上司のパワハラが可愛すぎて困る

二村 三

第1話 パワハラ1 「コーヒー買ってこい」


 俺、東野ひがしの 藤次とうじおおとり商社に勤めている。


 鳳商社は業界トップに君臨する大企業だ。

 俺の上司は鳳のご令嬢、アメリカで某有名大学で院まで飛び級合格し、そして卒業してきた天才帰国子女、おおとり 藍華あいかだ。

 体格は小柄で、黒いスーツ姿よりも、ファンシーで可愛らしい服装が似合いそうな少女。年もまだ10代で青春を楽しむ年なのにバリバリ働いている仕事ができる上司である。目は三白眼で少し爬虫類ぽい目つ気をしており、黒い髪は背筋あたりまで伸びて艶やかだ。絶対に俺の手の届かない高いシャンプーを使用しているに違いないと、隣のディスクにいて思う。



「藤次! コーヒー買ってきなさい」



「わかりました」



 いつものようにコーヒーのお使いを頼まれ、俺はデスクから立ち上がる。



 自販機は廊下の突き当たり休憩スペースにあるのだ。



 俺は足早に廊下へ出た。



 その後ろをこっそりと部署の入り口に隠れるように上司がついてくる。

 本人はバレていないと思っているのだろうがバレバレである。



「…………」



 部署の入り口から顔を出して俺の後ろ姿を見つめる上司の奇妙な行動はもはや、部署内の名物だ。鳳のご令嬢ということで誰も彼女を注意する人はいない。仕事中なのに遊びに来ているのかと言うくらいやりたい放題だが、そもそも上司は人の10倍は仕事ができるので、注意できる人物が社長くらいしかいない。



 そのため俺は初めてのお使いをする幼児を見守るテレビ番組の親のような視線を背後に浴びながら、自販機でカップのコーヒーを二つ購入した。



 そして振り向くとサッと上司は壁に隠れた。



 そして俺が戻ろうとするとタッタッタッと部署まで走って戻る音が聞こえた。

 しかし、履き慣れていない踵の高い靴のせいか途中で転び「あぶっ!」と言う声も聞こえる。



「…………」



 俺は何も知らないふりをして部署に戻った。上司を立てるには部下の勤めである。そして上司の羞恥を見なかったことにするのは鳳藍華おおとりあいか直属の部下の勤めでもある。



「買ってきましたよ」



「ありがとう」



 赤くなった鼻を押さえる上司。その何かあったのに何もなかったように強がる仕草が俺は可愛いと思うのは父性が目覚めたのだろうか。



「鼻、赤いですけどどうしたんですか?」



 さりげない口調で聞くと彼女は顔を背けて言った。



「今さっき風邪を引いたの、くしゅんっくしゅんっ。移るといけないからあまり顔は見ないで」



 うーん、誤魔化せきれないこの可愛さ。100点満点。



 そうして上司は俺からカップを受け取ると両手に持った。

 そしてコーヒーに口をつける。



 すると上司の表情が一瞬ピキッと固まり、眉間に皺を寄せて苦そうに飲み始める。



「…………」



 上司はブラックコーヒーが苦手である。苦くて飲めないのである。口をつけているのは飲んでいるふりをしているだけで、実際は飲んでいない。

 


 それなのに上司はブラックコーヒーを飲みたがる。


 

 それは上司の中の仕事ができるビジネスマンのイメージがブラックコーヒー飲める大人であるからだ。


 完全に見栄である。


 部署内で上司がコーヒーを飲めないことを知らない人はいない。上司本人はそのことを誰にも知られず隠せていると思っているが本当はミルクに砂糖を入れて飲むのが大好きなお子様舌である。

 そこがまた可愛いのである。



 さてコーヒーと格闘する上司の可愛い顔も見られたのでそろそろ助け船を出そう。

 俺はさりげなくカップに口をつけたふりをして「あっ」と大袈裟に声を上げる。




「すみません俺、間違えてミルクティー買っちゃったですけど、甘いの苦手で……よかったら交換してくれませんか?」



「ま、ま、ま、まったく! 仕方がないわね! 部下の失態は上司が庇うものね。べ、別に飲めないわけじゃないけど、困っているなら交換して上げてもいいわ……」



 ものすごく渋々と言う感じで俺からカップを受け取る上司。

 しかし、ミルクティーに口をつけるとその表序は一変して上司の顔の周りに満開の花が咲く。はなまるにっこり笑顔の降臨である。

 その笑顔に部署内の全員がにっこり笑顔になって癒された。



 俺もにっこり癒される。



 まったく、今日も朝から上司のパワハラが可愛くて困る。

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