第117話 外伝「空が青いと君がいった日」2

 ジャンがいったい何故、そんなところに女を連れて行くのか判じかねた。彼に限ってそんな事はないと思う一方、なにか揉め事になるのではないかとも考えた。彼がちょくせつ関係していないにしても、穏健なはなしには成り得ない。いざとなれば仲裁に入らなければならないかもしれず、わたしは足音をしのばせて人通りの少ない道を歩いた。

 はたして、待ち合わせでもしてあったのか、門のすぐそばには白いヴェールをかぶったほっそりとした貴婦人が立っていた。わたしは彼女に見覚えがあった。背中をむけたままのジャンはこちらに気がつかないでいたが、そのご婦人が視線を寄越したため、彼は振り返ろうとした。

 おそらく、わたしは酷く慌てた顔をしたのだろう。

 その女性はすぐさまジャンの名前を呼んだ。彼は弾かれたように背をのばして向き直った。つづいて驢馬から女性をおろし、その手をとってヴェールの婦人にわたし、それから深く頭をさげた。会話らしいものは何もなく、それでも滞りなく一連の手続きが終了したことがわかった。

 わたしは古神殿の壁に背をついて、ジャンが通りすぎるのを待った。

 ジャンはとぼとぼと歩いてきてわたしの前に立ち、挨拶も何もなく問うた。

「つけてたんですか?」

「ああ、すまない。悪かったと思う」

「あなたに素直に謝られると、やりづらいじゃないですか」

 わたしは苦笑のままで相手の仏頂面にきいてみた。

「遊びの付けを払わされたという様子でもないが?」

「違いますよ」

「言えないか?」

「何を」

「関係を」

「太陽神殿の信者です。ただし、うちの神殿じゃあ話せないことも、出来ないこともある。それ以上は、あなたも質問しないでしょう?」

「まあね。わたしには関係ない」

 ジャンはふうっと息を吐いて顔をあげ、わたしの冷淡さを詰るふうもなく漏らした。

「関係ないって便利なことばですよね」

「そうだね。わたしもそう思う。そのかわり、自分に関係あると思えばほうってはおかないよ」

「例えば何を?」

「君が、なにか事件に巻き込まれていないか心配したのだといったら、信じるかな?」

 ジャンが濃い眉をしかめてみせた。

「アンリさん、あなたのはただの好奇心でしょう」

「おや、見破られたね」

「からかうのはよしてくださいよ」

「からかってはいないよ。あの女性は縁を切られそうな誰かの愛人かな?」

「それ、なんであなたに教えないとならないんですか」

 真意を探るように用心深く睨みつける若者は、わたしとは違って無垢に見えた。

「次も泣きつかれるようなら、退けたほうがいい」

「どうして」

「女というのはそうやって同情をひいて、条件のいい男に鞍替えしたいと思うものだ」

「怪我して弱ってるひとに、よくもそんな酷いこと言えますね」

「わたしのいうのは一般論だ」

「一般論! 彼女のことを何一つ知らないくせにっ」

「君らしくもない。頭を冷やせと言っているだけだ。それに、何も知らなくても言えることはある。男女のことは他人にははかりがたいと、君は十二分に承知しているはずだ」

「……わかってます」

「頭でわかっているのと現実にできるのは違う。君はけっきょく古神殿にあの女性を引き渡しただけで、なんの仕事もしていない。断っておくが、わたしは傷ついた女性を手助けすることが悪いとは言っていない。君のことだからわたしの非番を見計らい、きちんと朝の作務を終えて出てきたのだろうが、困っている女性誰も彼もにそうやって手をさしのべては、君の身動きがとれなくなる。悪くすれば、なし崩しに女につけこまれるぞ」

 そこまでは神妙な顔をしてきいていた彼が、最後の一言で声をあげた。

「ご忠告いたみいりますが、俺は、誰かにつけこまれる隙があるくらいで、人間ちょうどいいと思ってるんですよ」

「ジャン?」

 わたしはその言葉を意外に思って相手の顔を見つめ返した。

「あなたを見てると、帝都学士院や太陽神殿で上に行くやつらのことを思い出す。でもね、いっときますが、そいつらは本当の天辺にはけっして上れないんですよ。自分のことばっかりで懐が小さいから、ひとがついてこないんです」

「それは、苦言かい?」

「いえ、嫌味です」

 わたしは声をあげて笑った。

 ジャンも、呆れた顔で小さく喉をならした。

 驢馬が、何がおかしいのかというように頭をこちらに回して欠伸をした。

「アンリさん、あの方を知ってるんですか?」

「あの方って?」

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