第122話 地下機構


 カンテラの灯りひとつの地下通路で、橘卿は両の手をしっかりと握りしめてお待ちくださいとくりかえした。それはどうしても、何があろうと動かぬと自分自身に言い聞かせる響きがあった。

 どちらかと言えばおとなしやかな少年と思われていた、今となっては寄る辺なき外交使節の少年の、張り上げるがごとき制止の声に、みなは足を止めて一斉に橘卿を見た。

 卿はその視線に怯むことなく問う。

「……みなさまは、本当に、エリス姫の呪いを信じておいでなのですか? どうか本心を、お聞かせ願いたいのです」

 今度はそこにいたみなの目がオルフェ七世に注がれた。エリゼ公国元首たるアレクサンドル五世、ならびにその副官アンリエットは当然のこと、外国からやってきた新聞記者トマス・クレメンズと橘卿、そしてエリゼ派の神官シャルルまで例外なく、黒髪に黒い瞳の男性葬祭長を見つめた。

「え、あ、僕ですか?」

 オルフェ七世は先ほども投げかけられた質問に今度こそこたえなければならなくなって目を泳がせた。

 そもそも彼は質問を無視したわけではないが、事態がどんどん先に進んでしまっていた。

 重ねて述べる。エリス姫の呪い――それは、『騎士』に手を触れるものへの警告にとどまらず、この世界への呪詛がこめられている。


 騎士に手を触れるものあらば、太陽もろとも地は崩れ去り

 青きひなげしをみだりに摘むものあらば、そのもっとも愛するものを奪う


 オルフェ七世、もうこうなれば七世でよいだろう。七世は全員の顔色をうかがうかに見えたが一呼吸したのち、わかりやすく沈思黙考した。兄のアレクサンドル五世、こちらも五世でよかろうな。五世は弟の横顔を見てからあらぬほうに視線をやった。いや、なるほど、そこか。

 七世はゆっくりと顔をあげて東方からの訪問者を見た。

「タチバナ卿、騎士のほうは記録にありません。なにしろ大教母や葬祭長たちが隠し、アレクサンドル一世猊下以降、神官はもとより強面の神殿騎士たち含めてみなが守り通したので誰一人として騎士に触れる不埒者はいなかった。ですが歓びの野に群生する青いひなげしは違う。記録があります。葬儀の時以外一輪二輪つんでいったものは経過観察の上で見逃されていますが、なんらかの意図をもって大量に摘んだものは、みな死んでいる。否、たいていは神殿騎士に近親者もろとも殺されています」

 橘卿が目をいっぱいに見開いた。

「では、それは……」

「ええ、呪いではありません」

 七世は厳かに、断定した。

 シャルル神官がちらと新聞記者トマを仰ぎ見た。彼らは瞳をかち合わせ、先ほど彼らだけで交わした会話やエリゼ公爵家への不敬の意味を確認したようだ。

 いくらか重い沈黙を破ったのは、この国の元首たるアレクサンドル五世であった。

「ならばどうしてエリス姫は騎士のほうも同様にしなかったのか」

「それは……」

 口ごもった七世に代わって声をあげたのはアンリエット嬢だった。

「聞こえていますか? ディシス博士」

【もちろん。通信音声良好だ】

 さきほど五世が見上げていた天井の一角から若い女性の声が聞こえた。それに反応したのはトマだった。

「いまディシス博士と? まさかここに来ているのか?」

【こんにちは、ミスター・クレメンズ。あのときは楽しいインタビューだった、感謝する】

 トマの国の言葉で快活に返ってきた。

「あの……」

 橘卿が頭を巡らせて七世に視線を投げた。アンリエットがそれを見て微笑みながら言った。

「皆さま、ご説明が遅くなり申し訳ありません。発明家ディシス博士のご高名は世界中に広まっているかと思いますがあらためて。デルフィーヌ・ディシス博士はモーリア王国学士院に所属する天才科学者にして、我々のこの地下機構の主任研究員でいらっしゃいます。近年は小説家としても活躍しておいでで」

【アンリ、話しはそこまでだ。見たほうが早い】

 そこで地下道の一角に明かりが灯った。

 トマは息をのんでそれを見た。壁面の一角が窓か絵画のように切り開かれて、向こう側にデルフィーヌ・ディシスの姿がうつっていた。

【失礼、アンリことアンリエット嬢とボクはペンフレンドなんだよ】

 デルフィーヌの言葉遣いは変わっていた。少なくとも性別の厳格なモーリア語らしくなかった。彼女は背が低く、燃えるような赤い髪を後頭部で一つにまとめ、丸い眼鏡をかけていた。白衣の下は簡素な生成りのドレスだった。その後ろでは、ざっと十数人の白衣の人間たちが何らかの作業をしているのが確認できた。

【はじめに、地下機構というのはこの頭のおかしな魔法の国が起ち上げた、無茶苦茶な輸送手段だと思われていた】

 神官シャルルが眉をひそめた。

【この大地の空洞部分、この国の神話風に言うならば大いなる「女神の子宮」に空中鉄道を走らせて、船や列車より早く移動する手立てだ。球体の真ん中をなんの遮蔽物もなく通れるのだからな。そりゃ地上を移動するよりはずっと早い。もちろん、よその国も同様の計画案を練ってはいた。でも、女神の子宮部分の掘削に失敗し続けて今となってはみなお蔵入りとなったんだ。ところが、この国は見事にそれをやり遂げた。じつのところ、ここまではボクのちからではなく、すでにこの国の科学者が研究立案し、おおよそのところで実現可能という結果が出ていた】

 しかし、と博士がつよく声をあげた。

【ボクは「女神の子宮」と呼ばれる空洞部分は、どうやらこことは地続きではないと考えた。

 ああ橘卿、質問を忘れられたように感じておられるかもしれないね、でもボクはこたえとなりそうな話しをしているつもりだ。いましばらく待ってほしい】

 はい、と橘卿は律義にうなずいた。

 その間にもトマはデルフィーヌの見える明るくなった壁面に触れたり匂いを嗅いだり叩いてみたり忙しくしていた。神官シャルルはその様子を目のはしに入れながら、それぞれの横顔を見る。

 アレクサンドル五世とアンリエットは結論を知っている。オルフェ七世は話しの行く末を追っていて、橘卿も同様だ。

 この国を起点に、船よりも、また最近でき始めた電気機関車よりも早く移動する空中鉄道ができれば、他国には大いに脅威になるだろう。人間と物の両方を大量に、一手に独占して運ぶことができるのだ。しかしその技術は「女神の子宮」に触れるため、他国には容易に手出しができない。

 なるほど、これが切り札なのか。

 神官シャルルはそう考えた。

 《騎士》とやらをエリス姫に返す、つまり本当に殺して《死者の軍団》を失くしたとしても、その技術があればそれこそ大量の軍隊と物資を他国に先んじて送ることもできるのだと。それにもし、戦争を手段に選ばないとしても、交易についても俄然有利だ。

 するとディシス博士がその考えを読んだように告げた。

【その前に、この地下鉄道の政治利用については今現在、ボクの関わりのあるところではない。なにしろそこは、あくまでも「女神の子宮」または「女神の身体」とやらで、ボクたち人類のものではないと、このボクは考えているからな】

 首を傾げたのは新聞記者だった。

「どういうことですか?」

 疑問は神官シャルルのくちから発せられた。

【言葉通りだよ。他にあたりさわりのない語句で言い換えるなら、異世界(、、、)とでも呼んだほうがいいかもしれないね】

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歓びの野は死の色す 磯崎愛 @karakusaginga

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