査したんだ」

「あれはちょっと酷かったかなー」

「ははっ、ごめんって、堂前」


えぇ……、と。

縣が智彦に困ったような眼を向けた。

それに対し、智彦はすかさず頷く。

特に悪いモノは感じない、と。


逆に薄らと、本当に極めて弱くだが、良いモノ・・・・を、智彦は水筒から感じている。

そしてそれは、堂前が混ぜた『薄荷』だろうと、考えた。


(たしかアガレスが言ってたもんな、儀式で使う植物は神聖さを持つって)


さかきや、しきみ

あとは、刈られたばかりの稲穂等。

智彦には、それら淡く光って見えることがある。

薄荷もそのような側面を持つのだろうと、次に智彦は堂前の耳に視線を移した。


(他に感じるとしたら堂前さんのイヤリングだけど、パワーストーンって奴かな?)


堂前の耳で揺れるアクアマリンのイヤリング。

ただこれは今は関係ないかと智彦がベンチに腰を下ろそうとした、その時。

再び、女性の声が聞こえた。


「秀一郎、応援に来たわよ!」


同じ女性の声でも、良く通る綺麗な声。

それは、野口の彼女である冬馬とうまという名の女生徒であった。


「ごめんね、遅刻しちゃって!」

「いいよ、いつもみたいにバイトが長引いたんだろ?」

「そうなのよ! ってまた汗まみれになってるじゃない!」


金色に染めた髪と短いスカートを揺らしながら、冬馬は駆け足で近付いてくる。

するとどうか。

堂前はすかさず野口から離れ、冬馬とも距離を置く。

その行動に対しやや申し訳なさそうに頭を下げた冬馬は、バッグからスポーツタオルを取り出した。


「いや、ゆり菜、何度も言うけどコレってサラサラだし、臭わないし」

「違うわよ! 風邪ひかないか心配なの!」

「あーうん、ありがとう。でもすぐに乾くって」

「着替え、持ってきてるから。帰りに戦勝祝いでどっか寄って行こうね」

「気が早いなぁ……、でも、うん。勝つさ」


二人の会話を聞きながら、智彦は堂前に意識を向けた。

野口の彼女が来たら、勘違いされないように離れる。

自分はマネージャーと言う立場を、弁えている。

そう無言で主張する様子を、相変わらずだなぁと感心してしまう。


「……堂前も可哀そうに。好きになった相手に既に彼女がいた、だなんてな」

「……そうだね」

「あぁ。しかも入り込む余地すらないってのは流石に同情するぜ」


縣の言葉に耳を傾けながら、智彦は緩慢に頷く。

だが何となく。

何となくではあるのだが、堂前からはそのような愛情の雰囲気は感じない。

心の中で、野口との距離に一線を引いている……智彦はそんな気がしてならないのだ。


(それよりも、周りの空気が淀んでるんだよなぁ、冬馬さん)


冬馬の周りの風景をじわりと滲ませる、灰色の空気。

その淀みが何を意味するのか。

詳しくはわからないが、良く無いモノだろうと智彦は考えている。

彼女に何かしら、悪影響を与える存在がいるのか。

それとも、彼女自身の問題か……。


「ねぇ、縣。冬馬さんの周りの淀み、見える?」


縣が目を細めるも、間をおいて頭を振った。


「……いや、見えねぇな。やばそうか?」

「何とも言えないんだよね、悪い感じではあるんだけど」

「野口の彼女ってことで、別の女から嫉妬を受けてるのかもな」

「あー、そうかも知れない」


野口と縁を持った智彦だが、彼を取り巻く人間図を少しではあるが知っている。

所謂サッカー馬鹿で恋愛関連に疎い野口に、ある日冬馬からの熱烈な告白を受けて、付き合い出したこと。

そんな色恋沙汰の影響か、野口の名が高校サッカー界隈で有名になっていること。

故に、野口に好意を示す女性が増えていることを。


(まぁ、今は注意しておくしかないかな)


愛する人の為に努力し、結果を出す。

智彦は新しい友人のそんな偉業へ素直に感心しながら、グラウンドへと舞い戻る野口へ歓声を送った。

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